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僕らの中2病 (全5話 4,000文字)
1.万引なんてしねーよ
時代が昭和から平成に入って間もない頃、田舎町のある中学校でのありふれた日常を綴った物語である。
この中学は、3つの小学校を卒業した生徒に分かれていた。僕らはその中でも過半数を占める最大派の小学校グループだが、少数派の生徒から受けた影響は計り知れない。
それは中学生になるまでは、授業中に寝るとか、先生の話を聞かずにマンガを読むなどあり得ないと思っていた。ましてや先生から注意を受けているにも関わらず、その生徒が、
「うるせぇ、バーカ!」
と言い返すのを見て、何というか、もの凄い衝撃を覚えた。
僕は中学2年になって、英語の塾に通い出した。ある日、塾の帰りにスーパーへ寄り道をして、腹が減ったからとお惣菜を買おうとしていた。すると友達の真司が
「この天ぷらをレジに並ばんと食べる方法、知っとるか?」
と聞いてきた。僕は
「万引きはイヤだぜ」
と牽制して答える。しかし、真司は、
「万引きなんてしねーよ」
と言って、海老の天ぷらを手でつかみ、なんと口の中に入れてモグモグと食べてしまった。そして自慢げに彼は、
「な、盗んでないやろ?」
と僕にドヤ顔して見せた。少数派の学校では、これは万引きではなく、証拠も残らないというのだ。
口の周りを油でテカらせ、海老の尻尾を惣菜コロッケの下に隠すのを見ていた僕は、コイツらの真似は絶対出来ないと心からそう思った。
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2.絶対ニシキヤで売ってないで
時代が昭和から平成に入って間もない頃、田舎町のとある中学校でのありふれた日常を綴った物語である。
一時期、給食に細長くてパサついたお米が出ていた記憶がある。1993年 記録的な冷夏によって米不足になり、タイ米が学校の給食に使われるようになったのだ。
それはさておき、中学2年になって外国人先生がこの田舎町の学校にやって来た。名前をルーシーという。恐らく町のほとんどの住民は初めて見る異国の人間であっただろう。
彼女は並はずれて大きな体躯をしていた。中学校で1番大きい音楽の先生を軽く2.5倍は超えていた。
華奢で背の低い英語の先生と並んで教室に入ってくる様は何とも滑稽であった。
「ハロー、エブリワン! ハウ アー ユー?」
と始まる授業でも、象使いが連れてきた象が気になって英語どころではなかった。
ある日、真司と大輔がルーシーの下着について真面目に討論をしていた。まず真司が、
「絶対、ニシキヤで売ってないで」
と言うと大輔が、
「いや、1番大きいヤツで思いっきり伸ばせば入るんちゃうか?」
と、ルーシーのパンティーのサイズについて熱くバトっていた。そんな話の流れが近くにいた僕に飛び火してきて、
「タクはどう思うねん」
と聞いてきやがった。僕はどうでもいいと思いつつ、実際に見に行けばええやんと提案し、「ニシキヤ」へ皆で行くことになった。
ニシキヤはこの町で唯一の洋服屋であり、中学校のすぐ隣にある。
制服を着た坊主頭3人が、婦人服売り場の下着コーナーでパンティーを物色している。そんな謎の3人組に店員さんが声をかけてきた。
「何かお探しでしょうか?」
その店員はなんと幼なじみのオカンであった。
「あら、タクちゃん、何してんの?」
僕は凄く気まずい感じであったが、
「お、おう、おばちゃん1番デカいのはこれか?」
と5Lって書いてある大きなパンティーを指差した。そして、店員のおばさんは、
「えっ、ええ。だ、誰かにプレゼント?」
と聞いてきた。僕が適当に誤魔化している間に真司はデカいパンツのサイズを手で測り、すかさず大輔が、
「ほな、また来るわ!」
と何も買わずに店を後にした。
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3.オーマイガー
昭和から平成に入って間もない頃に田舎町のある中学校でのありふれた日常を綴った物語である。
この町で唯一の洋服屋「ニシキヤ」で1番大きいパンティーを確認した3人が学校に戻ってきた。
真司と大輔はさっそく職員室にいるルーシーの席まで行き、
「だいたいコレくらいやったな」
と2人でコソコソ話していた。日本語の分からないルーシーは、
「ワッツ? エニシング トゥラブル?」
と凄く迷惑な顔をして彼らを蹴散らすように言うと、大輔は、
「ノー ウォーリー!ヒゲ ソーリー!」
と答えてその場を立ち去る。そして彼らは5Lでは絶対にルーシーが入らないと断定した。ちなみにニシキヤでは未だかつて5Lの下着は売れたことが無いという。
放課後、真司は釣竿を持って現れた。これからルーシーのアパートに行って干してあるパンティーを引っ掛けて取るという。
ルーシーのアパートは校庭から見える2階建てのハイツにあった。主に独身の先生が下宿している。
僕らはアパートの裏手になるベランダ側にやってきた。そして真司は得意の釣りの腕をこういう形で遺憾なく発揮する。
ベランダに干してある赤い下着をなんと1発で引っ掛けてゲットしたのだ。
次の日、彼はそのゲットしたパンティーを教室にいるひょうきん者のマサルに手渡した。マサルはあろう事か、赤いパンティーを頭に被って英語の授業に現れた。
最初は何か仮装しているのかなと、あまり相手にされていなかったが、教壇で教えていたルーシーが彼に気付いた。ルーシーは見る見るうちに顔を赤らめ、鬼のような形相で、
「オーマイガー!ハウ カム ゲット ワン?」
と怒ってマサルを追いかけだした。しかし、マサルの逃げ足は早く、ルーシーの下着をマントのように風になびかせて走り去るのであった。
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4.なんとなくの考察
時代が昭和から平成に入って間もない頃、田舎町のとある中学校で起こるありふれた日常を綴った物語である。
僕らが小学校の頃からファミコンというTVゲームが流行り始めた。しかし、自分の住んでいる地域では、中学生にもなって家でゲームばかりしている奴は「オタク」と呼ばれカッコ悪い存在でしかなかった。
では何がカッコイイ対象かというと、1番はスポーツ。部活動で活躍する事が女の子にモテる唯一の方法だと、田舎にあるこの中学校では考えられていた。
野球とサッカーはその中でも花形であり、試合があれば多くの女子から黄色い声援を浴びていた。しかし、その花形の選手の中にも序列があり、ごく一部の上級生だけがその存在たることを許されていた。
全校生徒800人の中学校では、そのレールから外れる者がほとんどである。僕なんかはその花形部に入ることすらしなかった。
野球部とサッカー部の同級生は1年生夏休みに強烈なシゴキというか、ふるいに掛けられその多くが反発して辞めていった。
従順でマジメな男しか残らないので、かつての強豪校は、県大会の1回戦か2回戦でよく敗退していた。
部活の代わりにバンドをはじめるヤツが現れだした。ブルーハーツが大好きで毎日カセットが擦り切れる程聞いた。
僕は楽器のセンスがないのでバンドメンバーになれなかったけど、仲間のライブにはよく行った。その時からよく聴いていた歌は今でも心の中に刻まれている。
「誰かのルールはいらない
誰かのモラルはいらない
学校も塾もいらない
真実を握りしめたい」
「くだらない世の中だ
ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に
僕ら打ちのめしてやろう」
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5.ケンボーの受験
昭和から平成に入って間もない頃、田舎町のとある中学校で起きた物語である。
人生には高校入試という避けては通れない岐路がある。今回はケンボーという同級生の話を書きたい。
高校入試が近づいている頃、ケンボーは、進学先が危ういにも関わらず、何故か受験のための補講をサボって駅伝の練習に毎回参加していた。
僕はそのケンボーのお母さんから受験勉強を少しでいいから見て欲しいと頼みこまれた。
「ケンボー、どこ受けんの?」
「M高やけど、先生が厳しいっていうからセーコウ(私学)も受けとこうと思ってる」
徳島のような田舎であれば高校受験が、初めての入学試験であり、時に親たちは本人以上にのたうちまわる。たまたま自分はスポーツ推薦の内定をもらい皆が受験勉強している中、駅伝の練習に明け暮れていた。
そんな中、僕がケンボーの勉強を見る事になった。高校受験は国語、社会、数学、理科、英語の5教科(各100点満点)で、実力テストが事前に実施されていた。僕は、
「ケンボー、実力ナンボやったん?見せて!」
と彼に聞いた。するとケンボーは、
「んー、今回は95点やった」
と答えた。僕は社会科が得意で90点を取っていたが、まさかケンボーに何かで負けたのではと内心思いながら、彼の成績表を見た。
ケンボーは5教科の合計がなんと95点であった。M高校は最低120点だと聞いていた。
さらに県内には私学の高校は2校しか無く、めちゃめちゃ頭がいい学校とそうでない学校に分かれている。もちろんケンボーは後者の方であるが、果たしてこの成績で大丈夫かなと心配になった。
そんな彼の解答用紙を見た。予想はしていたが、なかなかの間違い具合に人間らしさを感じた。その中で国語が5点とあった、僕は
「作文を書くだけで30点あるねんで」
とケンボーに作文を書くことを勧めた。基本的に作文は100文字のマス目に何かを書いていれば点数が貰える。日記の様な作文を彼は毎日書くようになる。
そして迎えた高校入試直前、最後の実力テストでケンボーは他の問題を全てすっ飛ばし、いきなり最後の問題である作文に取り掛かった。
題名 「海で泳ぐ」
S田 健治
夏休みに海で泳いだ。僕は海が大好きだ、海は最高に気持ちいい、などなど、、、。
ケンボーは一目散に100文字の原稿用紙を書き終えた。かなり興奮している、過去最高得点を叩き出せそうだ。内容はどうであれ書いていれば最低20点くれると聞いていた。
そして期待していたテストが返ってきた。なんと今度は0点である。ケンボーは、
「な、なんで〜」
と泣きついてきた。今回の作文は題名と名前は書かずに「人との繋がり」について書けという問題であった。すまん、ケンボー。
完
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