本の棚 #177 『それでも僕の人生は「希望」でいっぱい』
自分の人生について
どれくらい「自分の責任」で生きているか。
生まれた時代、場所、境遇など
生まれる側は選ぶことができないわけで
その点では人はそれぞれ前提が異なる。
ぼくは日本に生まれてなかったら
例えばブラジルで生まれていたら
どんな人生になったんだろうか、なんて
特に意味もないことを
トイレに貼ってある国旗マップを眺めながら
考えたりする。
「希望」に目を向けて歩む人生もあれば
「絶望」「失望」「欲望」に苛まれる
そんな人生もあるかもしれない。
本を読むことで様々な人の人生を
疑似体験とまではいかないが
それに思いを馳せることはできる。
著者の境遇から見た人生とは、そして希望とは。
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物質的なもの、つまり見えるものの中には
本当に大切なものはない。
それは目に見えないところにこそある。
思いやりは目に見えるが
思いは目に見えない…これは関係ないか。
何か特別なことがあるときに感じる幸せも
もちろん大切なんだけど
当たり前になっていることにこそ
見えていない、本当の大切さがあると
ぼくは感じる。
自分の判断基準、ものさしを持ちなさい。
最近上司にも頂いた言葉だ。
ぼくはどんなものさしをもってして
今後の人生を歩んでいくのか、
もう気づけば30代だけど
たしかにこのあたりで
自分が美しい、価値があると感じることを
一度整理してみたい。
今後変わっていく部分もあるかもしれないし
やっぱこれだね〜という部分もあるはずだ。
一つあるとすれば「わくわく」という基準。
成功するか失敗するかよりも
わくわくできることを選択する、
そんな人生にしていきたい。
心がまえとは、なんだろう。
考え方といえば少し範囲が狭い気がする。
生きる姿勢?
どうやったら心がまえを変えられるか。
決意を新たにすることは
「変わらない人あるある」だろう。
そうならないためには…
時間とエネルギーをふり分ける明確な基準をつくって、しっかり守っていくこと。
人間万事塞翁が馬、と同義か。
何が起きても、より良い状態になるための
一歩であるという捉え方。
この考え方さえ身につけば
人生から希望が失われることはない。
世の中には前提がある、
著書にそう書いてあるように
すべてのひとびとは決して平等ではなく
全く同じ土俵に立っているわけでもない。
それでもより良い状態に向かって
希望を持って生きているなら
変わらないな前提に引きずられることなく
その人ならではの幸福な人生が始まる。
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