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筋肉少女帯 / 君だけが憶えている映画
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筋肉少女帯。1982年に結成され、日本のインディーズレーベルで存在感を発揮したナゴムレコードからデビュー。先鋭的な音楽性と特異なキャラクターながら80年代後半からのバンドブームに乗ってメジャーデビューし、武道館公演を行うまでのバンドに。ボーカルの大槻ケンヂはお茶の間の人気者となり、各種ラジオパーソナリティや、一時期はTV番組のMCも務めていました。そんな彼らも活動休止~再活動を経て、現在も活発に活動中。2018年にはメジャーデビュー30周年。そして来年は結成40周年を迎えます。日本のサブカルチャーに多大な影響を与え続けているバンド。
本作は2年ぶり、21枚目のアルバム。ストリーミングは現時点では解禁されていないようです。大槻ケンヂという人はメタ的な視点でさまざまなことをネタに昇華する人ですが、コロナ禍の中でどのような物語を紡いでいるのか。早速聞いていきましょう。
活動国:日本
ジャンル:ハードロック、プログレッシブロック
活動年:1982-
リリース:2021年11月3日
メンバー:
大槻ケンヂ ボーカル
内田雄一郎 ベース
橘高文彦 リードギター
本城聡章 リズムギター
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総合評価 ★★★★★
オーケンの詩世界が炸裂している。コロナ禍の中で制作されたアルバムとしてはオケミス「ロマンスグレイ」、特撮「エレクトリックジェリーフィッシュ」に次いで3作目。本家というか一番活動規模が大きいのが筋少であり、それぞれのユニットで持ち味があるもののやはり筋少が一番力が入っているように思う。やはりこうした異様な世界、どこか通常の状態ではない世界を切り取る力がオーケンは高い。日常の中で「違う視点」、それこそオルタナティブな視点を提示することがオーケンの真骨頂であり、この状況下で遺憾なく才能が発揮されている。久しぶりに、同時代にオーケンがいたこと、このアルバムを出してくれたことを感謝した。今聞きたい、視点を変えて心を自由にする感動の作品。
1.楽しいことしかない ★★★★☆
先行トラックにもなった曲。正直、先行トラックで聴いたときはそこまでフックもなく、特段とびぬけた曲とは感じなかったが、改めてきちんと聞いてみるとギターオーケストレーションが凝っているし、歌メロもキャッチー。サビの言葉がシンプル故にやる気がないようにも聞こえるが、だんだん聞いているうちに癖になり口ずさんでしまう魅力がある。「楽しいことしかない」と言い切る力強い、ある意味諦念を感じる曲。もともと大槻ケンヂの詩世界を追ってきた人間ならばむしろ反語的な表現にも思えてしまうが、実際に4曲目で意味が反転する。ただ、これは皮肉で言っているわけではなく、どこか突き放したような感覚があり、これはこれで本心。シンプルに「楽しいことしかないといいな」という祈りも感じる。
2.無意識下で逢いましょう ★★★★☆
橘高曲、つまりハードロック。J-metal、アニソン的な盛り上がりを見せるメロディアスなハードロックサウンド。カール・グスタフ・ユング、と心理学の大家であるC・G・ユングがフルネームで歌詞の中で登場。リアルで会えなくても、夢で逢えなくても、無意識下で逢っているんだぜ、という「僕ら繋がってるんだぜ」を非常に説明的、理性的というか「普通に言っても納得しない人たち」向けに表現した曲。橘高曲らしく細部まで作りこまれた音像。ギターのアンプから直接音が出ているような、いいギターサウンド。なお、歌詞の中に「ドレス・ジ・エンドの夜」というフレーズがあるが発音は「ドレスデンの夜」、つまりイギリス軍によるドレスデン爆撃、「無防備だった都市に突如行われるテロ的な攻撃」を指していると思われる。
3.坊やの七人 ★★★★★
「荒野の7人」のダジャレで「坊やの七人」なのだが、言葉遊びで終わらず、離婚する夫婦、去り行く父親が子供の幸せを祈るというシーンに繋がっていく。”Show Must Go On”に収録されていた「月一回の天使」など、「離婚、別離した父親の子供に向けた歌」シリーズ。オーケン本人は独身なのだけれど、やはりこうした大人の悲哀というものを描かせるとうまい。もはや単純なラブストーリーは歌えない(本人もそういっているし、そもそもあまりそういう曲がない)し、一時期は老人ホームで出会った老齢者のラブソングとかを作っていたが、再結成後は「父親と娘の歌」が増えた。そしてこれは父親と息子の歌。「坊やの7人」に子供を託す父親の願いであり、その「坊やの7人」が「助けた娘がちょっとママに似ていた」というのは、無意識で何かを感じ取っていた残された息子が母親を支えねば、という気持ちのメタファーだろうか。「枕投げ営業」に近い、「ダジャレかと思わせて、聞いていると奇妙な感動を生む曲」。内田曲でプログレ。ウェスタン感が混じっている。
4.世界ちゃん ★★★★★
本心が分かってしまう地獄耳子の世界ちゃん。「楽しいことしかないと歌うアナタの不安感、よさげなことを聞いたらそりゃみな逆を言ってる」と1曲目の意味を反転させてみせる。白眉は終盤、「愛の反対 なんだろう 憎しみは同意語ね」。愛と憎しみは同意語である。では愛の反対とは? それは無関心だよね。という言説があるが、それをさらりと入れてくる。「大好きだ、世界ちゃん」と「あの人」に言われたからこういうことを思うのだけれど、つまりそれは「あの人」は「世界」に無関心ということだ。それを言われる覚悟が出来ているから「イヤホンしておくね 耳をふさぐため」。無関心には無関心を。世界から遠ざかりたいという1曲目の強烈な裏返し。曲は内田曲でニューウェーブ的な奇妙な曲。
5.COVID-19 ★★★★☆
直球のタイトル。直截的な言葉が並ぶ。ライブで合えない、その間に離れてしまったファンもいるだろう、それでも戻ってくるファンがいるだろう、という内心の吐露にも思える。オーケンは「長年続けているバンドの経済事情」とか「バンド経営の苦労」みたいなことをメタ的にネタにしてきた人なので、そうしたニュアンスも感じられるし、もっと普遍的に「コロナ禍でいろんな人のいろんな面が見えた」ともとれる。ただ、ここで前の曲の「強烈な逆転」が効いていて、世界に対して無関心、と心を閉ざした諦念の直後なので言葉が意味通りに受け取れない気持ちと、より切実さを持って響く気持ち、両方がある。本作はオーケンの詩世界の切れ味が凄い。というか、どう受け取るべきか判断を決めかねる現実世界の変化に対して、多義的に解釈できる、固定観念をずらして見せる手法がピッタリがはまっている。これも内田曲。オーケンは内田曲だとより実験的というか、深い部分まで踏み込んだ歌詞を書く気がする。
6.大江戸鉄炮100人隊隠密戦記 ★★★★★
本作で一番メタリックな曲。まさにアニソンだし、ちょっと人間椅子的(それにしてはアップテンポだが)でもある。これはMC的な、「オーケン」のキャラクターも生きていて、途中でButを「ビーユーティー」と発音したり、「ウテ!マエヲウテ!」と少しなまっているところで吹き出してしまう。歌詞カードを読みながら聞くと「ここかよ」と思うだろう。学生時代だったら「ウテ!マエヲウテ!」が流行ったね。しかし、決めフレーズの「大江戸鉄砲100人隊、残るは50人」が強烈で、けっこう人が死んでるんだな、と。さりげなく血みどろで陰惨さも出てくる。ギャグタッチなのにバタバタ人が死ぬ、意外とシリアスなのはオーケンの小説「ステーシー」「ヌイグルマー」の世界観にも近い。そういえば本作はなんとなく「ステーシーの美術」に雰囲気が近いものを感じる。
7.そこいじられたら〜はぁ!? ★★★★★
本城曲。ちょっと”釈迦”的な、ナゴムなリズム。もともと「僕の宗教に入れよ」でバンドとファンの関係をカルトに例えて見せたオーケンだが、月日と共に「プライドオブアンダーグラウンド」など、「異端であること、少数派であること」の自負を説くようなシリーズが出てきた。その流れを汲む一曲だが、「カルトの崇拝対象としてのアーティスト」としてではなく「そうした対象を持っているマニア」の立場で曲を書いている。それはコロナ禍で音楽業界が「不要不急」と言われた当事者であることもあるだろうし、他にもさまざまなことが分断が起きた、優先順位を付けられた。それに対して「譲れないものはそれぞれあるだろ」という訴えなのだが、そこで「はぁ!?」というフレーズを選んだのが白眉。MCのネタ的な、MCと曲が一体化したような面白さがある。これ、コールアンドレスポンスで盛り上がりそうだな。しばらく声出せないけれど、心の中で声を上げるだろう。
8.ロシアのサーカス団イカサママジシャン ★★★★
本城作のインスト曲。これはたぶん「インスト作って」とオーケンが発注したのかな。全体として近作に近い本城4曲、橘高3曲、内田3曲のバランスになっているが、他に1曲、急逝したBERAさんの曲が入っている(後述)。ここで作曲クレジットのバランスをとるためにここで小曲を依頼したのかもしれない。とはいえ、単なるつなぎ、次の曲のイントロではなく、中間部で空気を換えるインタールードであり、且つ1分半の小曲ながらきちんと単独で完結している曲。本城はインスト曲は珍しい。オーケンが脱退していた時期の「CRAZY MAX 1st.」以来じゃないだろうか。他にもあったかな。
9.ボーダーライン ★★★★★
ここからがやや問題作というか、歌詞世界が多義的になっている。謎かけのようだ。曲は橘高曲で、最初はZeppの「天国の階段」を意識したキメが入ってくるハードロックバラード。途中からもっとクラシカルでテンションがかかったコード進行、橘高バラードに変化していく。歌詞が多義的で、単曲だとどうも意味が分からないが、ここから9,10,11と繋がっていく。10曲目の「OUTSIDERS」は昔からある曲でオーケンが石塚"BERA"伯広、小畑ポンプ、佐藤研二と組んでいた”電車”の曲。これは当時からちょっと分かりづらい歌詞だったのだが、この補足にも思える。モチーフとして「スプーン」が出てくるが、これは「掬い」と「救い」をかけたものだろう。このスプーンによって、境界線が壊れる。それによって「すべてが飲まれて死に絶える」とある。どうもスプーンは「救い」ではなく、破滅のようだ。ただ、これは「世界ちゃん」で描かれたような、「無関心でいたはずの世界」からの干渉、恋人という「手に入れたい他者」の出現によって世界と関わらざるを得なくなる成長のメタファーだろうか。そうなると「それをとめられる者はいる、だが、人々は彼らを一時はやし立て、すぐに手のひらを返し追放した」とは誰のことか。バンドのことか。思春期に、社会との接し方に悩める時代に心を支えてくれた、自分の世界を守ってくれた音楽やコンテンツ、サブカルチャー、そしてやがて忘れ去ってしまったもののことだろうか。
10.OUTSIDERS ★★★★☆
今は亡き石塚"BERA"伯広の曲。前々々作「Future」から過去曲のリメイクを封印してきた筋少が過去曲をここで入れるのはBERAさんへの追悼の意もあるのだろう。作曲印税が遺族に入るしね。バンドマンは保障がないから、相互扶助がとても大切なのだ。さて、この曲はもともと電車の2ndアルバム「勉強(2002)」に収録されていた曲。いきなり「スプーン」が出てきて、よくわからない歌詞だなぁと思った記憶があるが(当時のアルバムの中でもやや浮いていた)、今回、前の「ボーダーライン」からの流れがあることで「スプーン」とは「救い」であり、「現実社会からの介入(ひいては同調圧力)」みたいなものだと解釈できた。そうなると、その「スプーン」を折るためにアウトサイダーズ、ここではサーカス団のイカサママジシャンと路上生活者が呼ばれる。そもそもアーティスト、芸能者とはアウトサイダーであり、芸能とは都市の辺縁部、闇から生まれると看過したのは中村とうようだったが、そうした「アウトサイダー」からの視点。そして自分たちは「あらがえない」から呼び出される、立場の弱いものである。その弱きものがスプーンを折ろうとして「スプーン耐えるな」というフレーズで終わる。スプーンが折れたかどうかは定かではない。ただ、アウトサイダーズが残すのは「スプーン耐えるな」という祈り(あるいは呪い)だけである。
11.お手柄サンシャイン ★★★★☆
本城曲。不思議な曲で、バンドサウンドなのでそこまで童謡的な印象は受けないが、ヨナ抜き音階を延々と繰り返す童謡的なメロディが繰り返される。9曲目で出てきた「ボーダーライン」「境界線」というフレーズが一見重要なものとして出てくるが、その後語呂遊びのようになり、意味がなくなっていくというか、解体されていく。連想ゲームのように言葉が繋がれ、ウィリアムバロウズのカットアップのような、あるいは筒井康隆のような言葉が飛躍しているような、あるいはどこか連続しているような。謎かけのような曲。シンプルで反復されるメロディも相まって不思議な感覚のまま曲が終わり、余韻が残る。