旅先の祭り囃子
ある意味に於いては、どこもかしこも切り傷だらけだ。
人生は旅であり、旅とは安住の地を定めないということだ。定められない、ということでもあるけれど。
世界は常に変化し続けていて、変化は移動とよく似ている。
だから我々は常に移動し続けているのと同じなのだ。
物理的に移動していなくとも、我々はゆっくりと移動している。誕生日から、命日へと向かって。
仏道ではこれを諸行無常という言葉で表す。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、と平家物語にも書いてあるではないか。
我々は旅をする。目的地のない旅。それは山の手線のように、ぐるぐると巡回し続ける。
エスは自分の部屋のベッドで、寝転がって天井を見つめている。さっきからずっと考え事をしているのだ。
なぜ、物事は全て滅びるのだろう。なぜ、失うのなら与えられるのだろう。なぜ、僕たちは生まれて来て出逢うのだろう。
今日、エスが大好きだったライブハウスが閉店する。
突如、世界に流行した感染症の所為で、学校も無くなり、友人との約束も、部活の試合も、大好きだったライブハウスも無くなった。エスは、突如として全てを奪われた。
昨年、エスのおばあちゃんも亡くなった。エスが物心ついた時には父方の祖父母は既にこの世におらず、母方の祖父も死んでいた。
なのでエスにとってそれは、初めての身近な人の死だった。
未だにエスにとって、死とは海外旅行のようなものだ。祖母は遠い外国に行ってしまっただけ、という感じが拭いきれないのだ。
どこかで生きていて、いつか手紙が届く。
エスちゃん、元気? ばあばは毎日綺麗な景色を見て、笑って過ごしています。またエスちゃんに会える日を楽しみにしてるわ。
エスは、この感情を処理することが出来ない。
電波塔が次々と薙ぎ倒された。誰の仕業かわからず、警察も政府も対応することすら出来なかった。電波塔は使い物にならなくなるまで滅茶苦茶にされ、やがてその周囲やその上下左右から、様々な植物が生えた。まるで殺された電波塔が、輪廻転成して植物としてそこに生まれてきたかのように。
世界は突如として、オフラインとなった。街を飛び交っていたワイファイは切断され、スマートフォンは四角い薄い単なるアルミの物質に戻った。
世界は不便を嘆いて、多くの人達が愚痴をこぼした。だがそれを書き込むソーシャルネットワークサービスは既に消滅していて、彼らは薄暗い部屋の中で呪いの言葉を口ずさむしかなかった。
アルミの物質を部屋に置いて、外に出る人々も出た。隣近所の人々と話し、物を分け合い、遠い街にも歩いて向かった。
人工の不完全なオンラインから離れることによって、人類は元々持っていた完全なシステムの中で繫がることが出来たのだ。
世界的な網、インターネット。我々は危うく一網打尽にされるところだったのだ、と自然科学の世界的権威のアナハヌー・メタイェリーム・バテバ名誉教授は頷いたが、その言葉を聞いたのは研究所の中を歩いていた通りすがりの蜘蛛だけだった。
プログラムという名のマントラが、四角い函の中で無尽蔵に動き回る。世界を光の早さで、駆け巡る。
アナハヌー・メタイェリーム・バテバ名誉教授は間違った。世界的な網が悪いのではなく、我々がそれを上手に使えなかったのだ。
円やドル、ウォン、ペソ、クローネ、ユーロ、フラン、リラと同じように。
またナイフが悪いのではなく、ナイフを使って他を傷つけた人間が悪いのと同じように。
親は子供に玩具や勉強道具を与える。しかしそれを独り占めして分け合えなかったり、それによって争いが起きたり、それによって誰かが傷つけられれば、それを子供たちから取り上げる。
「お前たちには、まだ早かったようだね」
エヌは自分の部屋で、窓の外をじっと眺めている。さっきからずっと考えているのだ。
原子力発電所が無くなれば、そこで働く人々が職を失う。畜産業が無くなれば、そこで働く人々は職を失う。海産業、飲食店もそうだろう。職を失えば、人々は困るだろう。
戦争の武器商人も、薬物の売人もそうだろう。
だから世界には血が流れ、被害者も加害者も溢れ、加害者もある意味では被害者で、被害者も時には加害者になり、混乱し、多くの命が奪われ、それをいっせーのせで神々の責任にしている。
もっとシンプルに生きられる気がするんだけど。
だがエヌが考えるよりも世界は大きく複雑で、難しいらしい。らしいというのはエヌが学が無く、難しいことはよくわかっていない上、世界というものの全貌をその目で見たことがないからだ。
世界をエヌは地図や衛星写真というものでしか、見たことがない。
誰かの与えてくれた情報として、認知しているに過ぎないのだ。
自分の住む街ですら知らない裏道があり、自国でさえ行ったことのない場所だらけだ。
けれど人間はその目で、世界を捉えることなどできない。一生かけて歩き回ったとしても。伊能忠敬じゃあるまいし。
グーグルで他の人の意見を聞こうにも、インターネットはもう繫がらない。繫がったとしても、それも単なる情報にしか過ぎないのだが。
我々が現実と呼んでいるものの、半分以上は単なる情報、誰かからの受け売りの知識だ。
部屋に積んである本の頁を捲る。見たこともない国の、聞いたこともない街の、会ったこともない、もうこの世にすらいない作家の思い出が日焼けした頁に刻まれている。
この本の登場人物は、もう誰もこの世界にいないんだ。
紙の中の、インクの匂いの染み付いたオフラインの世界。
しかし言葉を読むことによって、エヌはその世界と繫がる。文字を追って、過去の世界と、二千二十年代の日本を繋ぐ役目をエヌは果たす。
音のしない街を、窓硝子越しに見て。
世界は元々オフラインで、そして触れ合うことによってのみ、繫がる事が出来るのだ。
エヌの部屋の扉を恋人があける。
「ご飯が出来たよ。食べる?」
湯気のたった食事の向こうの彼女の微笑み。技術の進化では作れない、ありきたりの奇跡を彼は目にする。情報ではない現実を。
僕らはもっとシンプルに生きられる気がする。
おおい。大きな声で叫んでも、返辞はない。
騒音が大きすぎて、誰にも届かないのだ。みんな、自分の事で精一杯だから。
遠い国に落ちた爆弾の音、人々の罵り合う声、テレビの向こうから聞こえる作り笑い、デモ、テロ、墜落する飛行機。
世界は元々、オフラインだった。
繫がっているような気になっていただけで、届いてなんかいなかったんだ。
アイは膝をつく。もう駄目だ。
痛みは限界を突破していて、息さえ苦しい。それでも誰もこっちを気にかけてなどくれない。人の命よりも、ユーチューブの内容や金儲けの話の方が大切なんだ。
乾きはどんどん酷くなる。どんどんと酷くなるんだ。
悲しいんだ。痛いんだ。聞いてくれ。
俺の話を聞いてくれ!
ぐるぐると渦を巻く。黒い黒い煙が渦になって、台風のようにアイを滅茶苦茶にする。
雑音はどんどんと大きくなる。アーカイブは膨大な量になり、そこから嘘や本当を見分けるのは至難の業だ。
スケジュールは分刻みで、クラクションが交差点を切り裂く。
あああああああ。
叫んでも叫んでも、アイの声は音の渦の中に巻き込まれて相殺されて消えてしまう。
アイの身体は深夜のテレビ画面のような砂嵐になった。混乱した混沌自体が、輪郭を作り出す。整理の不可能な感情の集合体。
アイが欲しいのは正義じゃない。正解じゃない。
助けて欲しいだけだ。助けて欲しかっただけだ。
壊れかけたアイが世界を端から齧り始める。痛みは彼の心を歪め、世界を正義と悪に、白と黒だけに切り分けてしまう。
赤も青も黄色も緑も灰色も橙色も、何もない世界。
違いを許容出来ない世界。
神様はリモコンを取り出して、少しだけ巻き戻す。もう何百回も巻き戻しているが、アイはいつも怪物になってしまう。そして世界を少しだけ破壊する。少しだけ破壊し、大きな悲しみを生み出す。
ほんの少し、小石が風で動く程度の何かが、アイに起きれば結末は全く変わるのに。
誰か、誰でもいい。誰か一人だけが、意識を変えれば。
因果はイヤフォンのコードのように、絡まっている。それはたった少し、たった一本を上手く動かすだけでするりと解けるのだ。よく出来た知恵の輪のように。
意識や想いが、世界を生み出すのだから。
原因があり、結果があるのだから。
変えればいいのだ。変えさえすればいいのだ。明日じゃなく、いつかじゃなく、今、ほんの少しのことを変えればいい。
涅槃寂静。静かな安らぎの世界では、想いは小さな声で届く。話しかけさえすれば、聞こえる。白い世界に一滴、黒い墨を落としたときのように。
心の奥に、そんな場所があることに気付かないだろうか?
気付かないのだろう。
人々はあまりに騒がしい世界で、生きすぎているから。他人の言葉や情報が、洪水のように彼らの心に流し込まれている。
川の水も増えすぎると氾濫し、濁流となり、人々を脅かす。
澄んだ水が飲みたければ、川を穏やかにすることだ。必要な分だけ、心の川に流す事だ。
与えられ、奪われる?
奪われるのではなく、移動するだけのことだ。
この世界は変化の世界であるのだから。命は旅をしているのだから。
旅人が一時滞在していたホテルを出て、どこかに旅立っても奪われたとは言わないだろう。旅人は旅をする。それは最初からわかっていることだ。
人は生まれて死に、建物はいつかは朽ち、無くなる仕事もあり、その代わりとなる仕事ができ、草木は枯れ、種を落とし、また生え変わる。
世界は循環するように出来ているのだ。
全ては与えられる。掴めば良い。そして全てはまた移動する。手放すと良い。家も家族も友人も恋人も、自身の身体でさえ、自分のものではないのだ。
それらは、ただ旅先で出逢っただけの代物だ。
だから感謝しなさい。感謝して触れ合い、感謝して別れなさい。手放しなさい。また時代が巡り、新たな明日がやってくる。
旅人にはその街の良いところだけが見える。悪い部分も、美しく見えるのだ。いつかはそこを離れてしまうことを知っているから、旅人たちには全てが愛おしく見えるのだ。
正しいも悪いもなく。ただ出逢う、愛おしい世界の欠片。
本来は、全てがそういう風に出来ている。
ディは旅先から手紙を出す。
過去に触れ合った人々へ。その旅先で買った絵はがきを使って。
『こんにちは。皆様、お元気でしょうか? 私は今、こんな場所にいます。色んなことを学んで、あの頃と少しは変わったかもしれません。変わっていないかもしれませんが。
またお会い出来る日を楽しみにしています。お会い出来ないかもしれませんが、けれど、それでも出逢えた日の思い出を胸にしまってありますから平気です。いつでも皆様の笑顔を思い出すことができますから』
はがきは届いたり、届かなくて戻って来たりする。
もうその場所は無くなっていたり、思い出のまま残っていたりするから。
けれど残っていても何もかも、当時のままではいないのだ。
ディ自身でさえ年をとり、考え方も変わり、移動し続けている。
誰もこの場所に居続けることなど、出来ない。
人々は永遠の意味を勘違いし、無理な願いを祈る。しかし永遠は存在するのだ。永遠に旅をするのだ。永遠に移動するのだ。永遠に変化し続けるのだ。始まりも終わりもなく、存在し続け、愛し続け、学び続け、悦び続けるのだ。
もしかしたら、これはある人々にとっては絶望的に思えるかもしれない。
しかし心配しなくとも良い。わからない人にも、いずれはわかるようになるのだ。わかるようになるまで、時間は沢山ある。
なにせ、永遠の旅なのだから。
生まれ、滅び、出会い、別れ、咲き、枯れ、また芽が出る。
数千年後の地球には、エスもエヌもアイもディも、いない。
もうとっくの昔にみんな死んだ。そして霊になり、また物質として地球に生まれたものも、霊のままのものも、他の星へ移ったものもいる。
何もかもが移動する。循環するシステムそのもの自体が、呼吸をする。吸って、吐き、また吸う。手に入れ、手放し、手に入れる。
命の数だけある膨大な数の物語たちを、神は全て記憶している。
悦び、悲しみ、怒り、楽しみ。全ての感情、全ての言葉、全ての行動、全ての愛情。
大きな大きな天界の図書館に、またひとつ、物語の章が追加される。可愛い子供たちの、旅先からの手紙。
誰が忘れようと、神は忘れない。
どの一行も、どの一瞬も、どの一生も、全て愛おしい。
生命が悦ぶ。顔を綻ばせて。
傷だらけの身体で旅をしてきた旅人が、その傷は誰かの痛みを理解する為の傷だったのだとわかって。
遠い距離を飛んで来た鳥が、春の日差しの暖かい微笑みに出逢って。
働き蟻が本能に従って働き続け、ある日土の上でその肉体をようやく離れて。
何かを失った人々が無くしたものの大切さに、無くしてから気付き、理解の涙を流して。
膨大な量の物語に、神がくちづけをする。祝福する。
そして皆が移動する。変化する。もしかしなくとも、変わる。
変化しないものは、何一つとしてない。
神々は悦びを空から降らし、大地から芽生えさせ続ける。
どこからか、楽しげな祭り囃子が聞こえる。
旅人たちの、旅の幸福を願って。
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