江戸智美評 リチャード・ライト『地下で生きた男』(上岡伸雄、作品社)
物語という形で「Black Lives Matter」と声を上げたリチャード・ライト――表題作の完成版が初邦訳、そして多才なライトを知ることのできる多彩な日本語版オリジナル
江戸智美
地下で生きた男
リチャード・ライト 著、上岡伸雄 編訳
作品社
■第九十六回(二〇二四年)アカデミー賞脚色賞を受賞した『アメリカン・フィクション』は、黒人のステレオタイプ満載の作品を“これこそリアルだ”と歓迎する出版業界が舞台だ。主人公の売れない黒人作家が半ばジョークのつもりで、白人主流の読者が期待する“黒人のリアル”を描いた作品が予期せぬ大ヒットとなり騒動を巻き起こす。現代社会で黒人のステレオタイプが消費される様を鋭く風刺するコメディ作品だ。
リチャード・ライトもまた長い間、抗議文学の担い手という枠に押し込められてきた存在といえるかもしれない。長らく絶版となっていた代表作『ネイティヴ・サン』の新訳が二〇二二年末に出版され、話題となったことは記憶に新しい。一九四〇年に原書が発表された時点で削除されていた箇所が復元されたのを受けての邦訳であり、その興奮冷めやらぬ今年二月、続いて刊行された作品が『地下で生きた男』(上岡伸雄・編訳)だ。こちらの表題作も紆余曲折を経て、削除されていた冒頭部を再現して出版される運びとなった。詳細は「編訳者あとがき」に詳しい。
問題の冒頭部は主人公フレッド・ダニエルズが殺人犯に仕立て上げられる場面だ。殺人事件の起きた家の隣家で働いていたフレッドは、週給をもらって帰路についたとき、パトカーの中から自分を見つめる白人警官の視線に気づき立ちすくむ。「こいつでよさそうだぞ」、「おい、こいつをしょっぴこうぜ」という警官の言葉から、今なお続く「ストップ&フリスク(警官が疑わしいと判断した人物を呼び止め、令状なしに所持品検査や身体検査をする行為)」を連想する読者も多いだろう。警察にとって、おあつらえ向きの容疑者フレッドは、有無を言わせず署に連行される。彼を待ち受けているのは暴力による取り調べ――睡眠を奪われ、繰り返し暴行を受けた結果、朦朧とした意識の中、視点も定まらず文字が読めない状態でフレッドは自白書にサインをさせられる。
冒頭の生々しい描写を初めて読んだとき、ライトの娘は煉瓦で殴られたような衝撃を受けたと述懐している。当時の社会状況を考えると、出版にあたり削除されたのも致し方ない。この後、フレッドは警官たちの隙をみて逃げ出し、マンホールから地下にもぐることになる。冒頭部を欠いた初版では、地下に逃げざるを得ない理由が不明瞭だと指摘されたが、完成版の登場でその点はクリアになった。また、警官による黒人への暴力が頻発し、BLM運動の高まりともあいまって、ライト再評価の機運が高まったという。
フレッドが地下にもぐると場面は一転する。上岡氏はここが作品の分岐点であり、以降は〈自由な即興〉だという。たしかに、〈ほかの価値観と法律を持つ別の世界〉で生き、別世界から〈上の世界〉を眺めるフレッドは自らを解放したかのように自由に行動し、しばしば奇妙な笑いを浮かべる。地下に広がる下水道を手探りで進み、葬儀屋、保険屋、果物店、宝石店などに侵入する。時計、大量の紙幣、ラジオ、ダイヤモンドにタイプライターまで次々と盗みを繰り返すが罪悪感を覚えることはない。それら〈戦利品〉は〈自分の人生の領域外にある、奇妙な道具〉、〈玩具〉であり、本来なら一生手にすることもない。フレッドには許されぬ、別の人生の存在が明らかだ。
地下で生きるようになったフレッドは、かつて共に歌い祈った兄弟姉妹に違和感を覚える。それが顕著に現れるのが賛美歌を聞いたときだ。〈自分が犯してもいない罪を犯したと考え、そのために死ななければならない〉と考える人々の罪悪感は何に起因するものなのか。社会が構築し個人に押し付けようとする道徳観や宗教的価値観をフレッドは距離をおいて観察し、根源的な罪、人間の存在といった普遍的な問いに対峙する。
フレッドが逃げ込んだのは自然が造り出す森林や洞窟ではなく、人工的な構造物である下水道だった。地上世界の快適な生活を支え、汚水や見たくないものを押し流し、捨て去る場。目の前を人間の赤ん坊まで流れてゆく地下の世界は、黒人たちが追いやられた現実社会の最下層を示唆している。二つの世界を行き来するフレッドは両者の価値観の間で揺れ動く。罪悪感の呪縛を解きたい衝動に駆られるフレッドを追って、読者はページを繰り続けるだろう。
本書は表題作のほかに中短篇が五篇収められている。被害の甚大さでよく知られた一九二七年のミシシッピ川大氾濫にまつわる物語「川のほとりで」。この大災害はレッド・ツェッペリンのカバーでも知られる「When the Levee Breaks」など数曲のブルースで歌い継がれているが、ライトは具体的な家族の物語を通して、黒人がどのような立場に置かれていたかを克明に描く。自然災害が起きたときに犠牲となるのは常に弱者であることは今も変わらない。「長く暗い歌」と「影を殺した男」も黒人の日常生活を侵食する、白人への恐怖と怒りが描かれている。選択肢は死以外にない状態に追い込まれる不条理に、ライトは物語という形で「Black Lives Matter」と声を上げたのだ。
舞台がコペンハーゲンという珍しい設定の「でかくて親切な黒人さん」は内容もまた想定外と言えそうだ。真夜中にホテルを訪れた〈巨大な黒雲のような男〉に恐怖を感じる白人の視点で描かれる短篇だが、くすっと笑いのもれる作品だ。「何でもできる男」は、すべて会話で綴られたラジオドラマの脚本だ。黒人夫婦のテンポよい会話を通して、二人が失業中でなんとか仕事を見つけようとしていることがわかる。料理人だった夫、カールが新聞の求人広告に掲載された家政婦の仕事を得るため女装して面接に出向くとさっそく採用され、白人家庭での騒動がコミカルな会話で描かれる。
本書は表題作の完成版が初邦訳というだけでなく、同時に、ライトのこれまであまり知られてこなかった別の顔をあらためて地上に引き出したという点で意義がある。抗議文学にとどまることのない多才なライトを知ることのできる多彩な日本語版オリジナルだ。
(大学講師)
「図書新聞」No.3638・ 2024年5月4日に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。