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まちづくりの専門家、木下斉さんのvoicyを聴いていて、 15年前に母に言われた、私の人生が変わる一言を思い出したので、 今日はその話を書いてみます。 連続投稿100日記念と、 ちょっと生々しい話でもあるので、後半は初の有料記事にしています。 昭和型な家事労働分担放送で取り上げられていたのは、昭和な家事労働の分担と共働きの 掛け算が生み出す、女性の負担の話と 世帯としてどうしていくか?という話でした。 放送をお聴きになっていない方は、ぜひ聴いてみてください! 昭和のバ
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計画通りにはいかないこともある 一人旅に限らず、個人旅行では計画通りにいかないことがある。今回の釜山旅行でも後悔の残るミッションがひとつあった。 本日はそのお話。 影島の海女村でウニキンパ 某旅系Youtuberのマネをして路線バスで移動するという一人チャレンジをしてみた。 目的地は影島海女文化展示館。 名物ウニキンパ(ウニキムパッ)を食べるため。 出だしは順調 甘川文化村からバスを乗り継いで最寄りのバス停で降りる。Youtubeで見た通りに赤い灯台を目指して進む。順
釜山一人旅の続編。 ミッションの一つに挙げた甘川文化村のお話。 甘川文化村とは『韓国のマチュピチュ』と言われ、カラフルな街並みで有名。もともとは北朝鮮からの避難民が片寄せあって生活していたエリアなんだとか。 私の場合はネットで見た空と海のブルーと街並みの美しいブルーとがあまりにも印象的で、これは絶対この目で見たい!ここへ行くと決めていた。 一人で散策するなら人気の少ない朝 人ごみも列に並ぶのも大嫌い。 人気のレストランにもだらだら並びたくないからオープンと同時に入店。と
奔走 担任とは『起立性調節障害』であることも含め、その後何度か話した。 当時はまだ今ほど同様の症状の子は少なく、担任も知らないようで、まったく話が通じない。それどころか、自分の考えを一方的に話し続けられる。 この先生は無理だ。たとえ頑張って登校しても、同じことが繰り返されるに違いない。 埒が明かないと判断した私は、長男含め同じクラスの子供たちや、その担任の様子もできるだけ探ってみた。といっても、なんせフルタイム勤務、PTA活動的なものやご近所付き合いも最低限ゆえ、なかなか難
休ませるしかない 登校できる日はどんどん減っていった。 そんな状態でもまだ、行けそうな時は行かせなくちゃ!と私は思っていた。 しかしある時、夜に微熱が出た。翌朝はなんとか下がり、登校できそうな雰囲気だったので、連絡帳に「昨夜少し微熱が出ましたので、体育は見学させてください」と書き、登校班に送り出した。 ところが帰宅後、完全に発熱。ぜんそくも併発した。 長男に何気なく様子を聞くと、担任に連絡帳を見せたにも関わらず、体育の見学をさせてもらえなかったことが発覚。 しかも、ここの
なぜ学校に行かないのか 子供が「学校に行きたくない」と言った時、大半の親は多かれ少なかれ焦るだろう。このまま不登校になったらどうしよう・・・と恐れ、その事実を認めたくないと思うのは当然のことだと思う。 体が弱く、学校になかなか通えなかった私は「学校に行くことは良いこと」という概念を持っていた。だからなおさら、自分の子供が休むことに恐怖心に似た感情を抱いていた。 長男自身にぜんそくなどの目立った身体症状があれば、もちろん無理させずに休ませていた。 が、観察していると、ぜんそ
そして嵐が起こる予兆 「なんとなくおかしいぞ・・・」 という予感は少しあった気がする。 だが、その頃仕事もかなりハードだった私は、 できるだけそのことに気が付かないように していたのかもしれない。 ある時、ご近所のママから 「長男くん、大丈夫?」 と聞かれた。 何のこと?と尋ねると、衝撃の事実だった。 どうも長男は、 担任の先生から目をつけられているようだった。 後でわかったことだが、 たまたま学校に訪れていた保護者にも聞こえるような、 教室の外に響くぐらいの金切り声で怒
男の子ふたりすくすくと 虚弱体質だった幼少期から高校時代を経て、 理系の道に進んだ私は、 以降大きな病気もほとんどなく、 やっと大学で楽しい青春時代的なものを堪能する。 それなりに学業も頑張った気がする。 そして社会人となる。 おかげ様でふたりの大きめ男の子に恵まれた私は、 自分がなかなかできなかったスポーツを、 子供達には好きになって欲しいと思っていた。 幼稚園の頃からスポーツクラブやサッカーなど、 本人が「やりたい!」と言ってきたことは 積極的に経験させた。 だからと
どうにかしなければ ・・・さすがにこれはいかん。 こんなことをしていたら子供達が「自分たちのせいだ」と思い、自分を責めてしまう。それだけはなんとしても避けなければ。 (この時はまだやっぱり、自分のことより「子供」という思考ではあった) 自分の心を整えるために何をすればいいのか・・・ 本当にドン底に落ちそうになっていたのだろう、自分自身の存在意義などとっくに見失っていた私は、指南を求めて「占い」に傾倒するようになっていった。「占い破産」という言葉があるらしい。今思えば、瞬間
根付いていった感覚自分はどう思っていたんだっけ もう少しだけ過去を振り返ってみようかなと思う。 プロローグに「2」なんて、あまり聞いたこともないけれど、きっと書いておいた方が良さそうな。 私は、幼少期はいわゆる虚弱体質だった。 今でこそ、女性としてはなかなかに大きく、見るからにお酒強そう、スポーツできそうに見えるらしく、誰も信じてくれないんだけど(完全に見掛け倒しパターン)。 小学校低学年は、小児ぜんそくだ、肺炎だと入退院の繰り返しで、はたして1/3も登校できただろうか?
「なるほど、そうだったんですね・・・」 次男中1、夏の個人懇談。 担任の先生がひどく納得したように言った。 「実は・・・」 何が飛び出してくるんだ?ちょっと身構える。 「次男くんをこんなに明るくおおらかに受け止められていて、動じていらっしゃらない。 他の不登校のお子さんをお持ちの保護者の方は、動揺されたり、落ち込まれたりしているのが普通なので、 職員の中でも『すごいよね』という話が出ていたくらいだったんです。 でも・・・理解できました」 何をどう理解していただいたのかは
「人を育てる」という表現は よく使われるのですが、 私は内心とても大袈裟に感じてしまうのです。 幼い自分の子供であれば、 もちろん寝食を準備する必要はあるので 物理的にはその通りなのですが、 精神的に見れば 明らかに親が「育てられている」フシもあり、 そのことは先人達もおっしゃる通り。 ましてや高校生や大学生ともなれば、 自分で勝手に食べたいものを買って食べたり、 寝たい時に寝たりもするわけで、 物理的介入は格段に減ります。 上司が部下を育てるなんていうのも、 仕事にお
「再構築」とは、一度壊れてから始まる 「再構築」するためには、まず既存のものを取っ払う必要がある。 古くなった上物を壊して、その土地をキレイにさら地にしてから、再び基礎工事をし、その上に新たな建物を建てる。この基礎工事がいかにしっかりしているかで、上物の強度も当然変わってくる。 私の場合、今から約8年半ほど前、今思い返せば長男1回目の不登校のタイミングで一度「崩壊」していたのだ。 寝られないし、夜明け前には目が覚める。食欲不振なども重なり、周囲からも「病気か?」と言われ