本の棚 #115 『さよならインターネット』
『さよならインターネット』
まもなく消えるその「輪郭」について
家入一真
「インターネットに接続している」
そんな感覚はあるだろうか?
スマホの普及により常時ネットにつながっている
いや、つながれてしまっている、とでも言おうか。
そしてその感覚は、もはや無いに等しい。
著書ではここに至るまでの日本における
「インターネットの歴史」から始まる。
インターネットの世界は広い、あまりにも広い。
しかし、それはぼくたちの世界を本当に広げてくれているのだろうか?
むしろ狭めているのではないか?
そんな考察のなかで未来を描く。
ぼくはというと、
細田守さんの「サマーウォーズ」を観ながら
相変わらず感動している。
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最近、ぼくは「インターネット=居心地のいい小部屋」のように感じる機会が増えています。
この「小部屋」という表現。
インターネットの世界は広いけれど
実際に自分が触れる情報は
実は手が届く範囲のものばかりになり
さらにグーグル先生によって
パーソナライズされた情報を鵜呑みにすると
もはや気づかぬ間にこぢんまりした空間で
生きてしまっていることになる。
居心地のいい小部屋、
無意識にその空間に足を踏み入れると
なかなか抜け出せないかもしれなあ。
だって心地いいんだもの。
確かに、時間やお金など、あらゆる束縛はインターネットのおかげで減り、多くの人が自由を獲得することができました。
しかし求めていないのに、自由を突然与えられるような人も、たくさん出てきてしまいました。
求めていないの自由
なんて贅沢なんだと怒られるかもしれない。
でも事実として、便利になった世の中は
求めていない自由をつくりだして
「何かすること」「何者かになること」を
求めすぎやしていないだろうか。
「ぼくにはこれくらいの自由をください」
「私はこれくらいがいいな」
そうやって自分の自由を自分で選択できる
そんな世の中になっていくかもしれない。
いや、すでになっているだろう。
コミュニケーション・コストが激減した時代だからこそ、「人とつながらないこと」に大きな価値がある。
人を拒絶するわけではない。
ただだらだらとSNSでつながっているより
一度切断して、自分との対話を。
もはや物理的な一人ぼっちは一人ぼっちではない。
インターネットにつながっているから。
スマホを家に置いて
一人で山に登ってみるといい。
そこに本が一冊あればなお良い。
「つながらない時間」を意図的につくって
自分の内側を見てみるのだ。
あなたが多くの人に認められたいのは、多くの人に認められたということを、たった一人の人に認められたいからなのよ
Twitter上の格言らしい。
たった一人、その人を見失わないように
意外とそばにいる、そのたった一人を。
もし「Amazon」が、「この本を買った人は絶対にあの本を買いません」とすすめてきたら?
買います、ぼくは。
天邪鬼的な発想ではあるけど
偶然、ランダムを求める人間もいる。
むしろそっちのほうが多いのではないか。
予定調和的な生き方ではなく
偶然の一致を楽しむ生き方というか
「もしあのとき〇〇してなかったら」
というのが後々おもしろくなる。
「全ては生まれた瞬間から予定どおりでした」
と言って死んでいくのはなんだかつまらぬ。
インターネットを継続的に利用して、つながっている世界の輪郭を確認しながら、ときどき外へと足を運べばいい。
現実世界とネットの世界が
相互にメンテナンスし合う関係になる。
オンラインとオフラインを分けない、
そんな考えもあるだろうけど
ぼくはスパッとオフにしたいこともある。
常に繋がっているのが当たり前、と言われると…
そんな当たり前はゴメンです。
逆方向に行きたくなる性分です。
とはいえ、便利なところもあるから
たまには使わせてよ、ネットをさ。
海士町に移り住んだ人々のように「働き方」だけではなく、「生き方」へ軸足を移すことができるようになるような気がします。
生き方を軸にしている人が
どんどん増えている、らしい。
どう生きたいか、だったり
どう死にたくないか、だったり
いろんなアプローチ方法はあるけど
そこから始めたほうが回り道もしやすい。
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