ジョージ・オーウェル『一杯のおいしい紅茶』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」3月10日放送分)
※スマホの方は、右上のSpotifyのマークをタッチすると最後まで聴くことができます。
<収録を終えて>
20世紀前半を生きたイギリスの作家、ジョージ・オーウェル。
『動物農場』や『1984年』などが代表作ですが、今回はオーウェルの柔らかで親しみのある部分を知ることのできる、小さなエッセイ集をご紹介しました。というか、オーウェルは先に上げた2つの小説があまりに傑作であったために小説家として名を馳せることになったものの、実際には小説よりも時事的な批評・書評・文化論や身辺雑記などのエッセイの方が遥かに多く書き残しているそうです。
ラジオでお話をしたように、内容はオーウェルのイギリス式生活についての愛情たっぷりの雑記が書かれてます。キレッキレの政治批判で知られているオーウェルも、一方では自分の日常を愛する素朴な人物であったことが伝わってきます。
また、「一書評家の告白」や「よい悪書」「なぜ書くか」といった、オーウェルの書き手としての哲学を知ることができるエッセイが収められている点でも魅力的な一冊でした。
印象的だったのが、こちらの一節です。
これは逆説的に、政治的なメッセージを世間に投げかける際には、自らの理念を深く理解し、できる範囲の情報を集め、決して無責任であってはならないと言っているように感じられます。そうでなければ、自らの持つ美学や知性を汚してしまうのだとオーウェルは考えていたのではないでしょうか。
もしかしたら、これは政治的発言に限らないのかもしれません。世間に対して何かを問おうとする時、自分はそれを発信するのにふさわしい人物なのかを顧みて考えるのは、とても大切なことのように思います。そのためにも、自らの考えを整理したり、情報を集めたり、毎日の振る舞いをチェックするなどして、「ふさわしい自分」になるために自らを整えていきたいと、自分自身を振り返って思います。
これは2021年にリリースされた「A_o - BLUE SOULS」という曲の歌詞の一部ですが、初めて聞いたとき胸がどきどきしたのを覚えています。どんな小さな声だったとしても、口から放ったら、それはどこかの誰かの元へ届いてしまう、つまり力を持ってしまうのだと気がついた瞬間でした。「美しい言葉を使える人」をずっと目指していたのですが、それ以来「美しい言葉を使うのにふさわしい人」になりたいと思うようになりました。
ちなみに、来週の「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」では、宇野常寛さんの『遅いインターネット』(幻冬舎)をご紹介する予定なのですが、本の中で宇野さんは、ただ世の中の風潮に従ってSNS上で何かを揶揄する人たちのことを、痛烈に批判しています。これも、「この発言をするのに、自分はふさわしい人間なのか」という視点が欠落したまま情報発信することの危険性を指摘しているのかもしれません。たとえ匿名での発言であったとしても、自らが発信した以上、その言葉は自分を高めもするし、汚すことだってあるのです。ポケモンGOやアベンジャーズと言った例を出しつつ、メディアリテラシーについて考えを深めることのできる本なので、来週もぜひ聞いてくださいね。(ちょっと宣伝)
そして補足ですが、番組の終盤で触れた『「動物農場」ウクライナ版への序文』についてです。
『動物農場』ウクライナ語版は、1947年に占領下ドイツにあったウクライナ難民キャンプで頒布されたそうです。その際にオーウェルは依頼を受けてウクライナ版にのみ特別に書き下ろしたのが、『「動物農場」ウクライナ版への序文』です。
こちらは2000部を頒布したところで、残り1500部全てをアメリカ軍が押収し、それらはソ連へと引き渡されたのだそうです。
詳しいお話は、早川書房から出ている、山形浩生さんが翻訳されたバージョンの『動物農場』のあとがきに書かれています。山形さんの翻訳が神がかって美しい一冊なので、関心を持っていただけると嬉しいです。
それでは、今回はこのあたりで。
またお会いしましょう。
<了>