家庭不和も悪くないかも
こんばんは。
夜灯です。
最近はラジオを聴いています。
絶対に夜中に起きている人が身近にいると、すごく安心しますよね。
本題に入りますね。
私と父の確執を「家庭不和」と呼称するのが適切かは分かりませんが、
もう長年まともな会話をしておらず、関係を再構築できない状態です。
お互いにほとほと呆れる程に面倒な性格をしているので(似て育ったのがまた皮肉)、
両者譲らずという訳です。
なので、どうしても家族の話題に敏感で、上手く機能していない家庭話を聞くと、
どこか安心したりもしてしまいます。
話を聞いていて思うのは、完全に上手くいっている家庭というのは少ないということです。
私がそういった人から滲み出る空気感を察知して、
(そういう人といると落ち着くので)仲良くなっている部分はあると思うのですが…。
何とは無しに、「完全な家族」を想像してみました。
私があまり通る事無く育ったからかもしれませんが、
何故か歪さを感じたのです。
今までに出会ってきた、仲良し家族で寵愛とも言える愛情を受けて育ってきた人達を思い浮かべたのですが、
ある意味世間や普通とよばれるところからズレている部分があったな〜、と。
性格が悪いとかそういう単純なことではなく、
「この人は知らないんだな」という感じ。
お互い様なんですけどね。
家庭不和を、それに付随する感情を、葛藤を、話したところで彼らには分からない。
また、分からないと感じさせるオーラが初めから出ている。
でも、別にそれを知らないでいれるなら幸せなことだと思うので、
私は友達がそう育ったことを良かったと思います。
だからと言って、自分の家庭不和を嘆く必要もまたあまり無いのかもしれないと思ったということです。
多かれ少なかれ家庭内に不和が存在している方が大多数ですし、
私はそれによって過度な自己否定や脅迫的な不安感等、精神的に苦労を抱えて生きていくことになったとは思いますが、
それもまた私という人間の「味」を生み出しているのかなぁと思います。
読んでくださった人の心が少しでもほどけると嬉しいです。
おやすみなさい。
p.s.
内なる悲しみを抱える人
という続きの記事を書きます。