
アコンカグア8日目:早すぎるサミットプッシュ
2019年1月28日(月)
出発
午前2時、サミットプッシュの朝がやってきた。といってもまだ真っ暗なのだが。気温はマイナス15℃くらいだろうか。正確にはわからないが今まで一番寒い。
軽い朝食を食べて、アルゼンチン人で登山経験豊富なDarioと大学教授のDiegoと一緒にC3コレラ、そして6,962mのサミットを目指す。
この日初めて、ダウンジャケットの上にゴアテックスジャケットを着た。これがないと風で凍えてしまう。パンツはいつもの薄手のパタゴニアトレッキングパンツに、モンベルのメリノウールタイツを履いている。
グローブは3枚着用しているが、指先が冷たく感じる。外側のゴアテックスグローブが良くないのかもしれない。
アイゼンはまだ必要ないので、バッグに入れておく。
さあ、出発だ。Darioを先頭に僕が真ん中、Diegoが後ろからついてくる。
ヘッドライトで足元をしっかりと照らして、一歩一歩進んでいく。
C2の真ん中にある大きな雪原を渡って、岩場を登っていく。
前方にも後方にも登山者のライトの光は見えない。今日、C2から登頂を狙うのは僕たちだけのようだ。
Diegoは調子が悪いのか何なのか、歩くのがけっこう遅い。時折、Darioとなにかスペイン語で話している。
30~40分ほど登ったところだろうか。DiegoはC2に戻ると言い出した
元々、視力が悪く、この真っ暗な中でライトだけの光では歩くことができないそうだ。岩場も多く、滑ったり、片足に体重をかけて登っていくようなところもある。
体調も良くないみたいだ。ここはもう標高5,500mを超えている。普段から山に登っているならまだしも、老体には厳しいだろう。
一人で戻ることはできるんだろうか。まだ日の出まで3時間はある。ここで日の出を待っているには長過ぎる。しかし下り道を足元が見えない状態で進むのは危険だろう。
Darioも一緒に戻るんだろうか。Darioは去年、アコンカグアに登頂していて、今回はDiegoと二人で登りに来ている。一人だけで登る意味はないだろう。
そうなると、僕もここで一緒に戻るべきだろうか。
スペイン語での二人の話し合いが終わったみたいだ。Diegoが僕に英語で話してくれる。
Darioと二人で登頂を目指してくれ、C2で待ってる、と。
ここでDiegoと別れた。
僕たちは進んだ。が、僕はDarioのペースについていくことができなかった。Darioが速いのか、僕が遅いのか。このペースで登り続けると呼吸が乱れる。
時間が経てば経つほど、Darioとの距離が開いていった。そうこうしているうちに日の出を迎えた。太陽の暖かさを感じる。太陽があるのとないのとではこんなに違うのか。
ここからはもうヘッドライトは必要ない。ヘッドライトをバッグにしまった。
ベルリンそしてC3コレラ
(出典:https://inkaexpediciones.com/)
C3までの道のりをジグザグに登っていく。すると人が2人横になれるくらいの小さな小屋が2つ見えた
ベルリン小屋だ。
なぜここに小屋があるのかはわからない。けど、植村直己の本「青春を山に賭けて」にも登場する小屋だ。
植村直己がアコンカグアに登ったのは1968年、もう50年以上もこの小屋があることになる。
もうこの世にはいない故人が見た光景と同じものを今、目の前にしていると思うと感動した。きっと山頂に立ったらいろんな思いが込み上げてきて感動するだろう。
小屋はすでに半壊しているので、今は使う人はいないようだ。
そしてここを越えると、岩場と登るためのワイヤーがあった。ロッククライミングでもするのかというくらい大きな岩で、登るのが大変だ。
ワイヤーをしっかりと握って、岩場を登っていく。アコンカグアに来て初めてのちょっとしたテクニカルな場面だ。
そして大きく開いた場所に出た。テントが見える。
ここがC3コレラだ。標高6,000mまで登ってきた。
C2からここまで4時間弱かかっている。まずまずのペースだ。だが山頂までまだ1,000m弱登らないといけない。これからが本番なのだがすでに疲労が溜まってきていた。
インデペンデンシア
C3コレラを抜けて、砂利道を進んでいく。雪はない。登りやすい道のりだ。
ここで登山者が2人、後ろから登ってきているのが見えた。随分遅い出発だな。
すでに標高6,000mを超えている。またしても未知の領域だ。嫌でも息が上がってくる。そして足取りは重い。一つ呼吸をするごとに1歩しか進むことができない。
次第にペースが遅くなってきていた。ここから山頂までふつうのペースでも4時間はかかるはず。これはヤバいかもな。そう感じ始めていた。
しばらくするとまた小さな小屋が見えた。
インデペンデンシアだ。
この小屋も半壊しているので泊まることはできないが、目印にしたり、空になった水筒などいらない荷物を置いていったりする。
標高6,400m。山頂まであと550mくらいなのだが、残念なことにここからがアコンカグア本番なのだ。
まだアコンカグア二大名物、大トラバースとグランカナレーターを残している。
小屋の前でDarioが待っていてくれてる。さっき後ろから登ってきた二人も合流した。
スコットランドから来た男性二人組だ。
C2からここまで登ってきて登山初心者ながら、
運良く登頂できたとしても無事に下山できるのだろうか、そう感じ始めていた。僕たちの場合はC2まで下りないといけない。
そう考えると余計に疲労を感じてきた。
英語が得意じゃないDarioが言った。
「Yasu, Go back.」
彼は登山経験が豊富だし、アコンカグア登頂経験もある。前日もレンジャーと話していて、なにかあったらトランシーバーで連絡するように言われていた。
このペースで登頂するのは難しいんだろう。僕も薄々そう思っていた。
スコットランド人二人も、僕の顔をみて顔色が悪いから、戻ったほうがいいよ、と言ってくれた。
入山してから、何日目なの?と聞かれた。
8日目だ、と答えた。
「That's too fast!」
早すぎると。それは無茶だ、僕らは2週間かけて登ってきている。
そうだよな。ほかの山を登って高度順応できてるならまだしも、8日で登ろうなんて、最初から無理な話なんだ。ただでさえ体力がない状態でチャレンジしているんだから。
ここで僕だけ下山することを決断した。登ると言ってもこの3人が許可しなかっただろう。気持ちはスッキリしている。悔いはない。
時刻は午前9時、インデペンデンシア6,400m
C2でまた会おう、Darioにそう言って僕は下山を始めた。
下山
一人でC2まで戻ることになった。ふつうのペースなら3時間くらいあれば戻れるだろう。今日の登山者はあの3人だけだ。C3までの道のりで人とすれ違うことはなかった。
C3で誰かと話した記憶があるのだが、あまり覚えていない。このあたりから意識が朦朧としていて夢の中を歩いているような、そんな感覚だった。
登ったときと同様、ワイヤーを掴んで下りていく。
C3からC2までは何人か登山者とすれ違った。なぜだかみんな声をかけてくれる。
「Are you OK? Are your fingers OK? Do you have water?」
言葉を発するのも苦痛、そんな感じだったが、一言OKと答えて、下山していく。そんなに体調が悪そうに見えるんだろうか。
ほかの場面は鮮明に覚えているのだが、ここの下山の記憶はあまりない。
遠い道のりだったが、無事にC2に戻ってくることができた。
Diegoはテントにいたが、寝ているようだった。
僕も疲れて仮眠した。
レンジャー
しばらくすると誰かがテントに来て、起こされた。午後3時くらいだっただろうか。
C2にある山岳警備のレンジャー2人がペットボトルの水を持ってきてくれた。ありがたい。
英語は話せないようだが、レンジャー小屋まで来てくれ。そんなことを言っていた。
水と米類のご飯をもらった。パックに入ったインスタントコーンスープももらった。C1にガスを置いてきてしまったから、ガスがないと言うと、ガスもくれた。
水を1日何リットル飲んでいるか、聞かれた。
2リットルだ、と答えた。
それは少なすぎる。毎日4リットル飲め、とのこと。4リットルの水を作るのも大変だし、飲むのも大変だ。ガスもなくなってしまう。
たしかにガスをケチって、水を飲む量が少なかったかもしれないな。
食欲はなかったが温かいごはんを食べることができて少し体調が回復した。陽気で明るい人たちだ。生きててよかった。
テントに戻るとDiegoが起きていた。Darioとはインデペンデシアで別れたことを伝えた。僕は明日、ベースキャンプへ戻ることを決めた。
天候によって、再チャレンジするか帰国するか決断をしないといけないが、
どちらにせよ、C1に置いてきたガスや食料を回収しないとここには滞在できない。標高の低いBCプラザ・デ・ムーラスのほうが回復はするだろう。
午後8時、日が暮れてきた。午前2時から行動を開始したので長い一日だった。Darioはまだ帰ってこない。3人で登っているから大丈夫だとは思うが、心配になってきた。
完全に日が暮れた午後9時ごろ。Darioが帰ってきた。スコットランド人の2人と一緒に登頂したらしい。
「おめでとうっ!!」
Darioはやっぱりすごい。
固い握手をして、それぞれのテントに戻って就寝した。