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私の中の「闇」ってなんだろう?と考えた一週間。
先日、玄花さんの蠍座新月遠隔エナジーワークを受けとりました。
その少し前から、自分で自分の嫌なところ・認めたくないところなどがぽろぽろぽろぽろと見えてきていたから、このタイミングでちゃんと自分の中にある「闇」をみたい・極めたいな、と思い申込をしました。
告知文を読んで、ぱっと浮かんで認められる自分の嫌なところなんて、「闇のまた闇」ではないんだろうな、と覚悟してw受けましたが、結果からいうと、自分が想像していたことと違うところに行き当たった。
今自分で自覚できるところまででいうと、
「一人ぼっちになるのが怖い・死が怖い。でも私なんて存在してもしなくてもどっちでもいいんじゃないかとも思う。周りの人が消えてしまって辛い思いをするくらいなら、いっそ私が消えてしまいたい」
と、物心ついた時から思っていた、ということです。
それが、育ってきた環境とか経験とか、母親の影響とか、色々外側に原因を見つけようとして拗らせたりしたこともあったけれど、なんか今回、「これが私の存在基盤である」、とまではまだ言い切れないけれど、私の持って生まれたデフォルトであるとしたら…、と考えたら、何だか今まで若いころから悩んできたことが、数珠繋ぎに理解できる気がしました。
「一人ぼっちになるくらいなら、私が存在する意味がないなら、消えてしまいたい」
という私の中の想いは、結構小さいときからあって、小学生の時もいじめられたり、友だちとうまくいかないと「私なんていなくなればいい。死んでしまいたい」と、一人で悶々として、日記につらつら綴ったりする子でした(苦笑)
それは大人になってからもあんまり変わらなくて、思い悩む内容が「仕事」や「恋愛」になっただけで、やっぱり何かうまくいかなかった時、一人きりで「もう私なんて…」と繰り返しやっていましたwでもそこから何とか自力で回復していたのだけれど。
この私の根底の考え方=一つの闇、なのかな? が一番大きく表れたのが、奄美に移住前の、仕事での挫折、からの離婚だったと思います。
今、再び障がいがある人に関わる仕事を始めたから、当時を振り返って思うけれど、あの時の私はとても視野が狭かったし、自分で狭めていたし、目的も見失っていました。そして自分と相手との境界線も全然なかった。
それは仕事の時だけじゃなくて、当時の元旦那との関係でもそうだったと思います。
頑張りを認めてほしかったし、私が存在する意味を持ちたかったし、それを相手にも確認したかった。
当時の私にとって、「一生けん命頑張っていること・相手のためを思ってやってあげること」は”正義”でした。
だから、人一倍頑張っていると思っていたはずの仕事でうまくいかなかったこと(自分の無力感をとことん感じてしまったこと=自分にはできると思っていたプライドがあったのかも)や、突然(のように私からは感じられた)元旦那から離婚を切り出されたことは、「今までつみあげてきた私」がガラガラと崩れていくようで、精神的にも耐えきれなかった。
実際、離婚の話が出る前にはなるけれど、仕事のことが引き金でオーバードーズをして、救急搬送されました。
その時は本気で消えようと思ってました。直前までそう考えていたことを今も生々しく覚えています。誰かに対する当てつけとか、心配させようとかじゃなく、本当にそう思った。
家族や親しくしてくれていた職場の人達はみな、何で自分たちがいるのにそんなことを…と叱ってくれましたが、何でなんだろう、その時は私はもうだめだ、終わりだ、もういいやって、本気で思ってしまった。
それが、正常な判断ができなくなる精神症状からきたものでもあるのだろうと、今は思いますが。(その後服薬治療も一年くらいしました)
でも自分の中に抱え込み、うまくいかないと消えたいと思い込む激しさは、やっぱり私のデフォルトなんだろうと思います。
だけどあのとき死なずに、こうして今生きていられたことは本当に良かったし、周りの人に助けてもらってありがたかったと、心底思います。
そんなことがあった後半年も経たずに離婚になるのだけれど(苦笑)、どん底だと思ったらまだあるんかい(苦笑)、と思ったところからちゃんと生き返った経験は、間違いなく私の力になっていると思います。
オーバードーズ、という自殺未遂をして、更に離婚になって、今度は自分の命を消すんじゃなくて、このまま居続けたら辛くて耐えられないと思った環境(職場)から自ら消えました。さらに、一度死んだと思って、誰も知っている人が居ない場所へ移住しました。
それが2011年のこと。
まだ薬も飲みながらで、ほとんどご飯も食べられず、実家でほぼ一日中眠っているような生活の中で、奄美移住のことだけはきっちり進めていました。
今思うとあの状態で何をどう動いていたのか、意味不明(笑)
そして自分の行動力にも驚嘆。
ただ、今色々なことを知ったり、学んでいる中で「行動が全て」というけれど、そんなこと知らなかった時に私はちゃんとその通りに動いていたな、と思います。
多分、半分鬱で頭働いていなかったから、ほとんど直感で動いてたはずw
だから、この私の中の人生で一番ともいえる黒歴史は、私が本気で自分の生き方を考えて、生きる力を発揮することになったきっかけでもあると思います。
現在コロナをきっかけに、自殺する人が増えていると言われていて、ニュースにもなったりしていますが、何となく、直視できない自分がいました。
結論から言えば自殺は絶対よくない。
でも、消えたくなる気持ちはわかる。そのために色々な助けてくれる機関や医療や制度があるけど、もちろん冷静に見渡せば、話を聞いてくれる家族や仲間もいるんだけれど、自分がそれしか見えなくなっている時は、それに気づけない。
だけどただ一つ言えることは、今はどんなにどん底と思って、もう消えたいと思っていても、そこから必ず浮き上がってこれるんだということを、私は知っています。そして、その力が自分にあることも、それは自分の選択であることも、よくわかりました。
さらに、この先何があっても、自分の人生をどうやって楽しみに、自分らしく生きていくか、ということを今実践しながら学び中なんだなぁ、って改めて振り返ってみると思います。
辛いこと・苦しいことがなくなるんじゃなくて、何があっても「そうきたか(=JUYOする)」と波に乗って生きていくことを、私は玄花さんから教えてもらっています。
たった今、当時のどん底な私のような気持ちでいる人や、どん底のグルグルから抜け出したいと思う人の目に触れて、何か役に立てばと思います。
けどこれを書いた一番の目的は結局、過去の自分を自分で癒す作業だったのかな、とも思います。
何はともあれ、自分の経験したこと・感じたことを自分の言葉で書くことは続けていきたいなと思いました(*^^*)