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標準化されない人生の積み重ねの先へ。

おはようございます!

もう8月も終わりですね。

奄美は本日から三日間、旧盆が行われます。

今日は自分のご先祖様のお墓へいき、お墓に戻ってきた魂をお連れして、提灯に火を灯して、自宅へお連れします。

そして三日後に自宅から火のついた提灯をもって、お墓へお供していきます。

ざっくりというとこんな旧盆を行います。

皆さまの地域ではどんなお盆の風習があるのでしょうか。


さてさてタイトルの話をしたいと思います。

以前エルレガーデンの生中継オンラインライブがありました。

今年はどこもかしこもフェスは中止。

そんな状態の中、こうやって機会を作ってくれて嬉しかったです。

視聴者数も20万人を超えるまでのファンが集まっていて、改めてエルレ好きな人はまだまだいるんだなと感じました。


そんな中、ボーカルの細美さんからふとした言葉がありました。

『昔よりもうまく人間関係で付き合えるようになった。だけど多分何かしら失ったものもあるんだよね。』

うわっ、めっちゃわかる。

と思ったので、そのことについてお話をします。

仕事をしていく、生活をしていく、その土地で生きていく、などなどそれぞれの環境の中でいろんな要素により、人は少しながらでも変化していると思います。

波動のように揺れながら、時には良いことが起きる時も、時には悪いことが起きる時もあります。

お盆の話で言えば、ご先祖様たちはみんな今僕たちの目に見える世界からいなくなりました。

その時残された人たちは、寂しい想いもしたでしょう。

そんな繰り返しをしながら、今僕たちがいます。

そして今いる僕たちは、この世界で生きていくために周りの環境の変化に少しずつ対応をしていっています。

例えば、30年前にパソコンはここまで当たり前に各家庭にありませんでした。

インターネットもここまで充実していませんでした。

スマホが誕生したはまだここ10年と少しぐらいの出来事です。

僕たちはその外部の変化に少しずつ対応していっています。

しかし変化している一方失うこともあります。

上記の件で言えば、文字を手で描くことが少なくなりました。

だから、年賀状を書くことも減ってませんか?

今ではLINEなどで済ませて終わりですよね。

昔と今の考え方って少しずつ変化しているということです。

多分30年前に年賀状を急にやめて、メールで新年のあいさつをすると、人によっては『この人は温かみがない人だ』『失礼な人だ』などと思う人もいたと思います。

今はだいぶ減ったのではないでしょうか。

そのぐらいに、私たちは周りの環境の変化により、価値観は緩やかに変わってきています。

これはあくまでも一例です。

他にも見渡せば、たくさんあるはずです。

人間関係だってそう。

ある程度の会社になれば、人事異動があれば人間関係も変わり、それに順応していく。

とか、転職すれば、それにあわせて順応していく。

そうやって人は変化に対応をしています。

だけど頑固に昔のようにその変化を拒んでいたらどうでしょうか。

場合によっては、取り残される時もあると思います。

多くの人たちが自分たちの周りの環境になれるために『標準化』されます。

みんなが似たように標準化されたらどうでしょう。


例えば、ある取り組みがあったとしましょう。

違和感を感じることがあっても波風立てないためにも、何も言わない。

いわゆる、何も見ないふりをする。

そうするとその場では、穏便にモノごとは進むでしょう。

しかし何も見ないふりをすることで、次の世代にその風潮が継承されます。

それが、よく分からない伝統的な風潮になったりします。

でもこれがこのコミュニティで生きていくためには大事な事だったりします。

『何で違和感があるのに、見ないふりをしていくことが良い事なの?』

多分子供だったら大人に素直にそう聞く子もいるでしょう。

『これがここで生きていく術なんだよ』

と答えられる。


何か虚しくないですかね。

と僕は思います。


残念ながら、標準化されると、過去の自分すら忘れそうになります。

自分の悪いところ以外にも良かったところでさえも、標準化で消去される。

悪いところと良いところは繋がっていたりします。

悪いも良いもそれを見る視点次第。


分かりやすいのは、

『節約』と聞けば、良い言葉です。

しかし、『ケチ』と聞けば、悪口に聞こえます。

そのぐらい、見る視点を養うことは大事だと僕は思います。


なぜこのコトについて触れたかというと、標準化されるとアイデアを実行する行動力まで排除されてしまうからです。


それもとにかく若いうちに気が付くことが大事だと感じます。

今僕たちが当たり前に使っているサービスを創業した人たちの年齢は10~20代です。


この人たちが当時世の中の社会に標準化されていたら、今僕たちが当たり前のように身近にあるモノ・サービスはなかったでしょう。


全てにおいて超ワガママに生きろというわけではありません。

『WHY』を持ちながら生きるコト。

違和感を持つという感性は素晴らしいです。

大衆が普通と思っていることに違和感を覚える。

そうやっていろんなアイデアがこの世の中で具現化されてきました。


もう一つ歴史上の人物のご紹介をさせてください。

飛行機を最初に開発したライト兄弟。

ライト兄弟が飛行機に初めて関心を持ったのが、小さな子供の頃でした。

天才と言われていたペノーが発明したおもちゃの小さな模型のこうもりを買ってきたことがきっかけでした。

しかし世に認められず、このペノーは30歳で自殺されたそうです。

その後ライト兄弟は大人になり、グライダーの空中滑走で事故にあった記事を見てから、空飛ぶ飛行機についての研究を始めることになります。

普通だったら、可愛そうな事故だねで大衆は終わるのに対して、ここから研究が始まるのです。

そしてたくさんの著書を読んだり、専門家に合いながら、何度も何度も研究をしました。

その結果、飛行機を飛ばすために必要だと思うエンジンとプロペラを探しました。

しかし求めるエンジンとプロペラは売っていませんでした。

この時点で普通だったら諦める人も多いですよね。

ライト兄弟はこうなっても諦めず、自分たちでエンジンとプロペラを開発し始めます。

とにかくアイデアの転換が凄いのです。

船のプロペラが参考になるのではないかと思えば、船を調べまくる。

そしてそんな研究を経て、飛行機を初めて飛ばすことになります。


しかし飛行機を飛ばしたからと言って、それをどうするの?

周りは、単なる趣味にしか思いません。

しかしライト兄弟はビジネス家の目線もあります。

郵便輸送や探検もしくは軍事偵察機に役立つだろうと踏み、営業を始めます。

軍事偵察機に役立つと思った理由は、戦争を早く終わらせることができると思ったからだそうです。

という形で実際に飛行機を産業化させることに成功したのです。


この発想を標準化された人たちは行えないはずです。

『異人』ですよね。

今でいうと、瞬間移動で空間を移動したいんだよね。という話をしたとしても『何それ?無理でしょ?』という人がほとんどだと思います。

今でいうと、VRがそうなっていきそうですね。


アートでもそうです。

見ていて何も思わないアートはつまらない。

何か違和感を持たせて、考えさせてくれるアートの方が味があります。


だから自分の本能的、今まで学んできたことで違和感を感じたことがあれば、それを声にだす。

やってみたいことがあれば、やってみる。


私たちは生まれた時、当たり前ですが何も分かりませんでした。

だから違和感を感じることも当たり前の本能です。

大人になり、違和感を感じないようにしつづけることで、ある部分の感性がシャットダウンされてしまいます。


そのように生きたい人はそうすればいいですが、そうではない生き方をしたい人は、標準化されている自分にまず気が付き、違和感を感じることを再度思い出してみてはいかがでしょうか。

そしてその違和感を解消する術をアクションで叶えていく。


そんな生き方もあるのではないでしょうか。

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