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江戸智美評 ルシア・ベルリン『楽園の夕べ――ルシア・ベルリン作品集』(岸本佐知子訳、講談社)
ルシア・ベルリンによる万華鏡――本書の引力はとてつもなく大きい
江戸智美
楽園の夕べ――ルシア・ベルリン作品集
ルシア・ベルリン 著、岸本佐知子 訳
講談社
■短篇集は隙間時間に少しずつ味わえるのでありがたいが、ルシア・ベルリンの場合は作品世界にどっぷり引きずり込まれてしまい、本を閉じて、さあ! と日常に戻ろうとしても簡単ではない。紙面の文字を追っているだけなのに鋭く五感を刺激され、現実との境界が曖昧になる。リアルな夢から醒めて、ここはどこ? と首をかしげたことはないだろうか。あの感覚に近い。メキシコ、チリ、テキサスはたまたニューヨーク――瞼の奥に色鮮やかな残像が焼き付いている。足の裏に感じるのはざらざらした白い砂、それとも、ふんわりとしたミモザの黄色い絨毯? コルトレーンやマイルス、時にはストーンズが耳の奥に残る。『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』の引力はとてつもなく大きい。
二〇〇四年にこの世を去ったベルリンの作品四十三篇を収めたA Manual for Cleaning Womenがアメリカで出版されたのは二〇一五年。日本では二冊に分け、『掃除婦のための手引き書』(以下、『手引き書』)と『すべての月、すべての年』(以下、『すべての月』)が発行され、多くの読者を魅了した。第三の作品集となった本書『楽園の夕べ』は、底本Evening in Paradise収録の二十二編を収めたものだ。
ベルリンが実人生を下敷きに作品を書いたことはよく知られている。掃除婦、ERの看護師、教師、刑務所での創作指導など多様な仕事を経験し、三回の結婚を経て、四人の子供を育てた。身内のアルコール依存症、薬物中毒に加え、自身もアルコール依存症に苦しんだ。だが、苦悩や悲嘆が作品に前景化されるわけではない。どこかにドライなウィットを忍ばせ、ふっと肩の力が抜ける場面を用意してくれる。
ベルリンの作品から万華鏡を連想する人は多いだろう。手で少し角度を変えると、目の前に広がる模様が次々と変わる。指でページを捲ると、短篇ひとつひとつが別の顔を見せる。先は予測できず、常にわくわく感が止まらない。今回は、ジグゾーパズルのピースが合う場所を見つけたときの快感も味わえる。
冒頭の「オルゴールつき化粧ボックス」と「夏のどこかで」は、『手引き書』収録の「沈黙」で〈友情が終わったのがわかった〉と書いたシリア人のホープと過ごした子供時代が生き生きと描かれる。洪水をものともせず、赤い泥水が流れる道路に飛び込み、押し流されてブロックの端まで行くと、また走って戻り飛び込むことの繰り返し。〈太陽光線がちょうどガラスのモザイクのじゅうたんを照らし出す〉魔法を見て身動きできなくなった瞬間。大切な友人と決別したとわかっているだけに幸福感がまぶしく切ない。
この場面はいつかどこかで見た、と既視感を覚えたのが、「聖夜、テキサス 一九五六年」だ。『すべての月』の冒頭に収められた「虎に嚙まれて」で描かれた親戚大集合で、屋根の上から〈このあばずれども!〉と叫んだタイニー伯母さんの登場だ。同じ出来事も語り手が変わると奥行が増し、見えるディテールも異なる。ふと口元がゆるみ、不謹慎だったか、と思い直すハプニングで幕を閉じるのもベルリンらしい。コンサートで最後の一音が消え会場が静まり返ったとき、拍手をしてよいものか周りの様子を探りたくなることがある。ベルリンの作品の終わりもまさにそんな瞬間だ。予定調和に慣らされた心がよい意味で裏切られ、戸惑いながらも新鮮な驚きに沸き立つ。
時空を飛び回るようなダイナミクスを感じた前二作に比べると、本書はほぼ時系列に沿って短篇が並ぶ。ベルリンの子供時代を彷彿させる前述した二つの短篇に続いて、「アンダード あるゴシック・ロマンス」は大人への過渡期にある少女ローラの物語だ。仲良しのケーナ、コンチと一緒に〈予行練習で薬戸棚にキス〉してみるローラだったが、四日間の休日で親友にも話せない経験をする。いや、話したけれども、すべてではなく、差しさわりのないドラマチックな話に仕上げてしまう。ベルリンの語りの原型を見る思いがする。
作品に登場する女性は、常にタフで主導権を握っているわけではない。「リード通り、アルバカーキ」で、〈子供のいる男は徴兵を免除されるんだ。そんなことでもなきゃ、僕が結婚なんかすると思うか?〉と言い放つレックスと結婚したマリアに主導権はない。レックスは新居だけでなくマリアをも改造する。〈粘土で像でも作るみたいに〉〈手直し〉されるマリアは、レックスの前ではまったく無口になってしまう。他にも、〈言葉がほしいの!〉(「霧の日」)や、〈お願いだからわたしと話して〉(「桜の花咲くころ」)と、話し相手を求める思いが目に留まる。「ルーブルで迷子」では、パリじゅうの観光名所を回った女性が美容院で髪を洗ってもらい〈誰かの手で触れてほしくて〉すすぎをもう一度頼む。外からは窺い知れない孤独がひっそりと存在する。
同様に、ひそやかな《終わりの始まり》を感じさせるのが、表題作「楽園の夕べ」だ。プエルト・バジャルタのバーに、ジゴロ、離婚した金持ちのアメリカ人女性、ドラッグディーラー、映画監督に世界的大スターたちも入り乱れ、それぞれの時間を過ごす。タイトルとは裏腹に〈もう楽園でもなんでもない〉とか、〈楽園暮らしも疲れるよ〉と常連客の声が聞こえる。アルコールで、ドラッグで、または遊び疲れて眠りに落ちる人々は、人生の夕べが近づく現実から目を逸らしたいのかもしれない。
作品集を締めくくる「新月(ルナ・ヌエバ)」は光と色の描写が美しい。海のそばの岩場にあるプールで、見知らぬ男に頼まれて赤ん坊を抱いた女は、つづいて初めて海を見るという老女が転ばないようしっかりと抱きしめる。やっと束縛から解放されたと神に感謝する老女の言葉に、女は自らの体験した〈血の出るような束縛〉を思い起こす。過去に思いを馳せる二人に注ぐ細い月と星の光はやわらかく、街灯はオパール色の光を投げかける。
新月の頃は月と太陽の引力が重なり、潮の満ち引きが大きくなる。ベルリンの引力はいつだって強力だが、その力で日本の読者を魅了するには訳者の引力が重なってこそ。ベルリンに引き合わせてくれた訳者にあらためて感謝したい。
(大学講師)
「図書新聞」No.3665・ 2024年11月30日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。