見出し画像

三角明子評 ミゲル・デリーベス『無垢なる聖人』(喜多延鷹訳、彩流社)

評者◆三角明子
無垢なる者の声と、新しい風――遠い昔に時が止まったかのようにも見えるこの物語の世界も、同じままではいられない
無垢なる聖人
ミゲル・デリーベス 著、喜多延鷹 訳
彩流社
No.3593 ・ 2023年06月03日

■大切な存在に、自分だけの呼び名をつける。
 飼っていたミミズクと、その死後しばらくして育てることになったミヤマカラスを、アサリアスは等しく「かわいいトンビちゃん」と呼ぶ。もうひとり、姪のチャリートも彼にとっては「トンビちゃん」だ。心身に障害を持って生まれ、大きな赤ん坊のようなチャリートと、真面目な働き者だが大人の知能を持たないアサリアスが、本書での「無垢なる聖人」である。
 舞台は一九六〇年代、大土地所有の残るスペイン南西部エストレマドゥーラ地方。荘園で動植物の世話などをしていたアサリアスは高齢を理由に暇を出され、別の荘園で働く妹夫婦の家に身を寄せることになる。小さな家には、姪チャリートを含む四人の子どもがいる。
 ある日アサリアスはミヤマガラスの雛をもらい、「トンビちゃん」と呼んで、真綿にくるむように大切に育てる。「トンビちゃん」は立派に飛べるようになってもアサリアスを忘れず、戻ってくると彼の肩にとまった。
 狩りの季節になり、荘園の所有者一族の「若様」イバンがやってくる。犬も顔負けの鋭い嗅覚の持ち主で献身的に仕えるパコは、長年イバンのお気に入りだ。しかし、モリバト狩りの助手を務めていて木から落ち、その後も無理を重ねて、役目を果たせなくなる。猟で多くの獲物を仕留めることしか頭にないイバンは、鳥の扱いがうまいと見込んだアサリアスを伴うことにするのだが……。
 本書『無垢なる聖人』の著者ミゲル・デリーベスは、二十世紀後半のスペインを代表する作家のひとりである。十代でスペイン内戦(一九三六‐三九)を経験したデリーベスは、四九年発表の『糸杉の影は長い』(彩流社、既刊)で作家としてのキャリアを歩みはじめる。地方・農村の自然や文化に暖かいまなざしを注ぐ一方で、そこに住む人々の悲惨な状況に心を痛め、〈持てる者〉たちの傲慢を看過しない姿勢は、多くの著作に共通する。しかし、告発の道具として物語を利用するわけではない。作品ごとに注意深く選びぬかれた文体は一見シンプルで読みやすく、登場人物の境遇や性格に沿ったことばは生き生きと響く。
「妹のレグラは兄アサリアスの態度が気に食わない、それでよく口喧嘩になった、するとアサリアスは若様のいるハーラ荘園にぷいと帰っていった、(……)」で始まる本書は、デリーベス作品のなかでも特異な語り口の小説だ。六つの章からなり、各章の末尾にのみピリオドをうつ。そのため一五〇ページほどの本文からなる本書は、形式上、非常に長い六文で構成されることになった。読点による区切りをはさんで続いていく文にはじ
めは驚くこともあるだろうが、ここでアサリアスの働きぶりの一部を紹介しよう。「(……)おまけに、アサリアスは犬の世話もした、シャコ猟犬、セッター犬、キツネ猟犬三頭を世話していた、夜半に野犬がカシの林で遠吠えしたり、荘園の犬たちがそれに呼応して騒いだりすると、アサリアスは優しく言葉をかけてなだめ、鼻の上をいつまでも揉んでやって大人しくさせ眠らせた、夜明けの薄明かりとともに中庭に出ると大きな伸びをし、表門の扉を開け、札の金網で囲ってあるカシ林にシチメンチョウを放牧した、(……)」。語り手は、このあとも骨惜しみせずこまごまと働き続けるアサリアスに寄り添う。
 アサリアスや義弟のパコ一家に代表される〈持たざる者〉の対極には、荘園の所有者一族の「若様」イバンがいる。長年献身的に狩猟助手を務めてきたパコの負傷は、イバンにとっては自分の娯しみを損なうものでしかない。パコの息子キルセがそつなく代役をこなしても満足できず、松葉杖なしでは歩くこともままならないパコをまた狩りの場へと引っ張っていく。ささいなことでも気分を損ね罵倒のことばを口にするイバンは、傲岸不遜な支配者そのものだ。そしてパコも、夫を案じて泣きながら見送るレグラも、結局はその支配に従う以外の道を思い描くこともできない。
 だが、遠い昔に時が止まったかのようにも見えるこの物語の世界も、同じままではいられない。一族が所有する荘園で絶対的な権力を誇示するイバンの「誰でもみんな、階級制度に敬意を払わなくちゃならんのだ」ということばは、そのような変化への苛立ちから発せられたものだ。
 新しい世代を代表するのが、パコ夫婦の長男キルセだ。怪我をした父の代わりにイバンの狩猟助手を務めたキルセの働きぶりを、語り手は「名人芸」と紹介する。命じられたことは忠実にこなす。だがそれ以上のことはしない。父母の姿勢が〈奉公〉ならば、キルセのそれは〈仕事〉、それ以上でもそれ以下でもない。物語の序盤で物思いにふける若者として登場したキルセの意識は、すでに階級社会の外にいる。一九七五年、フランコの死をもって独裁政権は終わった。それから六年後に出版した本書で作者は、民主化したスペインを象徴する人物としてキルセを描いたのではないだろうか。
(大学教員・翻訳者)

「図書新聞」No.3593 ・ 2023年06月03日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?