#エッセイ(会社)『頑張って来たんだけどなぁ・・2』(第二次ベビーブーム世代のステルスリストラ)

 そもそもですが、海外の企業の雇用形態は調べた事が無いので分からないのですが、日本の大企業における社員の待遇は特殊な形になっていたようです。これは自分で書いていて少し嫌なのですが、説明の為に少しその内情を書かせてもらいます。この話は私が若い頃に当時の年配ベテランサラリーマンから教えてもらった話ですので、少し違和感を覚える方もいるかもしれませんが、まずはその話から・・
 明治以降になって日本に企業が出来た頃は、社員の役職と役割はその呼び名通りで問題はあまりなかったようです。部長は部長としての仕事の役割を、次長や課長ならその役割を、そして課長代理以下もその役割としての仕事をしていれば良かったのですが、戦後ちょっと経ってから大企業ではそれでは人事の政策上対応が出来なくなってきたという事情が出て来たそうです。新入社員を毎年一括で大量に採用して年月を重ねると、社員の昇進に差が出てきます。当たり前ですが全ての社員に在籍年数と共に役職を与えていくことは出来ません。特に部長や取締役は同期入社でほんの一握りの人しかなれません。そうすると、そのような役職に就けない大勢のベテラン社員からは当然不満が出てきます。“なんであいつが成れてオレはダメなんだ!”とか“あいつらだけいい給料もらってなんだよ!”という感じだったのでしょう。会社にしてみれば、そこは人を見極めているつもりでも、実はそこは曖昧だったりするでしょうしね。そんな“をじ”たちに反旗を翻らせられて大量に辞められても困るでしょう。昇進させることが出来なくても大切なノウハウを蓄積している人達でもあります。そこでその当時の企業が考え出したのが役職と職能という考え方だったそうです。本当はいつまでたっても昇進をさせる事が出来ないような人を救済するシステムという事です。このシステムは役職とそれにリンクする職能という社内資格を設定し、職能に給料の手当てを引っ付けるという方法です。一言で云うなら昇進するにはますは職能を上げてから役職が上がるというシステムです。もちろん、同時に上がる人もいたようです。その仕組みをざっを図にすると

 (役職)        (職能)
 社長       ここまで参与
  副社長          ↑
  専務取締役     ↑
  常務取締役     ↑
  平の取締役     ↑
 参与(執行役員)↔これより上は参与
---------------------------------------------------
 部長     ↔     理事
 次長     ↔    副理事
 課長     ↔     参事
 課長代理      ↔    副参事
 係長     ↔     主事
 主任     ↔     主任
 平      ↔    (無し)

という感じです。まず目につくことでいうなら役員以上の職能で参与というのがありますが、これは現代で言う所の執行役員という感じだそうです。参与という職能は要するに取締役と同等以上いう事を意味しています。そして問題になるのは部長より下の役職です。その部長になるならまずは社内規定で理事の職能を取ってから初めて部長職になるとの事です。で、これの何が問題(というより大発明)かというと、本当の意味で昇進をさせる事が出来ない年配社員でも職能だけ上げてやり、給料をそれなりに配ってやれるという事です。それでもまだ世の“をじ”たちは納得しまん。今度は自分の社内での呼び名にこだわるのです。そうすると会社側は『役職も名乗らせていいよ!』となる訳です。それでは誰が本当の意味での部長か分からなくなるので、その肩書は“専任部長”とか“担当部長”とかいう名称になるのだそうです(後に書きますが、私の会社では採用していない制度です)。もちろん本当の意味での部長は理事待遇の“名誉”部長より給料は何割か高い事にはなっているとの事です。そうじゃなきゃ本部長なぞ責任ばかり重くてやってられませんからね。なぜなら“名誉”部長たちのやっていることは普通のヒラ社員としての仕事ですから、同じ役名でもそこはちゃんと給料に差をつけるのも当然です。それにしても昭和の大企業は上手い事考えたもんです。そんな事が全盛の時代のちょっとした笑い話として、理事待遇の平の“をじ”が朝、出社前に自宅でネクタイをはめている時に奥さんから、
『ねえ、あなた!会社で今の役職は何なの?』と聞かれ、“をじ”は奥さんの目を見ないで奥歯に何かが挟まったような言い方で
『ん!うーん・・ブチョ(部長)だよ・・』
と言葉を少し濁しながら答えたりしていたそうです。それを聞いて喜んだ奥さんは、その日の井戸端会議で近所の奥さんに
『ウチの旦那部長なの・・。』
とちょっと自慢をしたりしてご近所の奥さんにマウントを取っていたとか、いなかったとか・・という話もあります。
   まぁ会社も“をじ”さんもその奥さんもみんながそれなりに納得や満足をしたWIN-WINの関係で景気の良かった頃の日本はみんなの承認欲求という意味においても幸せな時代だったそうです。私もあと20年ほど早くに生まれていたらきっとこんな“おじ”になっていたのでしょう・・。
    この話を元にもう一つ自分の記憶を辿ると、私の若かりし頃、知り合いの結婚披露宴に呼ばれると新郎新婦の父親が紹介されるときに“新婦のお父様で○○産業の部長である・・さんからご挨拶を・・・”と紹介をされている人がやたら多くかったという記憶があります。あの当時の私は結婚式に出た帰りに“世の中の父ちゃんたちは立派な役職の人が多いいなぁ・・・”とくらいに思って考えたものですが、この話を聞いた時に“なるほどね・・・”と思った記憶があります。この仕組みを教ええくれた人は『あの頃は年頃の娘がいれば理事になりやすいと言われていたもんだよ』なんて言って笑っていた事を思い出します。要は会社にしてみれば、多少の給料の上乗せと役職名をくれてやるなんてどうでもいい様な話なのでしょう。何だかバカにされたような感じの話だと思った記憶もあります。
 こんな仕組みが壊れ始めたのがここ十年くらいでしょうか。その前の平成の半ばくらいから“リストラ”と称して、年配社員の首切りは始まっていましたが、追い打ちをかけるようにこの数年に出てきた働き方改革と各種のハラスメント問題、そして急に出てきた各企業の組織の若返りで状況は一変した感じです。そんな波に私ものい込まれていくのです・・・。
   (その3に続く)

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