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ねえ、もしあなたが彼、彼女の立場だったらどう思う?

「コミュニケーション不足」
会社でも、コミュニティーでも、家族でも。
何か齟齬があってものごとがうまくいかないと、
必ず出てくるこの言葉。
「コミュニケーション不足」
すべてまとめてしまうのはどうかと思うこともたびたび。
そんな時、こんな記事を読みました。

近年言われる「カスタマーハラスメント」について書かれた深田氏の記事。
記事の中で事例として紹介されたのが、ポストに入っている誤配。
でもよくよく考えてみると、配達するほうも実は大変なのだ。

我が家もポストに表示されている名前がかなり小さく、
もし配達する方が変わってしまったら、それはきっと大変。
中には、ポストが無名なマンションも多々あるだろう。
誤配がある背景には、そうしてしまっている何等かの理由があるのだろう。

記事の中で、著者である深田氏は
カスタマーハラスメントの根っこにあるものは、
実は二つなんじゃないかと。
一つはその「コミュニケーション不足」なんだけれど
深田氏は、それは
「人の立場になってものを考える力が落ちている」ことと。
そして二つ目、
「人の尊厳を軽くみている社会の風潮の問題」
でもこれも深ぼってみると、
やはり人の立場になってものを考える力なんだと思う。
自尊ならば他尊。

少し長いのですが、下記に記事を紹介します。

私の住んでいる集合住宅は棟がA、B、Cの3つあり、同じ部屋番号が複数ある。郵便受けは1カ所にまとまっており、たまに間違われる。4カ月くらい前だったか、誤配が続いて家の中でぶつぶつ言っていたら、配送会社に知り合いがいる家人に「あの人たちも大変なのだ。再配達に来た時に怒るのはやめてほしい」と注意された。

それでしばらく考えているうち、ふと思いついて届け先の記載欄に「ポストは一番左の列」と郵便受けの位置を加えてみたところ、誤配がそれきりなくなった。配送業は人手不足で、以前のように勝手を知った人が毎度来るわけではない。そんなことも見えてきた。

近年の社会問題である顧客による迷惑行為「カスタマーハラスメント(カスハラ)」を、自分の問題と考えるようになったのはそれからだ。率直に話してくれそうな親しい人との会話で話題にし、なぜカスハラが起きるのか、どうすれば減るのか、自分の内面や経験と合わせて考えてみた。

学んだのはざっと2つのことで、ひとつはベテランの経営者が言っていた「コミュニケーション不足」という視点だった。「人の立場になってものを考える力が落ちている」という。

このところ世の中がイライラしている原因に人との距離が遠くなったことがありそうに思う。コロナ禍などを経て対面どころか電話で話す機会も減り、体温が感じられないメールの文面に「この人はいったいどんな人だろうか」と首をひねる場面も増えた。

すると人が愚鈍に見えたり、不誠実や冷淡を感じたりしがちなのだ。しかしこれはたちの悪い妄想であって、ちょっと話せば伝わることや、郵便受けの場所を説明しただけで解決するようなつまらないことで、無用の波風を立てている。カスハラもこんなコミュニケーションの衰退が生むすれ違いの一現象なのではないかと思った。

それから2つ目は、人の尊厳を軽くみている社会の風潮の問題だ。

先日、40代前半の女性の旧友に久しぶりに会った時にカスハラについて聞いたところ、これまでに数え切れないほど閉口な思いをしたという「マンスプレイニング(男性が女性を見下して、説教や頼まれてもいない助言をすること)」の話を始め、「そんなタイプの人がカスハラをやってるんじゃないかと思う」とのことだった。

ついでに学生時代のアルバイト先で社員から「コーヒー買ってきて」とよく言われたことも思い出していた。表面では一応愛想よく、使いっ走りをやるのだが、名前ではなくバイトと呼ばれ、その程度の存在と扱われることに「歩けないわけじゃないだろう。自分で行けよ」と心の中で毒づいていたという。顧客と店員の関係ではないけれど、立場が上と思っている者の見下した態度が、屈辱を感じさせるという構図は同じだ。自分も似たようなことをしてこなかったかと、変な汗をかいた。

こんな無神経と、相手が無抵抗だったり理はこちらにありとみたりした時に、手にした権力を使いたがる小役人的な、弱い者いじめの人間の暗部とが合体してカスハラになるのだろうか。

「尊厳」という言葉は大仰な語感があるため、公的な文書などでよく使われるわりにはシリアスに受け止められていない。しかし世の中で関心を持たれるニュースや、周囲の人の悩みを見聞きしていると、人が人として尊重されないことへの怒りや落胆、つまり尊厳の問題が核心であることが多い。
そして社会の趨勢は、正論や冷笑、人を将棋の駒や部品のようにとらえる効率、利益主義、能力主義など、個々人の尊厳を慮(おもんぱか)る雰囲気に乏しい。

そんなことを考えてたまたま仏教の本を読んでいたら、自分を一番愛するのはみな同じなのだから他人を害してはならないと、マッリカーの対話で知られるブッダの教えが出てきて、自分の理屈や都合ばかり振り回すのは人として貧相だと反省した。自尊ならば他尊。コミュニケーション不足を言った経営者もその話をしていたのだ。

米心理学者、ドナ・ヒックス氏が書いた「Dignity」(尊厳)という本を読み返すと「尊厳の侵害は至るところで起こる普遍的なものでありながらも、それが人間の苦しみの根源として十分に認識されることは今までありませんでした」(幻冬舎メディアコンサルティング、ワークス淑悦訳)とあった。

尊厳がどうのと言うと生ぬるい話をしている感じがいまだするあたりにカスハラなどの病根がありはしないか。もう22世紀の未来テクノロジー世界を生きる人が生まれている時代に、カスハラ防止の条例を作らざるをえない社会というのもバランスが変だ。

カスハラの根っことは 暗部が合体、尊厳軽視がむしばむ
日本経済新聞 NIKKEI The STYLE 「文化時評」
2024年10月13日 
深田武志氏

カスタマーハラスメントだけではなく、
様々な中で「コミュニケーション不足」というのは
やはり相手の立場や、
その人にたって物事を想像する力が弱まっているからではないか。

人の立場にたって、ものごとを考える。
その力を鍛えるのに最適なものは、文学を読むこと。

ストーリーに入れば入るほど、我々は主人公の気持ちを想像し、
廻りの人々の感情を想像する。
映画やドラマと違って、登場人物の表情や相手の表情、
シーンが見えないからこそ、頭の中で想像する。
セリフを読んで
こんなことを言われたら、主人公はどんな気持ちになるのだろう?
相手はどんな理由でこんなことを言うのだろう?
様々な疑問が頭で浮かび、想像をする。
これが、実の社会でも生きてくると私は信じている。
様々な角度から、ものごとを考えられる。想像できる。
ねえ、あなたが、彼、彼女の立場だったら、どう思う?
文学を読もう、
コミュニケーション不足というひとことで
すべてを含んではいけない、
少なくとも私はそう思っている。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
タイトルのイラストは、lisa500ml様のイラストをお借りしました。
ありがとうございます。

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