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江戸智美評 シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』(藤平育子訳、作品社)

評者◆江戸智美
記憶を語り継ぐ――人種を越えたシスターフッドと再生の物語
デッサ・ローズ
シャーリー・アン・ウィリアムズ 著、トニ・モリスン、デボラ・アートマン 巻末附録、藤平育子 訳
作品社
No.3591 ・ 2023年05月20日

■教えて、姉妹よ。教えて、兄弟よ。
あとどのぐらい続くのだろう
哀れな罪びとの苦しみは、この地での苦しみは?
 暗い地下室で鎖に繋がれた主人公デッサは自身の汚物にまみれ、動物のように歩き回る。赤ん坊が生まれるまで死刑は延期されたが、新しい命の誕生は自らの死を意味する。もはや未来への希望はない。亡霊たちと言葉を交わし、過去の記憶の中に生きる日々。だが、歌声の断片がデッサの精神を奮い立たせる。コール・アンド・レスポンス――アフリカ系アメリカ人の音楽の様式だ。デッサは窓に近づき冒頭の一節を歌う。コールに応じる声、重なる複数の声――デッサは「霊的交わり」を感じる。土地が変わろうと、見知らぬ人同士だろうと、アフリカ系アメリカ人の文化は継承され、息づいている。
 シャーリー・アン・ウィリアムズ『デッサ・ローズ』は音があふれている。プロローグを開くと、デッサの名を呼ぶ恋人ケインの言葉が流れ出す。最初の詩集『孔雀詩集』が全米図書賞にノミネートされ、詩人としても知られる著者が紡ぎ出す言葉は、瑞々しく若い二人をいきいきと描く。だが、自作のバンジョーで優しい曲を奏でたケインは、すでにこの世にはいない。プロローグの後半、読者に聞こえるのは、デッサの手足を繋ぎ止める鎖の音だ。
「一八四七年六月十九日」とアダム・ネヘミアが克明に記録する日誌で第一章が始まる。ネヘミアは奴隷暴動に関する本を執筆中で、デッサが関わった事件の情報を利用しようと聞き取りを行う。身重のデッサが、いったいどんな罪を犯したのか。ネヘミアとともに読者は、事件の真相を追及する過程をたどる。奴隷隊の反乱に関与したデッサは死刑判決を受けた後、ヒューズ保安官の農場に拘留される。死刑の延期は赤ん坊への温情からではなく、奴隷商人ウィルソンの復讐心と所有欲ゆえだ。あくまで奴隷は商品であり、デッサは自分たちが「子を産む騾馬」だと思い知らされる。どうせなら自分の手で、と多くの祖先が子殺しを選んだように、今ならデッサも中絶の道を選ぶかもしれない。
 ネヘミアはデッサの「耳慣れない慣用句や言い回し」に戸惑い、「話の流れを見失」って苛立つ。一方、デッサは面談を「単調な日々の息抜き」といい、挑発し、言葉で遊び、翻弄する。記録と記憶を並置する構成は時に読者をも戸惑わせる。真実はどこにあるのか、白人男性は黒人女性の言葉を正しく記録し得るのか――そう、著者が問いかけているようだ。
 三人の仲間に救出され逃げる道中、男の子を産み、衰弱したデッサはアラバマ州のグレン農場にかくまわれる。主が長期不在の農場は逃亡奴隷たちによって維持され、奇妙な共同体となっている。世間知らずの妻ルースは典型的な差別発言を漏らし、格別、奴隷に手を差し伸べるつもりもない。だが、理解できる範囲で徐々に考えを改め、周囲の者が目を疑うような行動に至る。十九世紀半ばという時代設定を考えると、ルースもまた既存の価値観に抗い、「反乱」を起こしたといえる。ルースに大きな影響を与えるネイサンは、「自由になった今、奴隷制度のもとで死なずに生きているみんなに」すまないと語る。行動の源にあるのは他者への理解。これが、自らを犠牲にしてでも現状に抗い、他者を救う行動を促すのだろう。
 再び音楽を伴いデッサの転機が訪れる。グレン農場にハーモニカの音が響く夜、「過去のバンジョーの音に耳を澄ますのをやめ」ダンスに興じるデッサは、存在することさえ知らなかった世界に、今、生きていると実感する。まるで自分は「見知らぬ誰か」のようだと。デッサを救ったハーカーは、《西》へ向かうという具体的な目標を掲げ、仲間に未来を与えた。入念に準備をしてルースをも巻き込み、デッサたちは一世一代の大芝居を打つ。人生を奪った奴隷制度を逆に利用して自由を得る、という逆転の発想に胸のすく思いだが、事はシナリオ通りには運ばない。
 最終章は危険と隣り合わせの冒険談だ。ある出来事を機に、デッサはルースへの態度を軟化させる。白人女性もまた白人男性による暴力の前では無力だという現実の前で、「我が身を守るのは自分自身であり、女同士が互いに守るほかない」のだ。続いてデッサに降りかかった危機をまさに「女同士が互いに守る」ことで回避し、デッサとルースは対等で強固な絆を結ぶ。二人はお互いを介して他者の世界を知り、自分に刷り込まれた「常識」を書き換えたのだ。大それたことはできなくとも、現実を知り、個々の意識を柔軟に書き換える――今の世界に求められていることかもしれない。
 エピローグでは歳を重ねたデッサが記憶を語り、息子モニーは「まるで彼自身が経験した記憶であるかのように」次の世代に語り伝える。デッサは「わたしたちの唇から聞いた物語」だと念を押す。白人による記録ではなく、口承による記憶の物語――『デッサ・ローズ』は未来に語り継ぐ声があふれている。
(大学講師)

「図書新聞」No.3591 ・ 2023年05月20日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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