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懐かしいのはゲームというより友達と遊んだ日々

 こんばんは、ニジマスです。ついさっきWiiの神ゲーランキングみたいな動画を見ました。ランキングには誰もが知っているようなゲームばかりでした。ゲームをそんなにしない僕でも知っている、もしくは持っているゲームが多かったですね。


 動画を見て僕が感じたのは、ゲームが面白いのは勿論なんですがゲームというより僕たちが楽しかったと思わせる要因は、友達と遊んだという懐かしさが大きいと思うんですよね。
 大人になるにつれて友達というのは、中々作りづらくなってきますよね。僕なんかは昔から人付き合いというのは苦手で、小学生の頃から友達は少なめだったと思います。そんな人付き合いが苦手な僕でも、小学生の時はなんかよくわからん交友関係を持ててました。小学生の時って謎の交友関係ありません?直接喋って仲良くなったわけではないけど、友達の友達として一緒に遊んでいるうちに仲良くなっているみたいな。中学生を超えてくるとそんな友達の友達みたいな関係は、気まずくなってくるんですがね。共通の友達が居なくなると何話せばいいのかわからんくなる。
 年齢が進んでくると、ある程度自分と似た思想、趣味の友達が多くなってくるのではないでしょうか。なので友達の幅が広いというか、良い意味で乱雑な交友関係なのって小学生くらいなんじゃないでしょうか。

 昔懐かしのゲームを大人になってからやったとしても、懐かしさに浸れはするでしょうが、あの頃のような学校行って、宿題して、友達と遊んで、帰って飯食って、風呂入って、うんこして寝る、そんな日々には戻れないんですよ。自分の将来のことなんて、特に考えていなかったあの頃には戻れないんですよ。具体的になりたいものがあったわけではないけど、漠然と大きな夢を抱えていた小学生の頃とは違い、夢への大変さと現実の非情さを知ってしまい結局無難な道へと進む大人になってしまったんですよ。
 何度願ったってあの頃には戻れないし、世界はただ回り続けるだけ。
自由を求めて自由に束縛されてしまった大人と、自由という言葉の深さをしる必要もなかった子供。成長は得るものも多いが、同時に失ってしまうものも多い。大人になって子供の頃より経済的余裕ができても、子供の頃のように一緒にゲームしてくれる友達もいなければ、そんな時間さえないかもしれない。

 子供の頃は少し憧れていた「大人になる」ということ。

 大人になるにつれ、大人になるという恐怖と不安。

 大人になるという恐怖感も子供には憧れという皮肉。

「大人になる」ということはそういうことなんでしょうか。


 世界はそれでもまた、回ることをやめない。

 

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