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  • やわという人

    私のネガティブ人生振り返り

最近の記事

進路

中学3年生の秋、 学校で進路の最終提出があった。 私は夏休みに自分が行きたい高校の見学を済ませ ある日両親を夕食後に別部屋に呼び出して そこに行きたいと伝えた。 すると思いもしない答えが帰ってきた。 どうしてA高校に行けるのに B高校に行く必要があるのか?と。 どうやら高校は偏差値で選ぶものであり、 成績的に自治体一偏差値が高い高校に行けるのに なぜ2番目のB高校を選ぶのか?という事を 迫られているようだ。 しかも私はA高校に行き、地元の国公立大学に 入り、教師になること

    • 強がり弱虫

      ここで一旦過去ではなく 今の自分に対する気づきを 書きたい 私が親を避け始めて1年 やっと同じ空間にいても 話さなくてもOKまでは 来た でも挨拶しても返ってこなくなった ここで私は先輩やお局さんから 受けてきた仕打ちと似てると感じた それまでの親はとても気が強く 私が多少思い通りにいかない物なら 声を荒げたり、出ていけというタイプ でも今の静寂ぶり(もしかすると 嫌がらせのつもりなのかも)は 何だろうか きっと私の事が怖いんやろうなと 時々視線を見て感じる 私

      • 退部

        中学3年生の夏、 私の吹奏楽部は都道府県選を突破し 地区選に望むこととなり退部予定が 10月頃まで伸びることになった。 正直この頃私は、ピアノの先生からも 練習に身が入っていない (そもそも私がピアニストを目指していると 親が先生に伝えていたこともあり) との事でもう練習に来るなと言われたばかりだった。 ピアノもだが、大変な高校受験があるというのに それ以外に時間を割いている場合ではないと 思っていた。 中3の頭まで学年1位だった成績は 少しずつ落ち始めていた。 私は

        • 生徒会と部活の両立

          生徒会は週に何度か学校が終わる16時前後から 1~2時間で手短に行われた。 というのも結論はいつも顧問の先生側にて 決まっていて、そこに向けてどう持っていくか という話し合いにしか私には見えなかった。 17~18時には生徒会が終わり、 遅れて部活動に参加する私。 いつも黒板に「遅刻、生徒会」と 書く必要があった。 そして、部活では中学2年生の秋から私はパートリーダーを 任されていた。 楽器毎の練習を取り仕切り、合奏をより良くする役目、 同じ楽器の下級生をまとめる役割があっ

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          10本
        • やわという人
          23本

        記事

          「人間嫌い」自助会に参加して

          共感できるお話がたくさんあった 中でも ・人と接したいけど、傷つくのが怖い ・人と接していると羨ましく思ったり 惨めに思ったりすることがある というところに共感した そして、私と同じように親子関係で傷を抱えた方が多かった 箇条書きで自分が考えたこと、学んだことを残しておこうと思う ・少し仲良くなると自分の事を全部話したい!と思う →避けられる これは、人に自分のことを理解してほしいという執着だということ ・同じように傷を抱えた人と分かり合いたい!という気持ちはあるけど

          「人間嫌い」自助会に参加して

          成績がいい→生徒会

          部活動に明け暮れていたある放課後、 ある関わりのない男の子に生徒指導室に来るように 言われました。 行ってみると、生徒会に入らないかというのです。 生徒会とは・・・?を説明してもらいました。 転入生の私には馴染みはありませんでしたが、 隣りにいた指導教員の「成績の順位がいい人から 入れているのだ」に妙に納得して入ると答えました。 当時私の成績は2位で、その男の子は1位だというのです。 同意した私を見て、教員が「ね、成績がいい子に声をかけてみろと 言っただろ」といっていた

          成績がいい→生徒会

          ”部活”は修行!?

          転校前の学校ではクラブ活動はありましたが、 授業の一コマでした。 土日に行われることはありませんし、 クラブによって活動時間が違うなんてことは なかったのです。 ところが、私の吹奏楽部は8時の授業前の朝練、 15/16時前後から20/21時までの長時間活動していました。 遅刻や早退、欠席は理由を音楽室の黒板に書きだされていました。 最後の授業からしばらくたっても来ない子は 校内を捜索されました。 2年生だった私は3年生が怖くてさぼりませんでしたが、 3年生になったとたん、放

          ”部活”は修行!?

          ”部活”という連帯責任制度

          転校からしばらくして私は、吹奏楽部を見学しに行きました。 音楽が好きでもっぱら運動神経のない家計の父から 猛烈に勧められていたからです。 当時の私の認識には日本の学校には部活があり、 授業以外に好きなことができる、という認識。 小学校では、完全なる自由参加で金管バンドでトランペットを 1年ほどやっていた私。 学校からは特に正式な部活案内はありませんでした。 どんな部活があるのかも知らず、一人小学校時代の親友が 吹奏楽部だと知った私は、違うクラスだったその子に「久しぶり!」 と

          ”部活”という連帯責任制度

          日本では女子と男子は会話しない!?

          私にいつも忠告してくるのは女の子でした。 異様な距離を感じていた私は誰にも話しかけませんでした。 正直言って私にとって学校は勉強するための場所であり、 誰かと交流したり、集団行動のために時間を過ごす場所という 認識はなく、ただ授業に集中して先生に質問する場所という 感じでした。 まず驚いたのは、授業中に先生が質問したとき 手を上げるのがほぼ私だけだったということ。 前の学校はほぼみんな手を上げていたのではないかと思います。 後で理解しますが、日本では人前で目立ったり間違えた

          日本では女子と男子は会話しない!?

          逆カルチャーショック

          海外の楽しかった3年間 いつかはかけたらと思いますが、今回は人生の生き辛さのために 振り返っているため、帰国後について書きます。 さて、海外から帰った私は、人生で一番長く過ごしている地元の いじめられていた校区の中学校に転入します。 初日、私は白のスニーカーを履くよう聞いていたため 履いていきましたが、挨拶するなり担任の先生に注意をされます。 靴紐が水色だという理由でした。 その他、髪は二つ結び、前髪は目に掛からないように 眉毛はそらないように・・・など無数の目的不明の校

          逆カルチャーショック

          自由すぎて楽しかった海外生活

          私は小学5年生~中学1年生まで海外で過ごした 海外では校則もなく、制服もなく、 いじめもなく、目立つことに羞恥心などもなく、 とにかく自由に過ごした。 日本では、なぜか好かれないことが多かったし、 とにかく目立つと叩かれるというのを 雰囲気で理解していたと思う。 海外で私は、学級委員長などリーダーをこなすほど 目立つ存在となった。 日本では実は、トイレに行きたいことが言えずに 粗相したことが3回あるほど内気で人と話せない子供だった。 今思えばどちらが本当の私なのか 目立

          自由すぎて楽しかった海外生活

          いじめ~別れも言えず転校

          小学校の頃いじめられて、クラスの誰一人とも話せなかった。 影で声をかけてくれる子が3人いた。 私はたまたま家庭事情で転校することになり その3人からもらった別れの手紙が残っている。 実際に4年間仲が良かった3人はいじめの中心人物だったが 私が転校する直前お母さんたちづたいに遊んだときの 写真を写真立てにしてもらった。 バツが悪かったのか話した記憶はない。 転校することもめずらしかったその頃 私は対して関心を持たれることもなく学校をあとにした 転校先は海外 地方から東

          いじめ~別れも言えず転校

          いじめで一番強烈だった事件

          私がいじめられた時の一番強烈な記憶 私はいじめられる前4人で仲良くしていた子がいた みんな同じクラスに2年在籍し、習字教室も一緒だった 先生に「仲良くしなさい」と言われた日 渡り廊下からこっそりのつもりで私達が一緒に下校するかを 監視していた先生を見つけたYは学校の門を出るまでは ピッタリ4人引っ付いて歩こうと言った Yは一番いじめに賢かった そして、「後でXの家集合ね」と言った 集合してから一緒に習字教室に行こうというのだ 元々集合なんてせずにそれぞれが行ける時間に

          いじめで一番強烈だった事件

          父も障害やトラウマ持ち!?

          一つ前の投稿で父に虐待された経験を書いた 実はそれ以外にも父にはよく手を挙げられた 一番多かったのは往復ビンタと家の外に立たされること おもちゃや教科書をすべて捨てられる・・・かな 往復ビンタで覚えている理由 1 妹1歳、私3歳の時家で留守番をしていたら   妹がフィルムケースの中に入っているボタンを食べたこと   「お姉ちゃんのくせに目を話すな」と言われた記憶がある   往復と言わずビンタされた私がもたれかかっていた   籐の棚、鼻に残った傷を覚えている 2 父に「ム

          父も障害やトラウマ持ち!?

          同居中の記憶

          noteの使い方がいまいち分からないが、投稿日順に表示されるため 同居解消後の話に移る前に思い出した祖母との同居中の記憶を いくつか整理しておこうと思う 1 母と祖母が洗濯物をたたみながらの戦争 母と祖母の叫び声が聞こえた 言ってみると、一緒に選択を畳んでいたのだが 祖母が今にも母を殴り倒そうとしている 入れ歯が取れそうだ 何の事で言い合いをしていたのか分からないのだが、 包丁でも持ち出しそうな両者の剣幕に、私は思わず 「やめて!!!」と叫んで間に割って入った その後の

          同居中の記憶

          自由な生活といじめ 10歳

          同居を解消したこと、その頃受けていたいじめの前後関係は不明だが ちょうどその頃学校でいじめを受けていた。 家でも自由になったから楽しかったかというとこの後の海外生活に向けて 両親は忙しくてイライラしていたように思う。 ある日クラスの全員が私と口を利かなくなり目を合わせなくなった。 数カ月後先生に呼び出されて仲良くしなさいと言われた時に いじめた側が述べた理由は、「鬼ごっこをした時に鬼になった私が 勝手に先に鬼ごっこを放棄した」というものだった。 私にはそういう自覚はなかっ

          自由な生活といじめ 10歳