江戸智美評 ダンティール・W・モニーズ『ミルク・ブラッド・ヒート』(押野素子訳、河出書房新社)
評者◆江戸智美
飼い慣らされるなんてごめん――生きたいように生きていい
ミルク・ブラッド・ヒート
ダンティール・W・モニーズ 著、押野素子 訳
河出書房新社
No.3600 ・ 2023年07月22日
■「ピンクは女の子の色」。一見、無邪気な言葉で始まる表題作「ミルク・ブラッド・ヒート」だが、十三歳の少女キーラとエイヴァが、好きなピンク色を自らの身体からどのようにして作り出すかを知ると、印象はガラリと変わるだろう。「手のひらを切り、ミルクがいっぱい入った浅いボウルに血を滴らせ」、スプーンでよくかき混ぜる。好みの色になったら、できあがり。一滴も残さずに飲み干すと、二人は「血の姉妹」となる。エイヴァは、キーラの血が体内に吸収され、自分の血と同化してゆく様を感じ取る――「唸り声をあげ、熱を発しているキーラの血」。二人の肌の色は違う。「ワンドロップ・ルール」が頭をよぎる読者もおられるだろう。血が混じることへの嫌悪、差別があからさまだった過去を吹き飛ばすかのような二人の儀式。新しい世代の登場だ。
ダンティール・W・モニーズは、一九八九年、フロリダ州ジャクソンヴィルに生まれた。表題作がアリス・ホフマン小説賞ほかを受賞し、全米図書賞「5 Under 35(三五歳未満の五人)」にも選出された。アメリカ文学を代表するミレニアル世代の作家、と称されるモニーズ初の短篇集が本書である。大人から子ども扱いされ、真剣に耳を傾けてもらえなかった自身の体験をベースに、濃密だからこそ激しく反発し合う家族の脆く複雑な人間関係や思春期の言葉に表しがたい想いを歯切れよく、ありのままに描く。特に、母と娘、時には祖母を含め三代にわたる女性の「生」が鮮やかに語られる。十一篇の作品を執筆中、著者は「同じような作品ばかり書いていてつまらない」と感じていた。だが、本書を締めくくる「骨の暦」の一節をあらためて読むと、そこに一連の作品に通底するテーマを見出したと振り返る。月の下で女たちが語る霊の物語に聞き入るシルヴィーが気づいたように――「私たち一人ひとりが過去へと遡る環である。母から娘、そして母へと、時間のはじまりから途切れることなく繋がり、乳と血で結ばれている」。
乳、血、そして熱。生を維持するために欠かせない根源的要素である。「血の姉妹」となり、自分の体内を他者の血が流れる脈動を少女が感じたように、モニーズの作品は、生々しい身体の感覚を呼び起こす。「饗宴」に描かれる流産した女性の喪失感は、自分の胎内に、自分とは別の命を抱えて感じる重みの裏返しでもあるだろう。一方、この世に命を送り出すことの重責を感じて、「欠かせない体」のビリーは産む決心を下すことができず、孫の誕生を待ちわびる母に妊娠の報告もしない。ビリーのためらいには過去の母の言葉が加担している。「あなたのこと愛してるけど、それでも時々、全然好きじゃなくなる」。自分もそんな言葉を吐くのではないかという不安。さらに、「現実と平行するもう一つの世界」に、いくつもの別の自分が見える――そうなっていたかもしれない自分の姿。選択を積み重ねて、自分の人生を築いてゆくには、諦め、捨て去ることも必要なのだ。「敵の心臓」では、フランキーが娘マーゴの幼かった頃を懐かしく思い出す。「かつては自分の体のなかにいた生物」、膝の上で自分を「『母』という名の神として崇めて」いた娘もまもなく十八歳。母への嫌悪感を隠そうともしないマーゴだが、あるときふと、母もひとりの人間なのだと気づく。「歳を重ねてはいるけれど、母親だって、この世で生きるのは初めてなのだ」と思うと、母に対して寛容になれる。モニーズの描く母/未来の母の姿は決して完璧な理想像などではない。悩み迷い、時に立ち尽くす姿に、世代や人種を超えて共感が集まるのだろう。
「ゴムボートの外で」や「悪食家たち」に描かれる人間のダークな面もまたモニーズ作品の特徴だ。特に、後者は読み進めるうちに結末が見えてくるのだが、いや、まさか……と予想を打ち消したくなり、どうか裏切ってほしいと願いながら、最後の一文にたどり着く。尾を引く作品だ。「水よりも濃いもの」では、疎遠になっていた兄妹がロードトリップへと向かう。母の依頼で、父の遺灰を故郷に撒くためだ。陶器の骨壺を抱えた妹は父をアーロと名前で呼ぶ。兄妹は父への想いが異なり、激しくぶつかり合う。「俺とお前は記憶の仕方が違うんだよ」と怒鳴る兄は、父が妹にしたことが許せないという。記憶もまた人が生きるときに厄介な存在である。「欠かせない体」のビリーが母の言葉を記憶し続けたようにオブセッションとなり得る。著者は「記憶もフィクションの一種」だと『文藝』二〇二三年夏号に収められた、ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーとの対談で述べている。私たちは記憶を時に書き換えながら自分自身の物語を紡いでいるのだろう。だが、本当にそれは自分の物語だろうか。「骨の壺」に登場する母ヘレンは、世界を旅するために娘を置いて家を出た。気まぐれに戻ってくると「家で飼い慣らされるのは、動物だけだよ」と娘に語りかける。いまだ期待される役割を無言のうちに強要される社会で、生きづらい、居場所がないと感じているすべての人に読んでほしい。「自分らしく生きることを学ぶか、別の誰かとして死ぬか。単純なことだよ」。
(大学講師)
「図書新聞」No.3600・ 2023年07月22日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。