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無名な人生には、それなりの良さがあるのではないだろうか
湯川さん 押田さん
書簡です。無名の人の名もなき書簡です。
なんだか私たちそれぞれが「なんでこれをやるんだろ?書くんだろ?」と問うているのがいいですね。始まりだからこそのテンション。
さー、これがやっていくうちにどう発展していくかな・・・あるいは途中で止まってしまうかな・・・。といかようにもなる未来を思い浮かべながら、これを書いていますわよ。
カフェ巡りをしていた時期があったという話
「無名の人」というワードを読んで、あと自分で書いてて思い出したんですが、
僕は一時期「カフェめぐり」にハマっていた時期があって、自分でもカフェを出してみたいなあと遊びで(なかば本気で)考えていた時期があるんですよ。
社会人になりたてで、会社員であることに絶望していた時期に、いわば現実逃避のように「カフェ」というものに憧れを抱いていたのですが、自分の手で「カフェを開くこと」が自己実現につながるノダ!こんなツマラネー仕事で人生を浪費させてる場合じゃないゼ!
と息巻いて(「仕事のできない自分」という現実から目をそらして)、川口葉子さんの本とかをバイブルにして(今でも好きです)、今思えば有名どころばかりではありますが、あちこちカフェをめぐっていた時期がありました。
で「カフェ好き時代」が10年くらい続き、そのあとパッタリとカフェ熱は冷めてしまいました。そしてその後の10年、自分がカフェに熱を上げていたことはすっかり忘れてました。
先日、久しぶりに「そうだそうだ、そういえばカフェ行ってたよな〜。なつかしいな〜」と、当時行っていたカフェはどうなっているかな?とネットで調べてみたところ、半分くらい閉店していました・・・。
まあもう10年以上前だし、コロナもあったし。飲食店は大変だし。仕方ないよね〜、いやいや誰の目線なんだよ、と0.5秒くらいで思った後、ふと寂しさに襲われました。
無名の人生には寂しさのある良さがある
僕は「人生というのは、こういうことの繰り返しなんじゃないか」と思っています。かつて熱のあったものが、いつの間にか失われている。そういう寂しさが私は嫌いではないのです。むしろ人生の良さだと思ってます。
無名の人の人生って、観測され続けないからこそ、そういうことが起こりがちな気がする。もちろん、、私を含めて、人の人生のドラマは、終わりの時までずっと山あり谷ありで続いているわけですが。
なのでまあこの書簡は、我々の人生をほんのいっとき観測していただいているということで。やがてはね、失われる運命にあるという、そういう諸行無常な感じを喰らわしてやってる(喰らわされている)という感じなんじゃないかなと、思いました。何の話だ??