実存とマクロのギャップ、同期の死
私は1986年で生まれで「失われた20年世代」なので、日本の明るいニュースを聞かずに育っている。また、世界的にもグローバル資本主義に疲れが出てきて、希望ある未来を手放しに待ち受けるムードもない。
ただ、世界についての「心配とか、不安」を感じたことはない。
マクロについてのことをいくら言われても、実感が全くない。
そんなことは自分の心の持ちようでどうとでも解釈できる、と思うからだ。
日本は一人あたりのGDP、つまり生産性でも韓国に抜かれてしまった。経済は縮小していき、グローバルで戦える企業も減った。
だから何?という感じだ。
われわれ個人にとって「実存」が全て。
実存とは、客観的世界との対比でいうところの主観的な世界だと思ってもらえばいい。喜怒哀楽に満ちた自分にとっての全て。
正直、実存が全てなので世界のマクロのトレンドなど二の次だ。仮に将来的に会社が沢山倒産したりすれば自分にも影響があるかもしれないが、それくらいでサバイブできない人なら、別に今の状況でもサバイブ実はできていないことが多い。
それはさておき、少し前に悲しい出来事があった。
新卒で入った会社の同期が亡くなった。8年前に白血病を発症し、長らく闘病生活を送っていた。私自身、会社にいたころはそこまで深い交流はなかったが、中国に行くときには背中を押してくれてさらにちょくちょくSNS上での交流はあった。
彼の闘病生活のSNS投稿を見ると、本当に想像もできないくらいの苦しみを経験していることが伝わってきた。そして、チャレンジ精神旺盛な彼が、チャレンジできないことに最も苦しんでいることがわかった。彼自身から「元気なのに大きな挑戦しないでくすぶってるやつに腹が立つ」というような趣旨のこと発信していた。
だからといって元気だったらみんなチャレンジしたほうがいい、ということにはならないだろう。ただ、私自身もいつ元気がなくなるかわからないから悔いのないように生きたいとは常に思っている。彼の言葉からいっそう強くそう考えるようになった。
さて、私が思ったのは、彼の実存は、どれだけマクロ環境が悪くなった世界であったとしても、そこで健常者よりも厳しいものであったということだ。(もちろん、病気ながらも独自の活動で有意義な時間を過ごしていたが)
今日、指摘しておきたいのは、仕事がなくなるとか、治安が悪くなるというのも問題だが、そんなマクロの流れよりも、実存的に苦しんでいる人が沢山いるということだ。そんなのわかっているという人も多いと思うが、私自身改めてそう思った。
逆もしかりだ。経済状況や世界がカオスと言われていても、超絶充実して幸せな生活を送る人が沢山いる。外に目を向けるときは、マクロを見てもしょうがない。一人ひとりの各個人の実存レベルに目を向けないと現実を捉えそこねてしまうだろう。
ご冥福をお祈りします。