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待場京子評 ジーン・ダフィー『サッカー・グラニーズ――ボールを蹴って人生を切りひらいた南アフリカのおばあちゃんたちの物語』(実川元子訳、平凡社)
おばあちゃんがサッカーをはじめた!――国境を越えたシスターフッドの物語
待場京子
サッカー・グラニーズ――ボールを蹴って人生を切りひらいた南アフリカのおばあちゃんたちの物語
ジーン・ダフィー 著、実川元子 訳
平凡社
■ 二〇一〇年ワールドカップ南アフリカ大会がおこなわれたのは今からもう十四年も前のことだ。抜けるような青空と、スタンドにあふれかえるアフリカ各地の民族衣装の鮮やかな色彩。何よりもプラスチック製の細長い笛「ブブゼラ」の耳をつんざくような音。アフリカ各国のチームには呪術医なる人物が同行し、呪いをかけたりかけられたりしているといった噂も話題を集め、特別な祝祭感があったのを覚えている。
その南ア・ワールドカップの開催を直前に控えた同年のこと、慎ましいながらも意義の点からいえばワールドカップにも引けを取らないプロジェクトが進行していた。それが本書『サッカー・グラニーズ ボールを蹴って人生を切りひらいた南アフリカのおばあちゃんたちの話』だ。著者はアメリカ・マサチューセッツ州在住のジーン・ダフィー。このプロジェクトの発案者であり、当事者である。
ある朝、ジーンがひとつの動画を目にしたことがすべての発端だった。太りぎみの黒人の高齢女性たちが革のボールを追いかけて夢中になってサッカーをしている。南アフリカで親しみを込めてグラニー(おばあちゃん)と呼ばれる四〇代後半から八〇代前半までの女性で構成されたサッカーチーム「バケイグラ・バケイグラ」だ。バケイグラもツォンガ語でおばあちゃんという意味である。
自身も五十を過ぎ、同年代の女性とサッカーを始めていたジーンは、そこで途方もないアイディアを思いつく。アメリカでおこなわれるシニアサッカー大会に、このグラニーたちを招待できないかと考えたのだ。本書にはこの夢を実現するまでの困難な道のり、その夢が叶ったときの喜びと感動、その翌年に今度はジーンらが南アフリカに招かれ、交流を果たすまでの軌跡が生き生きと描かれる。
南アフリカのグラニーたちは一足飛びにサッカーを楽しめるようになったわけではない。その裏にはひとりのスーパーウーマンの存在があった。レベッカ・ンツァンウィジ、通称ベカ、周りから尊敬を込めてママ・ベカと呼ばれている女性だ。
一九九四年までアパルトヘイトという悪名高い差別政策が敷かれていた南アフリカだが、黒人で、女性で、しかも高齢者というグラニーたちは、いまも社会で最も弱い立場にある。南アではエイズの蔓延で若者が多数命を落としたが、後に残された孫たちの面倒を見ているのがグラニーたちだ。貧しいなかでの子育てで気苦労が絶えない。寄る年波で身体にもガタが来る。そのうえ認知症の兆しが出てくると「悪魔が憑いた」とされてリンチに遭い、無惨に殺される事件がいまだに起こっている。
自身は恵まれた境遇で育ったものの、幼い頃から困った人に手を差し伸べる情熱が人一倍強かったベカは、こうした窮状に立たされている身近なグラニーたちを放っておけなかった。彼女たちをなんとか外へ誘い出し、運動をさせて健康を取り戻させ、連帯する仲間がいると伝えた。
そうしてグラニーたちを原っぱに集めて運動をしていたある日、少年たちが蹴っていたサッカーボールが飛んできたのだという。ひとりのグラニーがそのボールを見事に蹴り返したのが「バケイグラ・バケイグラ」の誕生の瞬間だ。やがて何十人かのチームメンバ―が集まった。ベカは隣町にもチームを作るようにもちかけ、瞬く間にその州全域でサッカー・グラニーズのチームが六つも結成された。
本書を読めば、アメリカで動画を見たジーンが、なにも興味本位でベカに連絡を取ったわけではないことがよくわかる。世界各国で女性がスポーツを楽しむようになったのは、それほど昔のことではない。西欧でもスポーツをする女性が嘲笑の的になったり、まともに取り合ってもらえなかったりした時代があったのだ。いまだ全世界の女性がその余波を経験し共有している。
だからこそ、ジーンにとってベカの活動は他人事ではなかった。ひるがえって本邦の女性が置かれている立場の厳しさについては、ジェンダーギャップ指数をあらためて持ち出すまでもない。日本女性がグラニーたちの不屈の精神から学べることはたくさんある。
進行癌を長年抱えているベカだが、彼女にはいつか高齢女性たちのワールドカップを開催したいという夢がある。その夢を紹介する著者ジーンの語り口も魅力的だ。何度も戸惑い、自問自答しながらプロジェクトを進める等身大のジーンの率直さと真摯さにふれると、自分にも何かできることがあるかもしれないと思えてくる。最後の一ページを閉じたとき、心に爽やかな風が吹き、世界を良くするために、自分にもできることはないだろうかと考えられるかもしれない。
サッカーをプレイした後、グラニーたちは足を踏み鳴らして踊り、歌う。彼女たちは人生を楽しんでいる。
私たちはおばあちゃんさ
私たちには敵はいない
私たちが闘う相手は病気だけ
私たちはサッカーをして、得点を決めた
そしていま、私たちは心も軽く走っている
(翻訳者/ライター)
「図書新聞」No.3670・ 2025年1月11日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。