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ドワンゴ川上さんの幸福論から考える人生論

ドワンゴの川上さんが幸福専門家として幸福についての考察を発表していた。
これについて、正直、けっこう見落としていることが多いので自分なりにフィードバックしておきたい。

https://x.com/gweoipfsd/status/1756957076486865335?s=20

念の為、テキストでも貼っておく

僕は人生の8割ぐらいの期間は、幸福とは何かを考えていた記憶があるので、むしろ専門は幸福論と言ってもいいんじゃないかと思うんですが、いくつか得た結論を書く。
・ 幸福とは何かを考えている時点でそいつは不幸。
・ 成功者のほとんどは不幸(に見える)。
・ 幸せなのは自分の世界を作っている人。お山の大将や井の中の蛙。内部でパワハラとかしている例も多い。
・ 成功者は引退すると、ほぼ例外なく不幸。
・ 成功者で幸せになるのは、セミリタイア。権力だけ握って、一線から離れるパターン。
結局、成功者って対等な友達を作るのが難しいので、構造的に不幸になりやすい。特にお金が入って生活レベルを上げると、それまでの友達がいなくなる確率が上がる。(ちなみに僕は友達が特にいなかったので腹いせも兼ねて贅沢をすることにしてます)
しかも成功者って競争社会のゲームの中では、もっとすごい成功者がだいたいいるので、優越感もあったりなかったりでそんなに増えない。
成功者が引退すると不幸になるのは、自分の周りの人も一緒に引退するわけではないので、人間関係が一挙に消えるから。
なので、成功して幸せになるためには競争ゲームから降りつつ、しかも自分が優越感を感じられる世界を維持することが大事で、そうなるとセミリタイアして権力だけ維持するというのが最適解になる。
つまり老害のことですね。
老害って呼ばれる人って、だいたい長生きで元気なんで、本当に健康や寿命に影響が出るぐらいにストレスなく幸せなんだと思います。
なので、みなさん成功者を目指すだけではなく、さらにその上の老害を目指しましょう。人生の真の勝者とは老害です。なるのは大変ですけど、なる価値はあります。


そもそも、幸福についてなぜ考えるのか?


それは、人間はみな、この「いま、ここ」の意識の流れの経験、体験をポジティブなものにしたいと願うからだろう。

まず、このように、各個人の主観(現象学的次元)に還元して考えないと議論が普遍性を持たない。

この良い状態を、「幸せにいきる」「幸福」と表現しているのだろう。

さて、ここからツッコミを入れて考えていきたい。

幸福は一時的な状態であること

この主観的にポジティブな状態を「幸福」と呼ぶとして、

仮に脳内のポジティブ状態を数値化できたとしよう。1〜10で8以上が幸福と定義されるとする。
5−80歳までずっと1から5くらいの状態で、40歳のときだけ10の状態があっただけであったら、その人の人生はよかったといえるか?

つまり、幸福を求める人は、そのポジティブな良い脳内状態を、短いよりは、できるだけ長期的に維持したい、と思うはず。

死ぬときに良い人生だったと思えればOKという人がよくいるが、ずっとマイナスで最後の数年幸福ではきつい。

この視点を持つことが大切。

長期的に幸福を維持するのは原理的に不可能

では、その幸福な状態を長い期間保つことなどできるのか?
それは、言語の原理を考えればできない。
幸福というのは、1つの社会的な概念にしかすきず、個人が持つある状態を指す1つのシンボルでしかない。
そして、その幸福という概念を支えるのは、貧困、不幸、苦労、悲観、孤独などマイナスの概念がある。

そのあたりについては以前に以下の記事で書いた。

つまり、何が言いたいかというと、

「幸福」とは「不幸」な状態があってなりたつもので、谷があることで山があるのだ。人生の大半の時間を山にするには谷がなければいけないので、長期的に幸福にはなれない。

それでも、幸せに近い状態をずっと保ったら?意識は閉じる

ただ、常に山のピークに近い状態を作る方向に進むこともありうる。
しかし、全てのマイナス(谷)が閉ざされてしまえば、そこに「意識」はなくなるだろう。意識とは欲望の会議なので、性欲にせよ食欲にせよ問題や不足がなくなってしまえば、意識は消えてしまう(だいぶ飛躍はするが、原理的には)。
それについて以下に書いた。

https://note.com/yasunao47/n/n8bf7bf56a941

人間社会はあらゆる問題を解決し、今現在この意識を閉じる方向に向かっている。

ではどう生きるべきか?抽象論

では、どう生きるべきか考えると、
それは、実存の構造を理解すればわかる。

何か自分が理想という未来の状態を持ち、かつ、そこに到達できるという可能性があること、これが人生を明るくする。
こうすれば、自分の生に物語ができ、あらゆる体験に意味が生まれる。

ではどう生きるべきか?具体論

ではどうすればいいか?
それは、できるだけ自分に嘘をつかずに行動を繰り返す。

そうして経験を積んでいけば、
30歳くらいになれば自分だけしか思いつかない、実行しないというようなプロジェクトの企画ができるはずだ。

行動といっても、真面目に勉強や仕事をすることだけが経験ではない。
ニートになって引きこもるのも1つの選択だ。

人によっては20歳で、或いは50歳でそこに気づくかもしれない。

自分のオリジナリティ(経験や性質)がない人は、まずは行動してそれを作る。それがある人は、それを社会にどう還元するか、そういう風にいきるのが最も普遍的な善なのではないか、と思う。

結局は「生まれの偶然性」

そして、自分のオリジナリティを遡れば、どういう性質の意識か、どういう家庭や、地域、国に生まれたか、どういう人や自然に触れ合って育ったか、などの生まれの偶然性に行き着く。

さて、
最後に川上さんの投稿を引用した理由を。

投稿に書いてある「幸福とは何かを考えている時点でそいつは不幸」というのはけっこう重要な指摘だと思うw
これを考えている時点で熱中や幸福という状態でないのは間違いない。

ただ、現実的に、それを考えない人なんでいないと思う。どんなによく生きている人でも、ときには方向を見失うものだろう。

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