本の棚 #97 『彼女は一人で歩くのか?』
『彼女は一人で歩くのか?』
森博嗣
ついにウォーカロンの話が始まる。
一人で歩く=walk alone=ウォーカロン。
人間のようで人間でない?
反最適化だと?
人類の未来図のようにも思えるこの小説を
ファンとして待っていた人は多いんじゃないか。
そして孤高の天才、真賀田四季がどう関わってくるのか。
期待度がかなり高い状態でこの「Wシリーズ」が幕を開ける。
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「コミュニケーションのサインとしては、エネルギィが大きい。笑うことは、コストパフォーマンスが悪いと言えます」
こういう表現が好きだ。
たしかにエネルギィの観点からいうと
笑ったり、怒ったり、泣いたりするのは
消費エネルギィがとてつもなく大きい。
それだけでかなり疲れることもあるくらい。
相手に伝えるためにやっていることだとすると
それは確かにパフォーマンスレベルが低い。
ただし、人に伝えること以外の目的があったとして
その目的も合わせてクリアできるのなら…どうだろう?
例えば笑うことで身体的には疲れるけれども
実は何らかの回復ホルモンみたいなものも
同時に分泌していて、あとあと回復力があがるとか
怒ることで自分のなかの不純物が浄化されるとか
泣くことで脳みそに溜まった毒素を涙と一緒に流してくれるとか…
人間は合理的ではないところもあるけど
なんだかんだで合理的なところもある。
今では、単に「人間ではない」の形容されるだけだ。
天然の人間と、人工の人間がいる世界。
舞台は今から200年後くらいの話なんだけど
今でもすでにそんな生き物はいる。
天然のタイと養殖のタイ。
どっちがうまいかと言われれば悩ましい。
それぞれの良さがある。
人工のものはその範囲をどんどんと広げている。
もう人間の臓器がつくられるくらいだから
倫理的な問題は置いておくとして
人工の人間は遠くない未来に目の前に現れるかもしれない。
そこでアンチ・オプティマイズ=反最適化という
プログラムが組み込まれるらしく
最適化しすぎると天然の人間のような
迷い、ためらいなどが表現できない。
反最適化された人工の人間はそれらを
意図的につくりだすことができるので
余計に天然の人間と区別がつかなくなる。
それでも「人間ではない」と言われる世界。
そして天然と人工を判別する方法を知っている研究者ハギリに迫る危機。
誰がなんのために?判別されると困ることがあるのか?謎が深まりながらストーリーは進む。
マガタ博士は、二世紀も昔の歴史上の人物である。
きたー!マガタシキ!真賀田四季!
実は生きている?
脳だけなにかにトレースして生きている?
いや、生きていてほしい。
そして四季節を聞かせてほしい。
そう願っていたらストーリーは終わっていた。
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