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保育の5「領域」と因子分析

保育の領域

 保育所保育指針において、「保育の目標」のうち、「教育に係わる内容」の領域として、「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」が記されていることは周知のところでしょう。この領域分けは、あくまで「保育」実践の目標の領分分けであって、子どもの発達や成長の種類分けを直接的に示している訳ではありませんが、保育の教育部分の「目標」ということで、子どもの成長、発達の向かう5つ「レーン」のようなものを示しているということになるのでしょう。

 そのように受けとめると、子どもの発達として観測できる個々の行動の達成は、「健康」領域の発達の顕在化したもの、「人間関係」領域の発達が顕在化したものというように考えことができます。つまり、全体としての子どもの発達という現象は、この領域として表現させるファクター、要素における成長の影響下にあるというように関係性を把握するということを仮定していることになります。


因子分析と一般因子

 このような、直接観測、観察できる現象の背後に、隠された(共通)要素があるのではないかという仮説、仮定を統計的に検証する手法として、因子分析というものがあります。
 因子分析とは、観測、観察されるデータの背後に、1つ以上の観測されない潜在的な変動要因が存在していると仮定できる時に、その因子から、それぞれの観測データがどれ位影響を受けているかということを分析するものです。

 多くの発達に関する議論において、発達、成長する「能力」の間の連関について議論されます。まず「総合的な成長度合」「全体的な発達度合」と表現できるような因子が想定されているということです。すなわち、観測された発達現象に、微妙な差異はありながらも、満遍なく影響を及ぼしている潜在因子が見出されるだろうということです。
 いわば、知能検査における「一般知能因子g」のようなものといえるでしょう。

 そのような一般的な潜在因子が、身体の動きや非認知能力を含む人間関係、さらには生活習慣の取得のような部分の発達や成長にも影響を及ぼしているということが示唆されています。そうなると、子どもの発達過程の個性は、この「一般因子」の高低と、一般因子の影響ではない、個別「領域」の発達の差に分解できるということになります。


領域のオーバーラップ?

 さて、一般因子を除いた、発達のバラツキに影響を及ぼす因子も、きれいに5つに分配できるかというと、直ちにそうとは言えないのかも知れません。
 保育指針では、この5領域とは別に「幼児期の終わりまでに育って欲しい姿」、いわゆる「10の姿」というものも記述されています。そして、「領域」と「10の姿」の関係を単純な対応関係に捉えることを、保育所保育指針解説では戒めています。例えば、「10の姿」の1つである「ア 健康な心と体」に関しては、次のように注意喚起されています。

「なお、健康な心と体は、領域『健康』のみで育まれるのではなく、第2章に示すねらいお呼び内容に基づく保育活動全体をとおして育まれることに留意する必要がある。」

 つまり、1つ1つの発達(行動の達成)、すなわち観測データが、単一の領域、すなわち潜在因子の影響のみを受けている訳ではないということです。さらに、潜在因子間にも連動する部分を想定できるでしょう。
 となると、発達/成長の「構造」は、一般因子と5領域因子の6つの潜在因子が並列的に並んでいるというというよりも、階層構造をもっていると考えることが適当なのかもしれません。そうなると、因子分析のやり方も変える必要がありますし、さらには、構造方程式モデルを検討する必要もあるのかも知れません。


因子の実在性についての更なる研究

 さて、因子分析について、1つ注意しなければならないことがあります。
 それは、因子分析の結果、潜在因子の影響力を計算することができたとしても、それは、その潜在因子の「実在」を保証してはいないということです。因子分析の結果、計算結果としての潜在因子が存在し、それが各観測データに所定の影響を及ぼしているという仮定が、それらの観測データの変動と矛盾しないということだけが、解明されているのです。
 ですから、因子分析によって潜在因子が計算できるということは、そのような潜在因子が存在するということの必要条件ではありますが、十分条件ではありません。

 保育の「領域」が、発達や成長のカテゴリーという意味での発達領分、成長領分として存在しているのかどうかは、統計分析だけではなく、発達や成長のメカニズム、機序や、子どもの変化を認識、知覚するということの意味するところや内容についての(哲学的、存在論的な)さらなる検討が必要となっていくのではないかと思っています。