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待場京子評 アン・カーソン『赤の自伝』(小磯洋光訳、書肆侃侃房)

評者◆待場京子
アン・カーソンによる破格の世界ついに邦訳――ギリシア神話の英雄と怪物の切なく美しい愛の物語
赤の自伝
アン・カーソン 著、小磯洋光 訳
書肆侃侃房
No.3570 ・ 2022年12月10日

■本年のノーベル文学賞は仏の女性作家アニー・エルノーの手に渡ったが、カナダの詩人アン・カーソンも長年有力候補のひとりと噂されている。彼女が一九九八年に発表した代表作『赤の自伝』がついに邦訳された。古代ギリシアの詩人ステシコロスによる叙情詩「ゲリュオン譚」が、カーソンの自由奔放な構成と筆づかいで現代に甦る。
 ギリシア神話に登場するゲリュオンは、離れ小島で赤い牛を飼いながら暮らしている翼の生えた三頭三体の怪物だ。英雄ヘラクレスはその牛を手に入れるよう王から命じられ、ゲリュオンを矢で射て殺す。これがヘラクレスの「十二の功業」の十番目の物語である。ステシコロスはこの神話を単なる英雄譚としてではなく、殺されるゲリュオンの視点で語り直した。
 本作『赤の自伝』は、異なる文体からなる五つの短章によってステシコロスの成し遂げた文学的功績や、ステシコロス本人にまつわる逸話の検証が前置きのようにおかれた後、メインパートとなる「赤の自伝 ロマンス」が語られ、最後にアン・カーソンと思われる「私」と語られる内容や時代からしてステシコロスとは言い切れない「ス」による短い謎めいた対談で結ばれる。
 メインパート「赤の自伝 ロマンス」は、ゲリュオンがヘラクレスとの出会いと別れと再会を「自伝」として綴るという体をとっており、四十七の章を使って、不規則に改行される散文詩の形態で語られる。各章冒頭に警句のような短文が掲げられるのも特徴だ。現代に生きるゲリュオンは、背中の赤い翼を隠しながら、学校へ通い、写真を撮ることを覚え、思春期に運命の人である二つ年上のヘラクレスと恋に落ち、その恋に破れ、長じて地元の図書館で働くが、いつしか孤独を抱え、アルゼンチンへひとり移住する。ある日ブエノスアイレスの道端でヘラクレスと再会したが、彼は美しい青年アンカッシュを連れていた……。
 ゲリュオンの思春期までの舞台については、場所を特定する情報が何もない。十四でヘラクレスと出会ったゲリュオンは、ヘラクレスの実家「ハデス」にしばらく滞在すると語られるが、むろんハデスとはギリシア神話でいう「冥府」だ。いっぽう「自伝」の後半の舞台となるのは南米。物語の進行とともに、青年となったゲリュオンとヘラクレスとアンカッシュは、都市ブエノスアイレスから、ペルーのリマ、アンデス山脈奥地のワラスへと、太古の磁気に誘われるがままといった風情の、さながら道行きのような旅をする。ステシコロスは、ゲリュオンが殺される瞬間を「さながら罌粟の花が そのたおやかな姿を害のうて とつぜん花弁を打ち落とし」(『ギリシア合唱抒情詩集』丹下和彦訳)と描写したが、本作でこの比喩が使われるのは切なく甘い瞬間だ。
 ゲリュオンが綴る「自伝」を貫いて響いているのは火山のイメージ。冒頭にはエミリ・ディキンスンの火山の詩が置かれ、最後に三人が向かうのはアンデス高地の鄙びた村の火山だ。火山は、ゲリュオンの内側に秘められた溶岩のような痛みであり、一息でもたらされる死、すなわち永遠の解放への憧れも示唆しているように思われる。
 カーソンの紡ぐ言葉は、川の流れに逆らいながら泳ぎつづけ、時折方向を変える魚の群れのようだ。活きが良く、繊細で、掬おうとしてもするりと逃げていく。本作の冒頭で、硬直していた言葉とものとの関係を解放していったことがステシコロスの功績だと述べられるが、それはカーソンの才能そのものでもある。翻弄されることさえ愉しい、そんな比類のない読書体験が味わえる。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3570 ・ 2022年12月10日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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