全ての問題が解決されてもしょうもないので、ゆっくり今を味わおう
緊迫する世界情勢の中、私は最近、人生はゆっくり味わうという態度で望むのが良いと思ってきた。
今日はこれについて説明したい。
世界が理想と掲げる人間社会を本当に実現した場合、それは実は誰も望むようなものではない。
これを描いた2つの作品を紹介し、だったら、今の我々はどうすればいいかについて、以下書いてみる。
世界の最終形態①:『ハーモニー』 (伊藤計劃、2010)
この『ハーモニー』という作品は、「意識」のそもそも論を問いていると私は読んだ。
死ぬまで健康な状態でいられることを代償に、自分で考えることや成長することを妨げられた世界を舞台にしており、様々な実存的な問題に取り組む現代の人生と比べてどちらが良いのかと考えさせられる内容となっている。
本作品で、「意識」とは「様々な欲望の会議の場」であることが言われている。
つまり、満たされない欲望・欲求がたくさんあるから「意識」が生じるということが示唆されている。
自分で様々な問題に直面し、考えるから、喜怒哀楽が生じる。それが人生だ。逆に、あらゆる問題がすぐに解決される、或いは徹底して予防されるような人生において、感情の起伏は生じない。つまり、ほぼ、意識がない状態になる。
こんな人生でいいのか?
でも、今の社会はそのような状態を理想に発展しているのではないのか?
今、我々は自分の人生、つまり家族、仕事、社会、様々な問題や課題を抱えながら生きている。それらを解決したいというふうに考えているだろうが、いざ、全てがキレイさっぱり解決するとしたらどうなんだ?
即時に欲望が満たされれば、思考は必要ない。
そんな人生がいいのだろうか?
世界の最終形態①:『マトリックス(The Matrix)』(1999)
以前、このnoteでも紹介したことがあるが、マトリックスでも人間社会の最終形態が描かれている。
ここは、多くの人が見落としている設定だ。
作品の後半にエージェント・スミスがモーフィアスに語る次のシーン。
ここで人間の本質を規定する重要な発言がなされている。
一部を英語から翻訳してみた。
そもそもマトリックスは人々が苦しまずに幸せに暮らせる完璧な世界として設計されたのを知っているか?それは悪夢だった。そして、プログラムは拒絶され中の人々は絶滅した。。あるものはプログラミングが不十分で失敗したと信じた。しかし、私は、人類とは不幸や苦しみがないと現実だと思えない種なのだと思う。だから楽園は人類の原始的な脳には悪夢となり拒絶され、そしてマトリックスは今のように作り直された。
マトリックス、今われわれが現実だと思っている世界、つまり最もリアリティのある世界は、当初はあらゆることが満たされる楽園として設計されたのだ。
今、世界中でなにかに苦しんでいる人は、バーチャルリアリティで完全な世界である楽園でリアルな体験をできて生きることができるなら飛びつくのではないか、と思ってしまう。
しかし、人間はそういうものではない。
すべてが満たされることは今の在り方とは根本的な次元が異なる。
つまり「現実」とは苦しみや不幸が条件として現れるものなのだ。すべてが満たされる意識状態は、そもそも意識のような自覚がなくなってしまうのではないか。
哲学者が存在や時間を分析するときもこのような結論になることがある。われわれの存在は何かを我慢したり、何かを悔やんだり、待ち遠しく羨望することで時間概念が生じ、自覚的な現実が生まれるのである。
われわれは今生きる世界において不幸や苦しみがない世界を理想の世界と描くが、実はそのような今の在り方は不幸や苦しみが条件となっているのだ。
マトリックスでは、問題が即時に解決されるような意識がほとんどなくなるような人生を否定している。
結局、問題は解決しないほうがいいなら、ゆっくり味わう
以上、『ハーモニー』でも『マトリックス』でも、結局人間社会の発展を突き詰めると、誰も望まない状態になってしまうというジレンマが描かれている。
そんな状態に発展できるのか?と考えるだろうが、行き着く先は、たしかにそのような理想状態(実際は地獄)になるだろう。
だったら、問題や課題があることは望ましいといえるのではないか?
当分、そんな欲望が即効満たされるような状態になるなどありえないとは思うだろう。
だから、急いで社会を発展させよう!という風になるか?
私はそうは思わない。
いくつく先がそうなるなら、マイペースでいいと思うことをやればいい。
でも、たしかに戦争とかで死ぬのはいやだ。かといって、ずっと頗る健康状態を維持できたとしても、ずっと寝転がっているような人生もいやだ。
ちょうどいいくらいの課題がある人生がいいのだろうか?
いずれにせよ、そんなに焦る必要はない。
社会をよくしたいと考えていても、最終形態は誰も望まないディストピアなのだから。
ゆっくりやっていこう。
社会貢献なんて堅いこと言わず、いいと思ったことをやって達成感を感じるようなゆるい感じでいこうじゃないか。