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プロローグ 2

根付いていった感覚

自分はどう思っていたんだっけ

もう少しだけ過去を振り返ってみようかなと思う。
プロローグに「2」なんて、あまり聞いたこともないけれど、きっと書いておいた方が良さそうな。

私は、幼少期はいわゆる虚弱体質だった。
今でこそ、女性としてはなかなかに大きく、見るからにお酒強そう、スポーツできそうに見えるらしく、誰も信じてくれないんだけど(完全に見掛け倒しパターン)。
小学校低学年は、小児ぜんそくだ、肺炎だと入退院の繰り返しで、はたして1/3も登校できただろうか?というレベル。
夏のプールの授業もほとんど見学だったため「蹴伸び5m」くらいの記録しか、成績としてついてなかったんじゃなかろうか。
強い日差しの中でじーっと座って見学している間に、外に出慣れていない私の幼い肌は日光火傷を負ったくらいに弱々しかったのだ。

でも当時は、学校に行けないことを格段辛いと思っていたわけでもなく、だからといって、学校に行きたくないと強く思うわけでもなかった。
入院は嫌だなぁ、退屈だなぁと思っていた記憶はなんとなくあるけど、学校に対する思いなんて特別にはなかったな。

ただ、母子家庭であったこともあり、ひとり働いてくれている母や、体調崩すたびに面倒みてくれている祖父母に「これ以上心配掛けたくない」という気持ちだけは幼い頃からあった。
そこから派生したのだろうか、「学校に行って安心させなければ」さらには「運動できない分、成績とらなければ」というような感覚が、当たり前のように根付いていたように思う。

精勤賞 

中学の時は入院こそしなかったけれど、まだ数日休むようなことはしょっちゅうあった。
2週間高熱が続いた時は、やっと登校できた頃には英語の比較級にまるでついていけず、途方に暮れたこともあった。

だんだんと小児ぜんそくが治まってきて、さほど休まず登校できるようになったのが高校に入ってから。
そんな私が、高3の1年間、欠席はたったの2日間。
当時はまだ皆勤賞や精勤賞というのがあり、卒業式の時に「本学年精勤賞」をいただくことになった。
「皆勤」は欠席なし、「精勤」は欠席がほぼないという意味。
「誰にもこの感覚はわからないだろうな・・・」と思いながら、内心めちゃくちゃ誇らしい気持ちで起立したのを覚えている。

が、平等の観点からだかなんだか、近年は言わなくなったようで、残念だなと思う。
自分がもらったからということではなく、また逆に自分の子も欠席しまくることになるわけだが、頑張って登校した子に賞をあげるのが悪いことだとは私は一切思わない。それはそれで子供は頑張って通ってるんだから、褒めてあげればいいのになぁと素直に思う。

普通というより、良いか悪いか

登校できるのは、ありがたいこと。
欠席日数は少なければ少ないほど「よく頑張ったね、私」と思える。

「学校に行く」ということがいわゆる“普通”の生活で、朝起きたら家を出る。授業を受けて、友達と遊ぶ。クラブの後、帰宅して宿題。
幼少期にそういう“普通”をあまり堪能できなかった私は、もしかしたら心の奥底でそれに憧れていたのかもしれない。
当時、私は「学校に行く」のは良いことで、「学校に行かない」のは良くないことという感覚が、じわじわと根付き、育った状態で高校生活を終えていた。


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