せつなさと優しさと
7つの作品の「せつなさ」を観察してみました。
★彡・:*『もののけ姫』スタジオジブリ
見つけたビジュアルは『もののけ姫』のサン。せつなさと優しさが同居した「いい表情」をしています。乙事主やモロといった愛するものたちを虐殺され、畏怖するシシ神まで消滅に追い込まれたサン。緑が復活しても「ここはもうシシ神の森じゃない!シシ神さまは死んでしまった」と、自分の愛した世界の終焉を見据えています。「アシタカは好きだ。でも人間をゆるすことはできない」と言い放つ15歳のサンが、せつない。モロも言ったように、17歳のアシタカに、サンは救えないと思います。エミシの村に残してきたカヤのこともありますし、アシタカが身を寄せるタタラ場が復興するには、山からまた大量の木を切り出すしかなく、サンの孤高は癒されないでしょう。
★彡・:*『ワンダと巨像』ソニー・コンピュータエンタテインメント
最後の一撃は、せつない。途方にくれるほど存在感のある16体の巨像を一体づつ繰り返し繰り返し弱点に届く道を探っていき、最後の一撃で留めを刺します。これは「繰り返しの完結」に対するプレイヤーの哀愁で、切なさとは違います。主人公のワンダにとっては、生け贄にされた少女の魂を呼び戻す手段に過ぎず、巨像を倒すたびに自分が黒い影に侵されていきます。最後には、ドルミンという「ワンダを導き、巨像に封印された自らの復活を図るラスボス」に身体を乗っ取られるのですが、他でもないゲームをプレイしワンダを操作する、あなたこそがドルミンなのです。結局、ドルミンは再度封印され、ワンダは赤児に転生して少女に再会するのですが、戦いの記憶はドルミンとしてのあなたの中にしか残っていません。ドルミンが、せつない。
★彡・:*『ほしのこえ』新海誠(アニメ・原作) 佐原ミズ(漫画)
2039年火星調査隊が、地球外知的生命体タルシアンに遭遇し全滅します。
人類はその脅威に対抗するため、幼少期のテストによる選抜者を、国連宇宙軍として徴用。同じ高校を目指そうと言っていたミカコは、受験にむけた夏の日、自分が選抜者であることをノボルに告げます。宇宙と地上に引き裂かれる2人。火星から木星へと艦隊が地球から遠ざかるにつれて、2人をつなぐメールは往復に時間がかかるようになります。2047年、艦隊は、冥王星軌道でタルシアンと交戦。人類への脅威を取り除くため、痕跡をたどり一方通行のワープポイントを経由して、8光年離れたシリウス星系に追撃を図ります。2056年、24歳のノボルは15歳のミカコから最後の決戦前に発信された「すごくすごく好きだよ」というメールを受け取ります。距離と速度に引き伸ばされた2人の世界で、時空を超えて惹かれあう思いが、せつない。
★彡・:*『メッセージ』ドゥニ・ヴィルヌーヴ(監督)原作:テッド・チャン
突如世界の各地に飛来した巨大な柿の種型の物体。内部で行われる未知の知的生命体ヘプタポッドとのファースト・コンタクト。コミュケーションを図ろうとする言語学者のルイーズが、その生物の文字と言語構造を解析、理解する過程で、ヘプタポッドの「過去と未来の記憶をもち、同時的に現在を知覚する思考」を体得していきます。ヒトは物事を時間の流れ順で経験し、それを因果関係として知覚する逐次的認識をするのであって、予感はあっても未来の記憶はありません。過去と未来という時間構造を俯瞰する視点を覚醒させたルイーズは、自分の恋や出産、夫婦の破局や子供の早逝、自分が死ぬ未来をも記憶してしまいます。未来の記憶をトレースする変えられない現在。精一杯の観察者として生きるルイーズの圧倒的な孤独が、せつない。
★彡・:*『少女終末旅行』つくみず
文明が崩壊した終末世界。半装軌車のケッテンクラートで、廃墟となった巨大多層構造体を旅する2人の少女、チトとユーリ。いつどこで補給できるか分からない水と食料、燃料を探しながら、風呂に入ったり洗濯したり喧嘩したり、過去の映像や本や遺物に触れながら、理由があるわけでもなく上層部を目指します。寒冷で降雪も多い。一部インフラが機能してたり、旧世界の自律機械や人工知能が稼働していますが、人類はほぼ絶滅しています。2人は最上層にたどり着き、世界を見渡して、天の川を仰ぎながら「生きるのは、最高だったよね」と語り合い、最後の食事をとって、これからどうするかは「少し寝て」「それから考えよう」と雪の中、眠りにつきます。絶望するしかない世界で、絶望と仲良く旅をし終えた2人の生命が、せつない。
★彡・:*『おおかみこどもの雨と雪』細田守
ニホンオオカミ最後の末裔である「おおかみおとこ」と恋に落ち、正体を知っても彼を慕い子供を産みます。彼が急死した後、2人の子供を育てる主人公の花(はな)と娘の雪(ゆき)と息子の雨(あめ)の物語。子供たちはまだ幼く、時として野性を発現しオオカミに変身してしまいます。都会での育児を断念し、人里はなれた里山の空き家で畑を耕し、自然観察施設で働きながら2人の成長を見守る花。お転婆で活発な性格だった雪は、小学校で草平と出会い、オオカミではなく完全に人間として生きることを選びます。また、ひ弱で内向的な性格だった雨は、施設でシンリンオオカミと出会い、オオカミとなって山を駆け回り、その生態系を治めていたアカギツネを先生と慕い、先生の死を機に山を守るオオカミとしての生を選びます。最後のシーンは、嵐の中での子供たちの巣立ちの選択。引き留めようとした花も山に響く雨の遠吠えに「しっかり生きて」と見送ります。母の思いが、せつない。
★彡・:*『風の谷のナウシカ』(漫画版)宮崎駿
父である族長ジルは病の床にあり、不本意にもトルメキアにより戦線へと徴用されます。戦線では、愛すべき腐海の粘菌や王蟲までもが戦争の道具として陵辱され、土鬼の民を解放するために自らの手を血に染めます。ナウシカが守ろうとする世界そのものが、旧世界の人間による汚染浄化のための道具であり、自分たちは、浄化後の世界には生きられないことを知ります。巨神兵を破壊兵器として使役するために「オーマ」と名付け、人類復活の切り札である墓所を溶解させ、そこに眠る多くの人類の卵を握り潰し、旧世界の思惑を殲滅します。「目的のある生態系…その存在そのものが、生命の本来にそぐいません」と、自分の属する世界そのものを否定するナウシカが、ひとりで判断し手を下したのは、「生命を生命の力に還元する」ことでした。そして、ナウシカを救世主と慕い生き残った人々に、真実を隠したまま、偽りの未来への希望を伝えます。16歳のナウシカが、あまりにも、せつない。
「切ない」の「切」という漢字は、「七(縦棒を横棒で切り離す十が原型で2つに割り切れず半端になる数)」に「刀」を当てたものとされ、切迫、緊迫する状態の「きる、せまる、するどい」の意と、切るために「ちかづける、すり合わせる」といった動作からの適切、親切のような「寄り添う」といった2つの意味をもつようです。その「切」な状態の形容詞と、接尾語のあどけ・ない、せわし・ない等の「ない」による「せつ・ない」。自分ではどうすることもできない状況における、胸が締め付けられるような思い、気持ち、気分のことをいいます。
サンもドルミンも、ミカコとノボルも、ルイーズもチトとユーリも、はなも、そしてナウシカもきっと本人は、「せつない」なんて感傷に浸っている場合ではないでしょう。当事者として、ただ、どうすることもできず、胸が締め付けられている。「せつなさ」とは、そんな物語を受け取って、主人公に共感した(寄り添った)われわれ観察者の心に発生する優しい思い、気持ち、気分であり、「やさしさ」のひとつのバリエーションなのではないかと思います。
2020年12月4日
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