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都甲幸治『教養としてのアメリカ短篇小説』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」12月9日放送分)

※MRO北陸放送(石川県在局)では、毎週木曜日の夕方6:30〜6:45の15分間、書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」を放送しています。このシリーズでは、月毎に紹介する本の一覧と、放送されたレビューの一部を無料で聞くことが出来るSpotifyのリンクを記載しています。

※スマホの方は、右上のSpotifyのマークをタッチすると最後まで聴くことができます。

<収録を終えて>
私事で恐縮ですが、最近アメリカ文学にはまっています。

以前からその兆候はあって、例えば私の住む金沢出身の哲学者、鈴木大拙とサリンジャーの関わりを書いたコラムを書いたり、


NTLiveで鑑賞した『リーマン・トリロジー』に魂を半分持っていかれたり、


東京ディズニーランドで待ち時間0で乗ることのできた「蒸気船マークトウェイン号」が予想外に面白かったり、(マークトウェイン号は真剣に乗ると本当に面白いのでお勧めです)

地理的には遠くても、私達日本人の感覚からすると親しみのあるように感じられるアメリカですが、その歴史を少しでも知ると、日本とはむしろ対極のような背景を持つ国だということが分かります。

そして、その土地の特徴を色濃く残す最たるものが、やはり文学なのかもしれません。

今回ご紹介した『教養としてのアメリカ短篇小説』は、19世紀の黒人奴隷の売買が当たり前のように行われていた時代から、南北戦争、第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦、ヴェトナム戦争、そして現代へと連なるアメリカの歴史を踏まえ、それぞれの時代に活躍した作家たちの人生と作品を紹介した良書です。
そして、作者の都甲幸治さんの文体が、どこかほんわかしていて大変可愛いらしいことも、魅力として挙げておきたいと思います。全てのおじさまに、どうかこんなふうに喋って下さいとお願いしたいくらいです。

  1. 出身

本の中でも特に私が印象に残ったのが、都甲さんが毎回、作者の生まれ故郷がどの州なのかについて触れることです。もっと言うと、北部と南部どちらの生まれなのか、その中でもどの程度、北や南に位置しているのかについて必ず言及するのです。

これは、南北戦争からも明らかなように「奴隷制度」を巡る立ち位置の違いが北と南で全く違うこともあるのですが、その他にも工業化がいち早く進み都市化していった北部に対し、大農園を抱えて農業が盛んだった南部という経済の仕組みの違いや、宗教色(南部の方が濃いとされる)、共同体のあり方(南部の方がウェットな印象)など、北と南でまるで異なるためです。
そんなの昔の話でしょ、とも言えないのは、今のアメリカの大統領選挙や、民主党と共和党の対立などにも繋がっているためです。歴史は洗い流すことが出来ないということですね。
特に、ウィリアム・フォークナーの『孫むすめ』を紹介する章では、南北戦争に負けた南部の白人男性が主人公なこともあり、北部と南部それぞれの哲学のズレというか歪さのようなものについて触れられています。

同じアメリカという国の中でも、どの地域で生まれたかが、作家に対しクリティカルな影響を与えていると、都甲さんは考えていらっしゃるのです。これは日本ではちょっとイメージできないというか、日本作家の生まれを「東京/地方」くらいの区別しかつけずに本を読んでいた私にとって、アメリカ文学と日本文学の違いを強く感じられるものでした。

2.戦争

ラジオの中で「アメリカ文学の登場人物は、なんだか喧嘩っ早い」というように表現しましたが、敵の存在や戦うことへの気配が、いつもどこかに漂っていることもアメリカ文学の特徴です。短い期間で戦争を繰り返してきた国ならではでしょうか。
かと言って、ノリノリで「いつだって戦ってやるぜ! おうおう!」という好戦的な雰囲気というわけでもなくて、戦いが身近にあるからこそ、リアルに葛藤や苦しみが日常の中に存在している、その様子が文学になっているのです。
例えば、第8章で紹介されるJ.D.サリンジャーの『エズメに−愛と悲惨をこめて』では、第二次世界大戦から復員した主人公の回想という形で物語が語られています。この主人公は戦争の後遺症でPTSDとなり指が震えて手紙もかけないという、戦争のネガティブな面が表れた設定となっています。(ちなみに、タイトルにもあるエズメという女の子がとっても可愛らしい、私の大好きな短篇です)

誤解のないように言っておくと、私は骨の髄まで平和主義者で戦争は反対なのですが、それでも「戦争」についての向き合い方として、アメリカ文学から学ぶものは大きいように思います。
第二次世界大戦後、敗戦国に生きる私達は「戦争はいけないもの」という教育を受けてきましたが、それでは「それなら、なぜ戦争をしたのか」「なぜ戦争はなくならないのか」という問いを、本当の意味で持つことができないのではないでしょうか。
「やってはいけないことボックス」に戦争をぽいと放り込んで、考察の機会を与えないまま戦争の苦しみが風化し忘れ去られていくことになってしまわないか、果たしてそれが本当に平和な世界に繋がるのか、私にはどうも分からないのです。戦争の苦しみについて語る日本文学は数多くあるものの、戦争そのものへの考察を促しているかという点で、アメリカ文学に遅れをとっているように感じます。

3.神様

神様(キリスト)の存在が、ふとした時に日常生活の中に立ち現れるのもアメリカ文学の特徴のようです。
昔、ティーン向けのアメリカ小説を読んでいた時、イケイケでドラッグまでやっているような女の子がピンチの場面でいきなり神に祈りだすみたいなシーンがあって驚いたのを覚えています。極悪非道の人を「神も仏もない」と日本では表現しますが、アメリカ文学ではどんなに悪いやつでも、割と「神様はいるよね」みたいな感覚は自然と持っている気がします。
特定の宗教を持っていると日本では特異な印象を受けてしまいますが、むしろ神様の存在が近くにあることはアメリカ文学(というか文化)の中では当たり前なようです。

日常の中に神がいるからこそ、ふとしたときに神性のある言葉が登場人物の口から零れるのかもしれません。
第9章で紹介される、トルーマン・カポーティの『クリスマスの思い出』で、貧しくも優しい老婆が放つ、美しい言葉があります。


欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったくつらいことだよ。でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。

トルーマン・カポーティ『クリスマスの思い出』

なんだかもう、打たれてしまいますよね。
この季節読んでみるのにも相応しい物語だと思います。

出身・戦争・神様と3つの観点で書いたのは、あくまでこの本を読んだ上での私の感想です。他の方が読めば、違った目線があるはず。
ただ、「生まれて、戦って、祈る」国なのだと言い換えてみると、自分の中でアメリカの印象が随分変わったのを感じます。

『教養としてのアメリカ短篇小説』では、Black Lives Matter や WASPといった、現代のアメリカが抱える問題についても触れられています。日々のニュースを見ていても、海外の話題ではいまいち背景が分からずピンとこないことが私は時折あるのですが、文学の系譜を辿ることで、少しでもアメリカという国の温度感を自分なりに解釈できるようになれた気がします。そのための一冊としても、一年の終盤に素晴らしい本に出会えたと感じています。

書評ラジオ「木曜日のブックマーカー」ではメッセージをお待ちしています。
mail:book@mro.co.jp

それでは、今回はこのあたりで。
またお会いしましょう。

<了>

記載したSpotifyのリンクから聞くことが出来るのは、番組の一部を抜粋したものです。BGMや、番組を応援してくださっている「金沢ビーンズ明文堂書店」のベストセラーランキング、金沢ビーンズの書店員である表理恵さんの「今週のお勧め本」は入っていません。完全版はradiko で「木曜日のブックマーカー」と検索すると過去1週間以内の放送を聞くことが出来ます。




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