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中井陽子評 ヴァレンタイン・ロウ『廷臣たちの英国王室――王冠を支える影の力』(保科京子訳、作品社)
激動の英国王室を支えてきた廷臣たちとは――ベールの裏に隠された王室の力学
中井陽子
廷臣たちの英国王室――王冠を支える影の力
ヴァレンタイン・ロウ 著、保科京子 訳
作品社
■英国 秘書官である。ロイヤルファミリーをめぐる数々の報道の裏で廷臣たちはいかに動いていたのか。普段決して表には出てこない彼らに光を当てて王室運営の内幕を明らかにしたのは、英タイムズ紙の王室担当記者ヴァレンタイン・ロウ。四半世紀にわたる王室への取材経験とその間に培ったコネクションを駆使し、一〇〇本近いインタビューを敢行した。著者だからこそ得られた貴重な証言をふんだんに盛り込んだ本書は、英王室の裏事情を鮮やかに描き出している。
王室の主要メンバーにはそれぞれに専属の廷臣たちがいて、その出自も仕事の仕方も異なっている。例えば故エリザベス女王の治世、女王の側近には王室の前提をあらかじめ理解している貴族や軍出身の縁故採用者が多かった。それに対しチャールズ皇太子(当時)は前例に倣わず実業界や中流階級出身者からも秘書官を積極的に登用してきた。ただし気性が激しく昼夜問わず連絡を寄越す主君に仕える負担は相当で、人材の入れ替わりも激しい。一方ウィリアム王子とハリー王子、後にケイト妃も加わるケンジントン宮殿では、より一般的な感覚を持ち現実的なアドバイスができる人材が求められた。ウィリアム王子が信頼を寄せた秘書官は、郵便局員の父と保育士の母の下で育ち、名門校の出身でもない。こうした様々なバックグラウンドを持つ廷臣間に明確な上下関係はなく、時に宮廷をまたいで公務を進めなくてはならない。王室の組織の複雑さ、舵取りの難しさは想像以上である。
第一章、第二章はエリザベス二世、第三章は独身時代のチャールズ皇太子、第四章はエリザベス皇太后とフィリップ殿下と、前半各章では主君ごとに廷臣の仕事ぶり、廷臣から見た宮廷の様子が記されている。以降、第五章、第六章はダイアナ妃との離婚前後とそれ以降のチャールズ皇太子、第八章はウィリアム王子、ハリー王子と続く。興味のある章から読んでみてもいい。
第七章では、王室が一九九三年から所得税を支払うようになるいきさつ、ダイアナ妃の死がもたらした教訓など、大きな転換を迫られた際の廷臣の働きが明らかになる。また第一〇章では宮廷間のパワーバランスやあつれき、それに翻弄される廷臣同士の争いが描かれる。口絵に集められた廷臣たちの写真を見れば、それぞれが主君に対して精一杯尽くしてきた様子が浮かび、共感が沸くだろう。
後半第一二章からは、ハリー王子とメーガン・マークルの出会いから王室を去るまでの宮廷側の対応を、三章に渡って取り上げている。著者はメーガン妃が結婚当初から側近たちをいじめていたとする内部情報を報じた記者としても知られる。多くの元廷臣たちへの取材を通じて得た証言を基に、当時の状況を詳細に描きながら考察を展開している。夫妻の王室離脱には様々な要因が絡んでいるが、メーガン妃が廷臣と信頼関係を築こうとしなかったことの影響は何よりも大きい。廷臣たちの間ではもっとうまく対処できたのではと悔やむ声がある一方、苦しむハリーを王室から連れ出すという、ほかの誰にもできない離れ業をメーガンはやってのけたのだとの見方も示されている。
エリザベス二世が七十年に及ぶ治世において成し遂げたことは大きい。王室メンバーが国民と親しく言葉を交わす「ウォークアバウト」は、一九七〇年代に豪政府から派遣された廷臣による功績だという。それ以前には考えられなかった国民との近い距離での交流が、当時王室から離れつつあった人々の心をつなぎとめ、今や英王室を象徴する場面のひとつとなった。近年ではロンドンオリンピックや即位七〇周年記念コンサートでのコミカルな演出により、親しみある女王の姿を世界中に印象づけた。革新的なアイデアを好んだのは誰より女王自身だったと廷臣が振り返る。
一方、偉大な女王のあとを受け継いだチャールズ三世に国王として残された時間は少なく、何かを成し遂げるのは容易ではない。そのプレッシャーが自身と側近への厳しさにつながっていると著者は指摘する。ウィリアム皇太子については、否定的な報道があってもそれを受け止める冷静さと、批判を踏まえた上で自らの考えを明らかにする行動力が評価されている。皇太子の持つ現代的な価値観と真摯な言動が王室の求心力を高め、宮廷で働く人々の多様化が一層進むと期待を寄せる。
廷臣が奉仕するのは主君個人ではなく王室である。だが、廷臣たちはいつの時代も仕える主君が求める理想と王室全体の利益の間で揺れ動いてきた。君主に求められるのは、それを理解し、廷臣たちに王室が目指す姿を明確に示し、最善のアドバイスを求めることだと著者は結論づける。その上で、はるか以前の一五五八年、エリザベス一世が廷臣に対して告げた言葉でこの本を締めくくった。それはまさに、君主と廷臣のあるべき関係を表したものであった。王室と廷臣の仕事の成果は後の歴史によって判断される。王室運営の難しさを示しつつ、着実に変化している英国王室への期待も込められている。
(英語教員/翻訳者)
「図書新聞」No.3667・ 2024年12月14日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。