保育所のDXとは? 組織の経済学から具体的に考える
「組織改革のあおり文句」として、ほぼバズワード化しているDX等ですが、規範的にはともかく、分析概念としては、まだまだ使えるのではないかと思っています。そこで、「組織の経済学」を補助線として、DX等のデジタル技術を導入して、保育所の組織・業務を変革するということを少し具体的に考えてみることにしました。
バズワードとしてのDX、ネクストエコノミー
上図は、デジタル技術を用いた「新しい」ビジネスのやり方をモデル化、概念化したものだ。
特に、左側のデジタル・トランスフォーメーション(DX)は、省庁や大手IT系企業が喧伝している用語なので、目にする機会が多くなっているかも知れない。
所詮雰囲気で使われている用語ではあるので厳密な定義を議論しても仕方がない面はあるが、一般的に「最新のデジタル技術を駆使した、デジタル化時代に対応するための企業の変革」という意味合いのビジネス用語として使われているようだ。このような漠然とした定義では、過去に何度も現れては消えていった幾多のバズワードと同じようなものとして、消え去っていくだけであろう。
また、これらの「思いつき」を、単に新しいお金儲けのやり方を言い換えたものというレベルで考えるのであれば、「保育の質を向上させるための保育所保育へのデジタル技術の導入」という課題に向けた思考を深める上で、考慮に入れる価値はほぼないと言って良いと思われる。
「組織の経済学」から考える
そこで、近年発展と応用の深化が著しい「組織の経済学」の知見を応用して、DXやネクストエコノミーといったモデルや概念を、保育所保育の質の向上に役立てるように再構築する方策を少し検討してみたい。
そもそも、我々がデジタル技術を用いて、組織のあり方や組織運営の方法を変化させる理由は何であろうか。逆に言えば、デジタル技術を適用して、何かを変化させた場合の「成功」「失敗」の判断基準は何なのか、その効果はどう測定するのだろうか。
「組織の経済学」では、この問題を「組織のパフォーマンスの評価を効率性で測る」という形で、定式化している。
ここでいう組織とは、必ずしも一つの保育所というだけの意味ではなく、ある程度固定的な取引や協業、役割分担がなされる人間の集まり位に捉えてもらいたい。
そして、そのパフォーマンスは、組織を構成する人又はそのグループの意思決定とその決定に基づいて生じる成果の組み合わせが「効率的か」という観点で評価される。
そして、その効率性は、「パレート効率性」という道具立てによって、把握される。近時の組織の経済学の本格的テキストでは、「パレート支配」「パレート効率性」は、以下のように定義されている。(伊藤・小林・宮原『組織の経済学』 有斐閣 2019年 42ページ)
パレート支配:
組織のメンバーと選択可能な組織の状態が列挙されたものとする。ある組織の状態とそれとは別の組織の状態が与えられたものとする。このとき、前者の状態において、すべてのメンバーの利得は後者の状態における利得より厳密に大きいか等しく、少なくとも1人のメンバーについては厳密に大きくなっているときは、前者の状態は後者の状態をパレート支配するという。また、後者の状態は前者の状態にパレート支配されるという。
パレート効率性:
組織のメンバーと選択可能な組織の状態が列挙されたものとする。ある組織の状態が与えられたとき、その組織の状態をパレート支配するような別の組織の状態が存在しないとき、その組織の状態はパレート効率的であるという。
DX=パレート改善
これらを踏まえれば、DXというのは、組織の以前の状態を、パレート支配するような状態に移すものでなければならない。この状態の推移を、「パレート改善」と呼ぶ。つまり、DXやネクストエコノミーのビジネスモデルの導入は、パレート改善とならなければいけないということだ。
パレート改善をざっくりと表現すると、組織のメンバーの誰一人の状態も悪化させずに、少なくとも一人の状態をより良いものにすることであり、パレート効率的な状態とは、組織構メンバーの状態をより良いものにするためには、他の誰かの状態を悪化させなければならないような状態のことを意味する。
このような道具立てで、DX等の組織変革のパフォーマンス評価を行えば、その実施の可否を検討することができるようになる。
保育所の「パレート改善」とは?
さて、保育所保育の「組織」メンバーは、保育スタッフに限定されるものではない。子ども自身、保護者の「状態」を考慮にいれてDXの導入等を考えるのが当然であり、こういった保育スタッフ以外のステークホルダーも組織のメンバーと考えることができる。場合によっては、もっと広い範囲の関係者を「組織のメンバー」と設定して、効率性評価を行う必要がある局面も多々あるだろう。
また別の観点として、保育が養護と教育で構成されており、両者でデジタル技術の適用の難易度が異なること、また、保育スタッフの日常的行動、活動は、直に子どもと接する保育活動(直接保育)と、その保育活動に付帯する各種の活動(間接活動)に分けられることも、保育所保育へのDX等の適用を検討する場合には、考慮に入れることが必要だろう。
このような養護/教育や直接保育/間接活動という区分の元で、DX等の適用の難易度を、組織のメンバーとして「子ども」を含めた表と「保護者」を含めた表にしてみると、次のようになるのではないだろうか。
DXの「型」との対応
DXの「型」①の「ネットワークの拡張」や型②「情報検索・選択コストの削減」を具体的に想定すると、現在の各種の情報発信の労力と同じコストで、情報発信の頻度、質を高め、かつ、その到達範囲を広げることがDXによって可能になるという面がある。
これらは、上の「対保護者」の表の上の列に相当するパレートと改善の例だろう。
対子どもの表の間接活動へのDXの適用例としては、型④の「データ・アグリゲーション」を考えることができるだろう。
単に外部専門家に子どものデータを渡してフィードバックを受けるということではなくて、保育スタッフがデータ、観察の収集の段階からデジタル技術を活用して、組織行動として分析結果を利用するということになろう。
保育所の間接活動のパレート改善に向けて
このように見てくると、DX等の適用は、まずは保育所保育における間接活動において検討されるべきで、間接活動への導入による組織変革がパレート改善になるかどうかが判断されることになる。狭義の教育への適用については、その後で検討するべきということも、ある程度、明確になるのではないかと考える。
いずれにせよ、保育所保育におけるデジタル技術の導入、DX化については、その用語に闇雲に踊らされるのではなく、関連する社会科学の分析枠組みを積極的に活用して、冷静かつ何度も思索を重ねるということが必要なのではなかろうか。