2020 出雲一人旅#14「参拝作法は何のため?」
出雲一人旅3日目の午前
出雲大社(いづもおおやしろ)本殿の、神在祭初日の神事が終わり、本殿正面の扉が開かれると、八百万の神々が一斉に出て来られます。オープニングセレモニーが終わって、やっと終わったぁという感じで、勢いよく神様が出て来られて、宿舎である東西の十九社に戻られます。
これは、特に霊感が無くても、風が吹くような感じで、八百万の神々が移動する瞬間を感じられます。「感じたい」と思い、「感じよう」と集中すれば、必ず感じることができます。試してみたけれど、何も感じなかったという方は、本気で信じていないか、集中の仕方が分かっていないのかもしれません。
本殿の神事が終わると、境内外の各お社で神事が行われます。出雲大社から離れたお社でも神事が行われますので、あなたがご縁を感じる、または好きなお社の神事にぜひ参列してください。
私の場合は、十九社の神事には必ず参列するようにしています。参列といっても、申し込みなどは必要なく、神職の方たちの後ろに立ったまま、まさに参列(列に参加)します。
祝詞奏上だけでなく、太鼓や笛の鳴り物もあり、八百万の神々のご神氣が辺り一帯に広がります。東西の十九社で順番に神事が行われますので、神職の方の後を追って、両方の神事に参列することをお勧めします。
出雲大社での参拝作法は「二礼四拍手一礼」となっていますが、正式には「一拝、祈念、二拝四拍手一拝」です。「拝」とは、腰を直角(90度)に曲げる深い礼で、「祈念」は「拝」の姿勢で、祈り念じるため、見た目には「四拝四拍手一拝」のように見えます。
私も、この正式な参拝作法を知らなかったときは、神職の方の礼の数が多いなあと感じていましたが、出雲大社教の方に教えてもらって、その謎が解けました。しかし、一般の方は「二礼四拍手一礼」で構いません。皆が正式な参拝作法をすると時間が掛かって、すぐに行列ができてしまいます。
東日本大震災のとき、被災者が列に並んで静かに順番を待つ姿が、海外から称賛されましたが、神様に対しては、並んで待つ必要はありません。同時に複数の人の願い事を聞くことができます。神社側も「並ばずに、横に広がってご参拝ください」とアナウンスしています。
ご利益をいただくために、「参拝作法を間違えずにちゃんとしたい」「知る人ぞ知る参拝作法があるなら、それをやりたい」というのは、多くの方が思うことかもしれませんが、参拝作法は本質的なことではありません。
何も知らないから形から入る、というのは間違っていません。しかし、形が完璧でも、心が伴っていなければ、意味がないのです。何のための作法かといえば、神様に対して失礼にならないようにするためです。知る人ぞ知る参拝作法を実践すれば、特別なご利益をいただけるスイッチが入るわけではないのです。
形から入るという意味では、神職の方の作法をよく観察してください。礼の角度や神前の階段を上下するときの足の運び方、拍手の打ち方など、すべては神様のための動作になっています。
参拝のときに、びっくりするほど大きな音の拍手をする方がいますが、神様は耳が遠いと思っているのでしょうか?
拝殿内で神事やご祈祷をしているときに、鈴を鳴らし、賽銭を投げ込むように入れて参拝する人がいます。自分のことしか考えられず、何も見えていないのでしょうか?
何のために神社に参拝するのか、神様に何を願うべきなのか、自分は大丈夫と思わずに、もう一度考えてみてください。
いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也
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