本の棚 #36 『コロナとバカ』
『コロナとバカ』
ビートたけし
ヒトの本性はいつ出るのか
それは「やばいとき」だと、ぼくは考えている。
やばいときというのは
平常運転ではないときのことで、
極端な例を出せば、命の危険を感じたとき
そのヒトがどんな行動に出るのか。
勇敢に立ち向かっていくだろうか
すぐに逃げ出そうとするだろうか
何もできずに呆然とするだろうか
頭を使って他の方法をとるだろうか…
いずれにせよ、
なんかこう追い詰められたときに
そのヒトの価値観みたいなものは出るように思う。
通常時はいくらでも取り繕うことができるし
隠すこともできるから。
コロナ禍においては、ある意味でヒトの
本性みたいなものが垣間見えるのではないか。
ねぇ、たけしさん。
それにしてもここまで言っていいんですか?
ってくらいの毒舌本。
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「自分が迷惑をかけられても他人を責めたりしないけれど、自分が他人に迷惑をかけることだけは避ける」
うつされるより、うつすほうがつらい
というのがたけしさんの考えだ。
だからテレビ番組はリモート出演。
そういえば、随分のあいだ実家に帰っていない。
いつ帰れるのだろうか。
両親が知らぬ間に孫はどんどん成長している。
オンラインでつながってはいるけど
やはり直接会わせてあげたいなと思う。
あと何回両親に会えるかを数えてみると
ほんとに数えるほどで…
すでにカウントダウンが始まっている。
帰ることで迷惑をかけてしまうのは
間違いない。
田舎の情報はNURO光よりも早く伝わり
村八分状態になる可能性もある。
多くの人が「田舎に帰る」ができないことに
フラストレーションを感じているのではないか。
ワクチン接種が始まっているが
どうなるんだろうか。
ニッポンは五輪や万博に頼る「お祭り依存体質」から抜け出さないと、世界から取り残されちまうぜ
五輪や万博は、
小売店におけるセールみたいなもので
その期間はおおいに盛り上がり
経済活動も活発になる。
ただ同様に、その反動や歪みが出てくることも
間違いのない事実ではないか。
祭りのためにつくられる建物、道路など
果たして祭りのあとも、持続可能なのか。
それがなくてもやっていけるような
仕組みをつくっていく、
それは新しいものかもしれないし
既存の文化的なものが土台になるかもしれない。
大きな山をつくることは
大きな谷をつくることだということを
知っていながらそれをやり続ける。
人類はそうして発展してきているのだろう。
「古典」と言われるものには生き残ってきただけの理由がある
こんなときだから「蓄積」を。
コロナ禍において以前より時間があると
感じている人におすすめなのが
落語、古典のようなものらしい。
流行りのものに敏感に反応して
取り入れていくことは否定しないが
流行りのスパンはどんどん短くなっている。
タピオカは来年まで持つのだろうか…
それよりも、良い時代も苦しい時代も
語り継がれてきた古典には
それなりの理由があるから
時間があるならそこに興味をもつとよい。
ぼくも歴史や古典から学ぶべきタイミングだと
最近考えるようになってきていたから
背中を押してもらえた感がある。
「わかりやすさ」ばかり評価されるニッポン
半沢直樹的なわかりやすさ
それはそれでいい。
ぼくも欠かさず観ていた。
わかりやすさは万人に受け入れられ
評価されやすい。
ただそれだけではつまらない、
というよりつまらなくなってくる。
そうなんだ、
「わかりにくいもの」への理解もほしい。
一言では表せないような何とも言えない感情、
うまいんだけど、うまいだけで片付けたくない
そんな奥深さを感じさせるカレーみたいな…
音楽、映画、漫画、ドラマ、お笑い、料理など…
わかりやすさ一辺倒では
どんどん似たものが量産されるだけで
それは多様性とは異なる方向に進んでいくような
そんな気させしてくる。
しかし時代は移り変わるもの。
わかりやすさを求める時代があれば
次はよくわからないもの
わかるようになるために努力を要するもの
そんなのが大切にされる時代がきている。
ぼくはわかりにくいものに一票入れたい。
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