宇野常寛『遅いインターネット』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」3月17日放送分)
※スマホの方は、右上のSpotifyのマークをタッチすると最後まで聴くことができます。
<収録を終えて>
作者である宇野さんの目から見たメディアリテラシーについて語られた本です。インターネットのような「情報技術」が発達したことによって、資本主義はどう変容しどんな断絶を生んだのか? 政治に求められるものはどう変わったのか? 私達の快楽の形も変わったのではないか? など、経済・政治・風俗の3方向からの観点が綴られています。
番組の中でもお話をしましたが、私が一番印象的だったのが「私達の快楽の形が変わった」という箇所です。
「他人の物語に感情移入する」20世紀から、「自分の物語として味わう」21世紀へ、私達の欲望は変化したのだと宇野さんは語っています。実例として上げているのが「ポケモンGO」や「アベンジャーズ」など身近なものなのですが、その紐解き方が面白いのです。
例えばポケモンGOの快楽は、ピカチュウやゼニガメを捕まえることではないのだそうです。その本質は、自分の生活の中にモンスターが現れる楽しさ、友達と連れ立って散歩しながらモンスターを探しに行く楽しさであり、これは「ゲームの世界」を楽しんでいるのではなく、「自分の物語を楽しんでいる」行為だと言います。
「ここではない、どこか」にある「他人の物語」ではなくて、今自分がいる「ここ」を「自分の物語」として、豊かにしたい、深く味わいたいという風に私達の欲望が変わってきているのです。
一方で、その変化は「自分の意見を発信する」快楽と結びつき、ネット上での暴力行為にも繋がっているのだと、話は展開していきます。
目立ち過ぎたり失敗したりした人に対して、攻撃的な言葉を投げつける。そして、どれだけ上手い言い回しで相手を攻撃してみせるかで「いいね」数や「リツイート」数を競い合う。それも、自分の頭で考えて、自分の倫理観に反する相手を選んでいるわけではなく、「みんなが攻撃している」人だから攻撃する。時には、今の自分を肯定して安心するために、フェイクニュースや陰謀論を拡散する。
この状態を、宇野さんがどう語っているかは番組でご紹介したとおりです。また、情報を単に受け止めるだけでなく、自ら発信することで、人間はより深く、様々な視点で、ものを考えられるようになるはずだったけれど、実際には「発信能力を与えられたところで、発信に値するものをもっている人間はほとんどいない」ことが証明されたのだ、とも述べています。
如何に賢しら気なことを言っていても、結局は「動員された大衆」に過ぎないネット上の有象無象に対する宇野さんの目線は辛辣です。
ですが、その解決策として「情報発信と受信の方法を学ぶべきだ」と提案し、実際に「遅いインターネット」というプロジェクトを始めてらっしゃいます。どんなに舌鋒鋭く社会に批判を加えたところで、社会どころか自分自身すら変えようとしない人ばかりの中で、自分の哲学に基づいて、理念を打ち立て、自らの力で検証していく、これが強靭な知性ではないかと思います。
こちらは、宇野さんが編集長をつとめるウェブマガジン『遅いインターネット』です。ひとつひとつの記事がボリュームがあるので「さくさく読める」タイプではないのですが、気になる記事を見つけて少しづつ読んでいくと面白いです。私は分析哲学者の小山虎さんの連載を読んでいるところです。
私達は今までになく、知りたいことを知り、言いたいことを言える時代に到達しています。これはある意味で、思考が実現化しやすい時代にいるとも言えます。だからこそ、どんな思想を持ち、どう振る舞うかがよりシビアに問われるのだと思います。
それでは、今回はこのあたりで。
またお会いしましょう。
<了>