令和の教育が発展する3方向
今後の「教育」といわれる領域は、3つの方向への動きが加速するのではないか。
教育の本質は、ある良い状態を想定して、人がその状態になるように何か働きかけること、といえる。
ただし、今の時代は(既に長らく言われていることだが)「何が良いのか」について、多くの人が共通認識を持てるものがない。
そのような今、教育はどうなるか?
方向1:目標を目的に合わせて再定義
1方向は、目標を目的に合わせて再定義する、という方向だ。
大学の入試がいい例である。日本においては、輸出製造業モデルの人材を多数輩出するべく、さらに運用コストが低いので、数値化されたペーパー試験を採用しているが、社会が必要とする資質をどうにか定義して様々な方面から検討すればよりよい言語化された基準ができる。欧米の大学などは昔からそのようにしてリーダーを集めて、育てている。
手前味噌になるが、私が提供している語学サービスは一つの例であると思う。これまで語学検定のスコアで測っていたものでは、外国語を“話せる、聞ける”という目的と、数字の間にギャップがあった。これを縮めるための独自に会話できることを数値化して指標を作っている。
方向2:明確な目標を達成するための過程がAIで最適化
もう一つの方向は、目標が明確なものがAIの活用により効率的に達成できるようになる。
つまり、目標を割り切って数値化してしまい、その過程の行動データを蓄積しAIに学ばせることで最適な学習カリキュラムができるというもの。
さらに、そのカリキュラムをベースにモチベーションを維持し学習時間を取る、というところも同じように最適化できるかもしれない。
これに取り組んでいる例として、atama+という教育ベンチャーがある。(これについてはその5つの懸念点とともにこちらにまとめている)
方向3:言語化できない教育領域を自覚する
最後に、教育の発展方向は、言語化できないよい状態を、言語化或いは行動に還元できるに人間を育てる方向だ。
正解がわからない科学や大学などにおける真理の探求の分野である。
よくある「天才を作る」みたいな議論もここに含まれるだろう。
でも、
原理的にそれらの答えがわからないのだから、先回りにして作れるわけもない。
だから、ここは、常にもやもやしながら多角的な視点で教育をデザインする必要がある。
重要なことは、下手に「有望な人材」なるものを勝手に定義しないことだ。
消去法的に、「日本の大学入試のようなことをしない」というようなアクションがまずは取り組みやすいかもしれない。
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以上、教育にかかわるものとして、教育のマクロ的な動向を検討してみた。