ナラティヴⅡ-2.<話し手>と<聴き手>
読書会のメモ「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」 第2回
昨年(2022年)12月に出版された国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ BookⅡ」。
毎月1回1章ずつを目安に進めていく仲間内での読書会の備忘メモとして、今回は2023年2月5日(日)に取り組んだ「第2章 <話し手>と<聴き手>」について。
自由な対話の展開となり、前半は主に1節の内容を中心に進んだ。後半は、5節が中心に展開した。
以下、出てきた話題の中から印象に残った部分を備忘的に書き出しておきたい
■印象に残った言葉やフレーズ
○日常会話とカウンセリングの会話との違い
日常の会話では、聴き手の経験から反応的に生まれる意味=早合点が場に出ることが多く、それが繰り返されることが楽しかったりする面もある。
「カウンセリングの場面において(中略)内容は常に、話し手が持て余しているほどの込み入った話なのです」(p.35)
日常レベルでずっと傾聴ができるわけでないのと同じように、切り替えるべき時に切り替えることができる使い分けができればいいのでは。
しかし、いまモードを切り替えた方がいいと感じとれるかどうか、自分自身の意識や精神状態によっても変わってくる。
・東日本大震災の時、通常のカウンセリングのやり方では通用しなかったという声が多かった。ナラティヴ的なアプローチが必要なのかもしれない。
・「考えるためには、話し続けなければならない」(ハロルド・グリーシャン)
・「机上がいつも片付いていない」「健康診断の数値が悪い」など自身にとってネガティブな状況を言葉にするときは、それを改善したいという意思がそこに働いていることもある。
○英語表現の明確さと日本語表現の曖昧さ
まだ言葉の形をとっていない心の状態など曖昧なものを表現するには、日本語表現の方が向いているのかもしれない。英語では「I wonder・・・」が使われることもある。
・ハーレー・アンダーソンのエピソード
自律/自立があたりまえのディスコースとなっている文化圏において、本人から「自立」という表現がよく出るので、「『自立』って何ですか?」と問うと、「そうなんですよ、自立を求められるのが嫌だったんです」と。
話し手は、聴き手に問われることで次のことを考えることができる。
・話を聴くとき、相手の話に集中しすぎると、自分の中で起きていることを感じられない
■所感
・話すときは事前に話すことが分かって話すわけではなく、自分の中で湧き上がってくるものを単に言葉にしている感覚に近い(p.48)状態の中で、具体的に考えていることがなくても、人生経験の中で触れてきた「汎用性の高い言葉」を引っ張り出して適当なことが話せたりもする(p.49)。また何度も<再生産>される話は、同じ結末にたどり着くため変化は期待できない(p.50) とすると、自分の気持ちをしっかり反映した言葉はどのように生まれてくるのだろう?
・聴き手として、反応的に「先行」して自身で意味を作り上げるのか、脇に置くことを選択するのか(第1節)、また話し手として、反応的に「汎用性の高い言葉」を引用して適当に話すのか、立ち止まって自分の内面に意識を向けるのか(第5節)と考えてみると、自分自身の「反応」にかなり意識的になる必要があるようにも感じる。
■第2章の主観的な要約
国重さんがお伝えされたかったことをできる限り把握したいと思い、要点を整理しながら要約してみた。私というフィルターを通しての捉え方なので、他の方が整理される場合は、違ったところを取り上げられるのかもしれない。