教育サービスで「やる気」を喚起できるのか
私が提供している語学サービスは、手前味噌で恐縮だが、
正直、受講生の語学力に驚異的な伸びをもたらしている。
サービスの宣伝をしたいわけではない。
なぜ大多数の受講生が結果を出せるかというと、私達が凄いのではなく、受講生である学習者が凄いのだ。
彼らが優秀なのだ。
ぶっちゃけた話、我々のサポートが未来をがらっと変えたと確信を持って言えるかといえば、難しい。
いいサービスを提供しているのは自信があるが、やはり成果を出すのは学習者自信だ。
ただ、その理由はどうであれ、受講生のほとんどはなぜ優秀なのか。
それは、情報発信をしっかりしているからだと思う。
学習の方法論や、サポート内容をかなり具体的に一人ひとりに説明させていただき、その上で選んでいただき、受講される。
正直、「きつそうだな」と思うような内容も包み隠さず伝えている。
それを聞いた上でも、学習者(お客様)が「これをやれば成長できそう!」「やってやるぜ」という意気込みがあるのであれば、実際もうその時点で成功している。
こんなのやってもしょうがない。やる気にならない、という人はそもそも入ってこない。
では、私達の価値はほとんどないのか?
もちろん、我々の価値もある。
そういうやる気のある人にちょうどよい受け皿となっているのだ。
そういうやる気をぶつけて、受け止められるものが存在することが重要なのだ。
水滴が集まり、雫となって落ちるように、最後に1つの行為として発露するようなアシストができているのではないか。
その成果は最終的には学習者のやる気に還元されるが、その受け皿によって現実化しなければ、それはスタートさえされない漠然としたやる気にとどまっていたかもしれない。
しかし、
やはり
水気のないところに雫を垂らすことは難しい。
全くやる気のない学習者を、凄いサポートでやる気にさせて、効率的な勉強をさせて、語学の成功者へと導く。
そんなことはできない。
ガキの使いの名物企画、挑戦シリーズの松ちゃんのチャレンジを成功させるのが難しいのを見ればわかるだろう。
↓松本人志 150キロに挑戦
この松ちゃんのように、やる気がないのに、何かを実現したいという思いは何なのか。
例えば、私も「できたらいいな」ということは沢山あるが、本当に実現する夢と、かなわない夢の違いはなにか。
金銭的な犠牲と、行動量としての犠牲というのは一つの補助線になるかもしれない。
金銭的な犠牲は、痛いけど、簡単だ。
行動量の犠牲は、本当に大変だ。数日のコミットではなく、数年レベルでコミットしていく。
そういうコミットはどういうときにできるのか?
本当に心から実現したいこと。
切羽詰まっていること。
やらなきゃ死ぬとか危機が迫っていること。
その実現した自分を具体的にイメージできること。
何がいいたいかよくわからなくなってきたが、何かを実現する起点は、その人の中にあるのは間違いない。