周りばかりを気にしている僕が「発酵」に魅了されるまで(高校生から22歳の今)
僕は気にしいなんです。
僕は気にしいなんです。
すぐに周りの意見や、世の中のことが気になってしまうのです。
でも時々どんな世間よりもどうしても譲れないものが自分の前に現れます。そんなときだけ、僕は世間の常識から外れるんです。
最近だったら、一番大きいのはこの「起業」という挑戦ですよね。
実はまったく挑戦的な性格じゃなくて、常に守りの人間です。
もともと僕は極端に挑戦的な性格ではなく、どちらかというとそこそこの世界でずる賢くいきて、まあまあな立ち位置に立つような人間です。
だから大学生の時も「いつかは起業したいです!」とか大人の人の前では言いながらも自分の心の中では「いつかとか言ってる奴はずっと起業も挑戦もしないさ」って思っていました。
高校のときだって、別に勉強も野球もそんなに好きなわけではなかったけれど、硬式野球しながら進学校にいたので、それなりに大人や女の子の前でもそれっぽく見せることができていました。
そんな自分に少しは「自分ってダメなやつだわ」って思っていましたが、「うまく生きれてる自分もいいじゃん」とも思っていました。
特に夢もなかった高校生の僕。
正直に言います。
高校生のときまで、大した夢もありませんでした。
本当に。
これっぽちも夢なんてありませんでした。
将来の夢はなんですかって聞かれたら、「教師です」って言ってみたり、「社長になりたいです!」ということもあったらい、「総理大臣もいいですね」なんて言っていたこともありました。
全部、別に本気で思っていたわけでなく、教師という職業しか知らなかったし、なんか社長って良さそうって思っていたし、大きいこと言ってみたいから総理大臣なんて言っていたんだと思います。
僕を変えた高校3年生の8月
僕が心から人を好きになったのは、高校3年生のときでした。
それまでも彼女がいたり、好きな人的なのはいたけれど、全部ステータスのためだったんだと思います。
(そのときは好きだったし、ちゃんと向き合っていたから雑に恋愛をしてきたわけではないけど、今思うとそう思う。)
そんな僕が心から好きになったのは、高校3年生の夏休みです。
当時付き合っていた彼女とディズニーシーにいったときでした。
(確か8月上旬だった気がするな…)
僕にとっては、野球部を引退し、いよいよ本格的に受験勉強というときでした。
そんな受験勉強に入る最後の遊びとして、当時の彼女とディズニーシーにいきました。
今だから言えけど、この日を迎えるまでは彼女がいるというステータスもあって付き合っていたんだと思います。
なりたいものを見つけていた彼女
もうそのときに何を話したかまでは覚えていないけれど、この日に僕の心が大きく動いたことだけは覚えている。
その女の子は、自分の夢を自分の思いと一緒に自信を持って語れていて、その言葉と行動が一致している日々を送っていました。
きっとその女の子とは否定するかもしれないが、僕にはそう見えました。
今まで、ごまかしてうまくいきてきた僕にとっては、新鮮でもあり、なんか違和感も残るような気持ちでした。
あの日多分だけど、「いつかは自分も想いを持ちたいし、自分に正直にも生きたい」と思うようになった気がします。
自分に正直に誠実に生きてみよう
その後、大学に入学し、その女の子とは別れてしまうのだけど、今でも僕の原点を作ってくれた恩人だと思っています。
もしどこかで会う機会があれば「ありがとうございます」って伝えたいです。
それからというもの、自分の好きなものは何かはわからないけれど、とにかく興味のあるものに飛び込んでみようという学生生活が始まりました。
違うと思うものにはちゃんと意見を言って、迷惑をかけてしまっても自分に正直に生きるということを一つのポリシーにして、学生生活を送りました。
そのことで多くの仲間や大人の人に迷惑をかけたことは、申し訳ないなと思っていますと言いつつ、今書きながら思っていないかもしれないとも思いました。
人間だから成功も失敗もするから、そこばかりを振り返る人生では、超えることはできないと思っているので、申し訳ないとは思っていません。
むしろ本当に人生を通して繋がり合うのであれば、またいつか関係を紡ぎ会うことができるのだろうと今は思っています。
とはいえすぐにはうまくいくことなんて見つけられず…
大学生活ではじめに、地方創生や地域活性化の分野に関わってみました。
でも僕には難しかったです。合いませんでした。
しかしおかげさまでやったことは無駄にならず、そこで気づいたことがありました。
専門があってこそ地域では活躍できる人材になれる。
でもそこに気づいたとき、僕には何もありませんでした。
あったのは根拠のない自信と、元気とやる気だけでした。
それらも心の奥底からのものならば、地域に大きなエネルギーを与えるけれども、僕の想いは、目新しさや周りに対する優越感という表面的なものにすぎず、到底地域で活躍できる人材ではありませんでした。
表面にとらわれない本質的な自分になりたい。
幸いにも行動はしていたおかげで、多くの気づきももらえました。
一番大きかったのは、自分の薄っぺらさです。
高校の時から気づいていたことでしたが、こんなにも自分の人生に影響するとは思っても見ませんでした。
何を言っても自分の中で「調子いいことばかり言って、何にも理解できていないくせに」と思う日々でした。
同族嫌悪というか、そこに自分の目が行くと他人の薄っぺらさや表面さに気づいてしまうのです。
その時は大学2年生の秋。
もう生きていること自体が嫌でした。
なんか全てが意味がないような気がして、「結局みんな妥協して生きているのか」とか「このままいけば、今のような変化したい思いも失って、自分のことのために口を合わせる大人になっていくのか」とかばかり毎日考えていました。
「もっと表面にとらわれない本質を追求できるような人間になりたいな。」と何もすることなく思うだけの日々でした。
本が人生を変える!先人たちの偉大さに感動。
世の中に希望なんてなかったし、地域活性分野に足を突っ込んで、挫折していることもあり、外向きの行動への意欲は失われていました。
そんな僕がとった行動はひたすら本を読むことでした。
実は、高校生までろくに本を読んだことなんてありませんでした。
大袈裟でなく、本当に1冊も最後までは読んだことがなかったかもしれません。
読書感想文は斜め読みして、インターネットでレビューを探してきて、それを適当にアレンジして提出していましたし、学校の朝読書の時間は本を読んでる風にして別のことをして、先生に「本を読みなさい!」と注意されていたと思います。
そんな僕が大学2年生の秋になって、初めて本を読みま始めたのです。
(正確に言えば、本を読み始めたは大学1年生で、本格化がしたのが2年生の秋ですね。)
このときに出会った本の中でもやっぱり「古典」は僕に大きな影響を与えました。
今でも大好きな偉人は内村鑑三さんなのですが、彼に出会ったのもこの時期でした。
僕らが生きる今よりもはるかに厳しい時代でも希望を持って生き、やり遂げられなかったことを未来に託して、死んでいく偉人たちを本を通して知った時は、自然と涙が溢れてきました。
未来が暗くていいはずがない。
希望を未来に遺せる生き方をできる人間になりたい。
僕らが先人から受け取ったバトンは、僕らでは終わらないんだ。
だからこれを未来にも受け継がなければならない。
そんな風に思い始めたのは、このころでした。
本質を追求した結果、出会ったのは自然栽培でしたが…
そんな最中、これだと思えるものに出会いました。
それは「自然栽培」という農業です。
農薬や化学肥料、堆肥などもしようせず、地力を最大化させて栽培する農業の方法です。
戦後の食糧増産時代には、農薬や化学肥料を使って管理することで、最大化を測っても仕方がなかった。
しかし今日も本当に今までの同じやり方でいいのかに疑問を持っていました。
農薬はまく農業者に健康被害をもたらしますし、化学肥料は徐々に土壌をやせ細らせ、いずれは地力を失ってしまうかもしれません。
そうなれば作物を育てることはできないからこそ砂漠になってしまいます。
そんなことを考えていた僕にとってキーワードは、「いかにして半永久を作り出すか」でした。言い換えれば「循環」です。
そんなときに「自然栽培」はぴったりでした。
「おお!きた!これが本質的かつ僕が求めていたやつだ!」と。
でもそうではありませんでした。
「自然栽培に興味があります」というだけで、そうではない農家さんから煙たがられ、自然栽培に惚れている人は小さいコミュニティで熱狂してるだけ。
こんな状況ではいくら自然栽培という農業が本質的であっても、広がっていかないと思いました。
同時に、半永久的を目指すのであれば、「自然栽培」という言葉すら必要なくて、みんなが実行している農業こそが農薬肥料を使わないものになるのがいいのではないかとも思うようになりました。
いつかはこの自然栽培という世界観を世界中に届けたいけれど、一旦ここじゃないと思った大学3年生の冬でした。
出会ってしまった発酵の世界。
見つけなのになと思ったけれど、また振り出しです。
でも自然栽培に触れながら気づき始めていたことがありました。
半永久的=循環を作り出すのには、人間の力だけでは不可能だということを。
自然と共生してこそ、初めて循環は生まれるのではないかとも心の中では思い始めていた。
まもなくして、その想いは自然と「発酵」への関心として向かっていきました。
このとき正直、健康食品としての発酵食品にはほとんど興味はありませんでした。
自然の仕組み、社会の摂理として「発酵」が次世代のヒントになると確信し、そこへの探究心が深まっていきました。
・微生物という目には見えないけれど、存在しているものを大切にする価値観
・ある微生物のフンは別の微生物のエサになり、循環していく世界観
・人間はあくまでサポート役で微生物や自然が主役の発酵食品の調和
全てが僕にとっては、なめらかでありました。
同時に芸術にも思えましたし、美学に感動しました。
同時に美容健康にも効果があると知り、「発酵が心身ともに世界を救う」って直感的に思って、心が震えました。
気にしいな僕でも人生をかけたいものを見つけられた。
こうやって僕の高校生活から発酵に出会うまでの心の想いや、失敗を語りました。
全てこれらのエピソードは前置きで、僕が伝えたかったことは、周りや世の中のことが気になってしまう人間なんですってことでした。
でも周りは「小泉くんは、行動派で挑戦的」と思ってくれています。
それは「発酵」というわかりずらい分野で、「起業」というみんなが取らない選択肢をとってきたからだと思います。
でも読んでいただけたように、とにかくやりたいこともなくて、自分にも納得がいっていなくて、保守的なんです。
ただ今は確かに動けています。
それは、先人たちの想いと、何よりも発酵が世界にパラダイムシフトを起こすと僕自身が確信しているからだと思います。
そんな風に何もなかった僕でもニッチな発酵と追うものに惹かれ、人生をかけているんです。
どんなもんでもいいし、最初は人生をかけたいものがなくたっていいと思います。
でも諦めないで欲しいなと思います。
僕もやりきるまではやめませんから、一緒に頑張りましょう。