スキンピッキングデスノート222
なんとも素敵なゾロ目だわ。
スキンピッキングについての考察。
ニキビ潰しから始まる。←そもそも、なんでニキビを潰そうとするのか?
「暇だから」
だね。暇を別の言葉で言うと空虚感とかね。
卵と鶏状態だけど。
思春期から始まるこの症状は、
おそらく人間としての体力も知性も活力も一番みなぎる時期に、
自分のそれらを持て余している結果なのだと思った。
その時期に何かに打ち込めばいいものの、
勉強も部活も恋愛も全てがその人の本来のポテンシャルからすると、
物足りないものだったり、中途半端だったりすると、
症状が出るんじゃぁなかろうか。
本来のポテンシャルを活かせる人10%
中途半端でイマイチ感や空虚感を抱えている人80%
自分のポテンシャル以上のことに無理とは思わずに消耗しまくりながらでも頑張っている人10%
と、推定してこの80%の人から様々な症状が出る。
その中の一つがスキンピッキングと考えると、それは症状としては不幸中の幸いというか、悪くない症状なんじゃないか。
幼少期から劣等性持って生きてきて、その後やっと自分の体が使えるようになったというのに、今度は支配されてしまって抑圧されたままになってしまう。
劣等性を向上心としていた時代から抑圧され、劣等性の克服することなく
コンプレックスになってしまう。
その過程で発散方法としてピッキングしてしまうのではないだろうか。
大きな意味合いではこれも劣等コンプレックスになるのかもしれない。
スキンピッキンは幼さの現なのかな。
そう言ってしまったら元も子もないというか、それでおしまい。
違う。もっとこう、根本的な根源的なものを探りたい。
話を戻して、
暇がなくなればピッキングしない。
ただし、家に帰ってぼーっとしたりお風呂や寝る前にはピッキングしてしまう。
つまり、ただ忙しくしていればいいという事ではないらしい。
ニキビの時を振り返ってみよう。
勉強の最中になんとなくの息抜きとして、鏡を見たり、触ってしまう。
大体はそんな感じだと思う。そこから思うに、
①ぼーっとすることが苦手。息抜きやリラックス方法が分からない。
②勉強などの、現行の作業がつまらない。作業を有意義と感じていない。
③一人で居る。あるいは居ても、どうでもいい相手。
ここから分かるのは、
有意義な作業に集中してフロー状態になり、
無心で休憩してリラックスする。このサイクルを繰り返す生活が理想的なんだろうなぁと思った。
この生活を体系的に万人向けにしてくれているのが、
禅寺における禅僧の生活なんだろうなぁ、、、。
有意義な作業は、個人レベルではなく、歴代の高僧が定めた作業だし、
無心でリラックスするかしないかは別として、その状態へ導かれやすくするための座禅。なるほど。
禅僧にとってはその作業が有意義かもしれないけれど、でもさ、高校生にそれを強いたら、は?ってなるよね。
アメリカ人からしたら、みんなと同じことをしていてどこに創造性があるの?
ってなるよね。
有意義って人によって違うし、
フローな状態に入るものって人によって違うよね。
禅では全ての生活がその一瞬一瞬の全ての行いが有意義でフローに値すると。
仏の教えのもとにと、、、。
今、この行いが全人類のために何のためになってるの?なんて考えたら出来ない。
フローには程遠い。
だからって、では与えられた作業の全てを有意義と感じて全力投球できて最高の関心を持って臨めるのか?
凡人には無理だな。
あれこれ考えずに、とにかくやれ。やっているうちにどうにかなるさ。
ってそんな投げやりな根性論のオヤジみたいなことを言われてもムリだな。
嫌になって投げ出す。←これがスキンピッキングに逃げる状態。
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