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子育てにおける「怒り」の話。「怒り」に振り回される自分を決して否定してはいけない

こんにちは。矢口泰介と申します。このnoteは、私の個人ブログ「ヤトミックカフェ」の姉妹ブログです。私が生活しながら気づいたこと、思ったことを書き留めていきます。

今回は私個人の葛藤というか、私自身の主観で、私自身の景色から見たことを書きます。なるべく一般化して書かないようにしたつもりです。

毎日怒っている

あんなにかわいかった息子も思春期にさしかかり、こちらが毎日イライラしてしまうことが増えてきました。

だらしない、言うことを聞かない(ならまだしも露悪的に突っかかってくる)、学校の準備に前夜に取りかからない割に、朝になって準備ができていないと大騒ぎする、宿題をする前にゲームで時間を費やしてしまう・・・など。

そんなものは、自分が子供だったときに身に覚えがあるものばかりなので、自分が怒れた筋合いもないのですが、いざ親になってみると、なんというか、本当にイライラするというか、心配と不安と情けなさと、自分を見ているような羞恥を、ぐしゃぐしゃにして脳みそに塗り込まれているような感情なんですよね。

大人げないと頭ではわかっていながら、思わず怒鳴ってしまう日々です・・・と書くと、最近の反抗期に対して怒っているように読めますが、私は子育てをしているあいだ、ずっと、怒っています。自分は良い親ではなかったし、むしろ現在進行系で、その逆の恥ずかしい人です。

なりたくなかった親になってしまった

自分の父親はいきなり不機嫌になって怒り出す人で、そのスイッチがどこに有るかわからなくて子どもの時は本当に嫌だったので、自分はそうならないぞと思っていたのに、結局そうなってしまいました。

自分は恥ずかしながら「怒り」をコントロールできないことがあります。自分の感情が抑えきれず溢れ出してしまい、怒鳴ったり、ときに手が出てしまうことがあります。

自分が聖人君子になれないどころか、その真逆の、巷に言う「毒親」のようにふるまう瞬間があることは、本当に恥ずかしいというか、死んでしまいたいような「恥」の感情に焼かれそうになります。

「怒り」の感情に含まれているもの

「怒り」とは不思議な感情です。怒りという感情に含まれている成分は、おそらく人によって異なるでしょう。

人のため、守るべきもののために怒れる人と、己のため、保身や私利私欲のために自己中心的に怒る人と。その怒りは当然ながら含まれているものが違うから、質が違います。

私が「怒り」として感情を表出するとき、そこに含まれているのは、

  • 自分を理解してもらえないという寂しさ

  • 子どもの未来に対する(?)いやもっと漠然とした不安

  • 自分に対して感じるどうしようもない恥ずかしさ

のようなものなんじゃないかと思います。子供のことを思っている部分も多少あれど、どちらかというと自己中心的なものが多いと認識しています。
どのような理由や成分があるにせよ、怒りを人に(特に家族に)ぶつけるのは、決してほめられたことではありません。

アンガーマネジメントにもチャレンジしているが・・・

怒りについて言われるのは「アンガーマネジメント」です。怒りが湧き上がってくる感情と、行動に表すことを切り離して、感情に行動が支配されないようにする。とても大事です。

6秒ルールとか、いったんその状況から離れるなど、試そうとしています。試そうとしている、という曖昧な書き方をしているのは、子供相手だと、これが効かないことがあるからです。

まだ練習中なのだと信じたいが、どうしても怒りが抑えられない。アンガーマネジメントは大事だということを大前提に、心に留めたうえで、しかし、そこにこぼれ落ちるものがあります。

「怒り」に振り回される自分に目を向ける

「怒りを人に、特に子供にぶつけるのは悪いことだ、最低だ」と言われるのは本当にそうだし、返す言葉もないのですが、しかしそう言われたところで、どうしようもないというか、物事が前に進むわけではありません。

開き直るな、と言われそうですが、しかし本当に物事を前に進めるならば「怒りに振り回される自分」をまずケアしなければいけないと思います。

「怒りは人にぶつけてはいけない」が、「勝手に湧き上がってくる」ものでもあります。その事実を受け止めなければ、それをなかったことにされてしまっては、怒りは消えず、傷は大きくなっていくばかりです。

先ほど書いたように、「怒り」にはいろいろな成分が含まれています。そのなかには、もしかすると重点的に「ケア」されるべきものもあるのではないでしょうか

私の場合。私の怒りは強い「恥」の感覚に紐づいています。自分がメンタルに問題を抱えていることに対しては長年認識しており、ここ数年は専門のカウンセリングを受けています(いつか詳細を書くかもしれません)。

最近、私がカウンセリングとともに試しているのは、ジャーナリングです。感情を感情のまま、心に湧き上がったまま、書き殴ります。怒りの言葉、罵詈雑言、不安や悲しみまで。

ケア関連でいうと。また、最近話題の「ポリヴェーガル理論」では、安心を感じるための方法がいろいろと紹介されていますし、人に話を聞いてもらうとか、然るべきコミュニティに参加したり、といった方法もあります。また、自治体や専門家にに相談することも有効な入口になりえます。

「怒り」に振り回される自分を否定してはいけない

まあ本当に、太宰治じゃないけど、「恥の多い人生」を送ってきてしまいました。

理想的な親子関係とか、情緒が安定した人の親子エピソードとかが、私は本当に苦手です。理由は、全てここに書いたことに起因していて、私が毒親すぎるからです。

子育てに関する何もかもが、私自身の人格的未熟さによって全て失敗してしまったような気分になることがあります。そんなことはないと理性でわかるときもありますし、子供が可愛いと思うときもたくさんあります。
でも、総じて言うと、私はなりたくなかった親になってしまいました。たぶん、私が父親を見ていたときのように、子供にも記憶されているでしょう。

ここで、私以外の人に呼びかけることを許してほしいのですが、私のように、「怒り」に振り回されて、後悔したり、ガックリきたり、現在進行系で罪悪感に悩んでいる人がいるかもしれません。

でも、そういう自分を否定し、セルフネグレクト、また、「誤ったセルフケア」であるアルコールなどへの依存から、さらに事態が悪化していきます。

だから決して自分を否定せず、積極的にケアすることをあきらめず、そういう最低最悪だと感じる自分を、まず頑張ってケアしてみてほしいです。

今回はあくまで私の状況であり、私が抱いた感情の話なので、一般化して結論を書くのは良くないと思うので、私の話だと思って読んでいただければと思います。私もがんばります。何かを。

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