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『リラックスしてやりましょう』の謎

私も『力を抜く』とか『リラックス』について、長いスパンで読んだり調べたりしてきたが、やはりというか結論じみたモノを感じた。

『はい、リラックスして〜』
      ↓
『わかりました』はほぼ不可能

その流れでゾーンに入るやら変性意識になる……などもかじってきたが、まず緊張状態から集中して行為し、尚且つある程度明確なフィードバックがある+まとまった時間――を作らねばならない。

だがしかし、精神の緊張状態というのは意図的に作るのが難しい。ワケもなく試合や本番が日常に組み込まれていないからだ。かといって『白線からはみ出したら死ぬ』を愚直に実現する人間も居ないし、殺し屋に狙われてもいない。加えて脳は平穏を望みがちだ。

なぜ物事が三日坊主などで終わるかというと、やり始めにある差異としてのフィードバックが薄れるからだろう。普段運動しない人がストレッチなどをしたら明確な差異を感じ取り感激する……が、いずれ。単純な反復運動ほど、その可能性を含んでいる。

……つまり私たちは常に『乗れない自転車』を持っているような気持ちで過ごすのがいいだろう。ありきたりな表現だが、初めて自転車に乗った時の風を切る感覚や感動は薄れてゆく。どこかの本には、現状の7%(?)ぐらい上の難易度が丁度いいとあったが、ピンとこないな。

あと呪いの言葉がある。

『素人が独学を続けると変なクセがつく』

私はぁ、物事の最初ってのは『がむしゃらに』とか『精一杯』の属性があるべきだと思うんだ。あまりに呪いを信じて牛歩やってると掴みそこねる何かがある気がすんのよね。

たとえば呼吸法などにしても、今は『吸う時もお腹を凹ませる』という方法を選んでるんですけど、この力の入れ具合……ってのが、もう『私はお腹を凹ませる為に生まれてきた‼️』ぐらいの気持ちでやっとトントンだと思う。で、翌々日ぐらいに『あ、こういう感じね』と実感してくる。

精神はともかく、肉体はある程度意図して『緊張状態』を作れるだろう。アメリカの海軍だか陸軍だかがやってる『全身ギュ〜して弛緩して寝る』みたいなアレと一緒。やっぱ意識した程度でリラックスなどできず、前段階として物理的消費があるんよな。

精神に戻すと、たとえば山登りとかがいいかなって思った。

・自分は山頂に辿り着けるだろうかという、不安や緊張がある。
・だが辿り着きたいので集中する。
・不安定な地面が単純な反復を妨げる。
・景色、雰囲気、ゴールというフィードバックがある。

編み物でどんどん新しい編み方に挑戦するとか、楽器で、とか目隠しして料理――色々思いつくな。

物語とかも仕組みはそうで、キャラクターが緊張状態に晒されるというメリハリ……部活モノでいう本番などがやっぱ必要なんよな。まぁ『緊張やだよォ〜』って気持ちも分かるが。

私も野山を駆け回るタイプだったので、山の素晴らしさと透明な無数のすいばりが手に刺さる恐怖は知ってる。だが他にはない雰囲気がある。虫さんを踏みたくないので冬がオススメ。

ともかく、岡本太郎が『迷ったら怖い方へ飛び込んでごらん』と言うのも、緊張状態云々が関わってると思うんよね。平穏の先に芸術は無い……とも言えるだろうか。

私はこれからも(結果的に)リラックスしてリラックスについて長いスパンで付き合っていくよ。




(๑•ૅㅁ•๑)『おい』

(。-∀-)『へぇ』

(๑•ૅㅁ•๑)『珍しくヨソ様に文句言ってない記事じゃねーか!』

(。-∀-)『ほ、ほんとだ‼️』

🎀『ファンタ! ファンタ!🎉』

🔔『奮発してウィルキンソンにしたよ🍇』

(。-∀-)『……』

🔔『……?』

(。-∀-)『これウェルチじゃん‼️』

🔔『あ……///』



リラックスは結果であり、行為に先立って存在しないと……思う!

『どぅっはぁ〜今日いっぱい遊んだ〜❗️(ランドセルベッドにドサァ!)……ふぅ』って瞬間に発生するもんじゃないかね。

それとか、お葬儀とかで家に人が集まって、全員が玄関から帰って扉が閉まった後の一瞬の 静寂シジミ とかじゃないかね。◀︎シジミとかアサリの汁って白くて静寂っぽいじゃん? シジマの打ち間違いじゃないもん。い〜だ。

じゃがです! 用事が終わったら『さっさと日常に戻ろっと』という意識こそが……邪魔かもしれぬ。

日常日常とうるさいかもしれんが、とにかく日常の中で『緊張(肉体的&精神的)▶︎弛緩』を意識していこう。

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