語学における本物とは
私自身は、語学をやるからには、実践で使ってなんぼだ、というスタンスだが、「本物」を目指すという志向も重要だと思う。
使ってなんぼ、という考え方であれば、目的遂行が評価軸になる。プレゼンやインタビューなどであれば、拙い英語や中国語でも、なんとか熱意を持って、平易な言葉を使って目的を達成する。
目的が明確であれば、これでも第二言語習得はうまくいっていると言えるだろう。ただ、実際の生活やビジネス現場でも、目的がそこまで具体的でないことも多い。そういうときは、より高度な言語力が求められるだろう。
語学の達人で私が想起するのは、同時通訳者の國弘正雄氏。彼の本を読むと「活用自在」という言葉がよく出てくる。
通訳者であれば、何をいうか?何を言われるか?は完全に不可抗力であり、外部が決めることなので、文字とおり何でも言えて、何でも聞ける必要がある。
これが活用自在である。
おそらく、多くの外国語学習者の理想はこれだ。
でも、それはあまりにも高い目標。
そして、そもそも、多くの母語話者は、母語でも活用自在でないケースも多い。日本語という母語であっても、実は理路整然に述べていない。なんとなく、単語レベルで返していることが多い。
chatGPTのように常に論理的な文構成で話せる人はいないし、求められてもいない。
何が言いたいかというと、「活用自在」を理想として追い求めることは良いと思う。
それが何のため?とかではなく、「本物」に近づくために努力するというのは、ある種、人間の本質。
理想を置くなら、中途半端な語学検定などは軽視して、「本物」を追い求めたい。
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