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佐藤みゆき評 イム・ソヌ『光っていません』(小山内園子訳、東京創元社)

人間の持つレジリエンスへの強い信念と惜しみない声援――人生の応援歌のような作品群

佐藤みゆき
光っていません
イム・ソヌ 著、小山内園子 訳
東京創元社

■作者イム・ソヌは一九九五年ソウル生まれ。二〇一九年に『文学思想』新人文学賞受賞、二〇二三年には金裕貞作家賞を受賞。本書は二〇一九年の末から二〇二一年の末にかけて発表された八作品からなる彼女の初の短編集であり、韓国では二〇二二年に小説家五〇人が選ぶ小説の第三位に選出されている。
 作品では、奇妙な状況設定のもと、現代の韓国社会に生きる人々の痛みや葛藤が、日常を切り取る巧みな描写を通してじわじわと映し出されていく。例えば表題作では、「私」はミュージシャンとしての活動がうまくいかなくなり、バンド仲間だった恋人と追われるようにソウルから地方に移って、雨漏りする家で、粗末な食事を食べながら「世界が滅亡してしまうことを願って」暮らしている。職も見つからない中で、ある夜、床に就いた主人公は大昔自分たちが一緒に歌った曲を頭の中で再生して「いつになったら、またあの時に戻れるだろうか。」と思う。そんな折、世界の海では刺した対象を自分たちと同じクラゲに変えてしまう新種のゾンビクラゲが大量発生する。再び音楽をやりたいという密かなしかし切実な夢実現のために、「私」は人間を新種クラゲに変えて海に送りだすという自殺ほう助まがいの怪しいビジネスに加わる。高齢の家族を厄介者払いしようと依頼する客もいる。お金が入っても人間の尊厳を傷付けるような仕事への罪悪感や違和感は消えない。(「光っていません」)
 苦労して大学を卒業したものの、その後就職活動に二年間失敗し続ける主人公もいる。その間に恋人、友人、安定した住居、健康的な食事とあらゆるものが消えていき、もはや自分の存在意義が見えない。最近では志望理由書ではなく遺書を書き溜める生活を日々送っていたが、ある夜更け、コンビニに買い物に出たところ、落ちてきた看板が当たって死んでしまう。急死だという理由で地上に百時間残れる猶予をあの世の使者である鳩から告げられるが、すでに生きる目的も気力も失っていた主人公はどこで何をしたらいいかわからない。(「カーテンコール、延長戦、ファイナルステージ」)
 「冬眠する男」で描かれるのは役者を夢見て下積み生活をしている「あたし」だ。所属していた劇団が経営難で興行できなくなって始めた代行ビジネス。客の依頼を受けて他人に成りすます日を送って嘘を重ねるほどに悪夢を見るようになる。自分のやっていることが「自分を守ろうとして、他人を傷つける人たち」の片棒を担ぐことだと「あたし」は気付いていく。
 ここに挙げた三作品を始め、思うような職に就けないことが主人公の生きづらさの要因になっている話が多い。韓国の就職難はつとに知られているが、作品の発表時期とコロナ禍が重なっている事情もあるだろう。他にも、家父長的な文化(「見知らぬ夜に、わたしたちは」)、性的マイノリティへの差別意識(「家に帰って寝なくちゃ」)、ジェンダー(「冬眠する男」)といった社会的課題が作品から読み取れるが、作者の眼差しは社会の構図そのものよりも、その中で生きている人々の姿に向けられているようだ。
人生に戸惑う主人公たちに注がれる作者の眼差しは暖かく信頼に満ちている。その事がよく表れているのが「幽霊の心で」だ。
 事故で意識を失ったままの恋人を二年間見舞う主人公「私」は内なる自分である自分の感情と出会う。「私は、ただ、あんたの感情を、あんたと同じように感じてる。」と話す、自分にしか見えないその存在を、「私」は「幽霊」と名付ける。「私」とともに行動し、「私」の感じることを「私」よりよく知って声に出す「幽霊」。そのおかげで自分の感情に目を向けるようになった「私」。そんな「私」を、「幽霊」は、温かく見守り、じっと耳を傾け、何も否定することなくそっと寄り添い続ける。やがて「私」は、認めることが辛いあまり蓋をしてきた自分の感情に正面から向き合う勇気を取り戻して、自分の気持ちに素直に従うことで前を向いていく。(「幽霊の心で」)
 さらにイム・ソヌは、痛みを抱えた人々が、同じように痛みを抱える他者と出会い、その人に寄り添う中で、自分自身の痛みからも回復していく過程を丹念に描いている
 じきにこの世から消えてしまう他者が人生を賭けて努力してきた夢を何とか実現させようと一緒になって限られた自分の時間を費やす人(「カーテンコール、延長戦、ファイナルステージ」)。恋人との突然の別れに傷ついた他者の心の傷が癒えるのを横にいてケアしながら静かに見守っている人(「夏は水の光みたいに」)。信仰宗教に頼るほど孤独な他者の居場所を自分の中に作る人(「見知らぬ夜に、私たちは」)。客として出会った他者の人生の願望に仕事の枠を越えて人間として寄り添う人(「光っていません」。彼らは自分を取り戻し、人生の美しさを思い出し、自分のこれからを語りだし、ありのままの自分を見せることのできる真の友人を見つけ、自分の人生で本当にやりたいことに取り組んでいく。人間は、他者を想い、繋がることでより強くなれる存在なのかもしれない。
 どの作品にも人間の持つレジリエンスへの作者の強い信念と惜しみない声援が溢れている。人生の応援歌のような一冊だ。
 (英語講師・翻訳者)

「図書新聞」No.3676・ 2025年2月22日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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