『みなに幸あれ』にみるトルストイへの挑戦
下津優太監督の『みなに幸あれ』、見てきました。
“ 第1回日本ホラー映画大賞 ”で大賞を受賞した同名短編を、下津監督が長編商業映画として再完成させたのだとのこと。
ホラー映画は家でもほとんど見ないので、劇場でなんて皆無。にもかかわらず、今回、なぜわざわざ劇場にまで足を運んで見たのか?
古川琴音さんです。
最近は『幽☆遊☆白書』のぼたん役でも注目を浴びていますが、ボクとしては今泉力哉監督『街の上で』(2020年)や濱口竜介監督『偶然と想像』(2021年)をきっかけに、彼女のすばらしい個性と演技に惚れ込んでいて、ホラーであろうが時代物であろうが、主演ということであればぜひ見に行かせていただきたいと思っていたのでした。
さてこの映画、ホラーの中でも「社会派ホラー」というジャンルに属するのだそうで、「幸福の総数はあらかじめ決まっていて、だれかの幸福は別のだれかの不幸によって成り立っている」という、だれも直視しようとしないけどどこかに厳然とある現代社会の構造的課題なるものを土台としています。
そして、予想どおり、現代の社会問題がメタファーやアナロジーを用いながら映画の中で描かれていました。飢餓や貧困、戦争、搾取・・・といった遠い国や知らない人たちに降りかかる出来事を、家の中の、目の当たりにせざるを得ない奇妙な出来事に置き換えることによって、視覚化する。そのための手法としてのホラーということでしょうか。
そういう意味では、ジャンルはちがえど、昨今世界的な賞を受賞しがちな社会問題映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『ノマド・ランド』『ジョーカー』『パラサイト』などに、どこかでつながる映画なのかもしれません。
社会問題に対しては市民運動やコミューンなど、歴史的にもさまざまなカウンターのムーブがありましたが、そういうヒッピーやウッドストック系への鎮魂も描かれています。
祖父母の意味不明な挙動はとにかく不気味。素人を起用されているとのことで、たしかにその不気味さが際立っています。
学生運動のあと飄々と高サラリーを得た団塊世代の振る舞い、搾取される側に立とうした善人風が自分が甘ちゃんだったことを悟る絶望など、勘ぐれば勘ぐるほど味わいの出てくる映画です。
これまで、なんだかんだと自由・平等に向けて歴史は紡がれてきたけど、やっぱり世の中の構造はなかなか変わることがない。あの最後の微笑みは、ナイーブさを乗り越えた、大人の割り切りという恐ろしい表情なのかもしれません。ある意味、トルストイによる上記の言葉への挑戦とも言えます。
最後に。
ブラックではありすが、いくつか「ここは爆笑すべきなのかも」というシーンがあります。ぜひ声を出して笑いたいところです。あと、ビビらせる(飛び上がらせる)ような心臓に悪いしかけはないほうなので、ホラー慣れしていない自分としては、とても助かりました。
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