西村賢太『苦役列車』を改めて読む
芥川賞作家の西村賢太さんが亡くなったらしい。54歳だった。
1967年生まれで2004年に作家としてデビューしたということだ。37歳の年でデビューしたということになるので、今の私の年齢とほぼ同じだと思うと感慨深い。
西村さん自身の体験をもとにした私小説『苦役列車』は、とても印象に残っている。
2011年に出版されたようだが、私は2013年頃、南京から上海に移ってきたころに読んだ記憶がある。
一語一句完全に消化して読めるほどシンプルに書かれており、自身を投影した主人公の心情が赤裸々に且つリアルに綴られていて衝撃を受けた。
最低なダメ男を描いているが、実は(みんな言うのを躊躇するだろうが)誰でも共感する部分が多くあるはず。自分と親しく対等だと思っていた人間がより広い世界を持っていることへの嫉妬や妬み、人の交流において気に食わないことがあれば最悪キレて終わりにすればいいというような下劣な品性。
普通の人間であれば、醜い感情・欲望などから目を逸したくなるし、(いくらか理想論ではあるが)それらに蓋をすることで人間性を磨こうと考えるよう教育されている。(例えば、私が年末年始読んでいた「陽明学」では、こうした邪心を消し、今後出てこないように心を陶冶することを目指している)
身体に根ざした欲求欲望を素直に直視し、言い訳したり、蔑まれることも恐れずに、潔く言語化している。人間の嫌な部分を直視し、深く考察した稀な表現だと思う。
ただ、
今回、改めて読んでみると、違う観点で感想を持った。
著者は、中卒でスキルも身につかない日雇い仕事でその日暮らしを続けていた。そして、小説で描かれているような社会性なく、協調性のなく、自尊心を傷つけられるような何かのきっかけで取り返しのつかない事件を起こしてしまいそうな人物がリアルに描かれている。
生まれ育った環境の影響で、このような人は、実際、日本に多くいると思える。そして、一人称視点で彼らの人生体験を本書で追ってみると、それはまずい事態だということがリアルに感じ取れる。
著者の場合は、幼いころから推理小説家になりたかったことや、文学に関心があり、日雇労働生活でも「趣味」といえるようなものがあり、それが最終的に芥川賞という形で実を結ぶほどであった。これが彼を支えていたのは間違いないだろう。
ただ、似たような環境にあって、そういったお金がかからず没頭でき支えとなるような「何か」を持てる人がどれだけいるだろうか。
もし、日雇労働しかできず、社交性もない人間が、ぎりぎりの生活を続けていたらどうなるだろか。その日暮らしで、人生に絶望して自暴自棄になり、社会的な破壊行為を行うようなことになる。そういう事件が日本では多々起きている。
本書は社会的な弱者の心理を明るみにし、読者に社会のあるべき姿を考えさせられる。
(本書では西村さんが19歳のとき、つまり1986年くらいの体験が題材になっている。現在は、当時と比べて社会や人間関係のあり方なども変わっているだろう)
というようなことを考えさせられた。
心からご冥福をお祈りします。