過去の扉を閉めて、未来の扉を開ける。
すさのわさんのnoteに感化されてこの文章を書いている。
この映画、わたしも見てみたいなと思っていた。
新海誠監督の作品はいつだって古き良き日本の精神性を新しく斬新に現代風にアレンジして見せてくれるから好きだ。
「扉」というキーワードにわたしの意識が引っかかったので、久しぶりに長めの文章をnoteに綴ることにした。
実は人生にはたくさんの扉がある。
その中のひとつを開けてみてその扉の向こう側の世界へと一歩進んでみる。
そんなことの繰り返しが人生そのもののような気がしている。
扉の向こう側へ一歩踏み出したなら、後ろ側の扉は閉めなくてはいけない。
しかし時に心残りがある扉は閉めずに開け放たれたままの状態。
長く人生を生きてきたならきっとそれがいくつもあるのではないだろうか。
それを人は後悔とか心の傷とかトラウマと呼ぶのだと思う。
開け放たれたままの扉は時々きしむ。
もうその扉はとっくに出てしまっているのに、閉め忘れたがために時々音がするのだ。ガタガタ。ゴトゴト。キィキィ。
もうその扉は閉めてもいい。その扉の向こうを覗かなくていい。
けじめをつけて、執着を捨てて、ガチャンと閉めてしまおう。
意識すべきなのは後ろではなく目の前にある未来の扉だ。
たくさんの扉がある。どれを開けようか迷っているかも知れない。
誰かが、この扉にしなよ、と言うかも知れない。
もちろんその扉にしてもいいけど、開けるのはあなた自身だ。
あなたが本当に気に入った扉、良い感じがするなとピンときた扉を開くのが一番だ。そう、すべての責任はあなたにあるから。
扉の向こうにはまだ見ぬ世界が広がっている。
もしかしたらものすごく怖いかも知れない。厳しいかも知れない。
あるいはめちゃくちゃ楽しいかも知れない。感動的かも知れない。
想像をはるかに超えたものかもしれない。奇跡の扉かも知れない。
扉の前で立ち止まって動けない。そんな人もいるけど。
そこに立ちすくむよりも、誰かに指示されるよりも、自分の意思で決める。
扉の向こうにある世界はいいも悪いもないのだ。
ただただ体験だけが待っている。それだけのことなのだ。
過去の扉を閉めて、未来の扉を開ける。
閉め忘れた扉をひとつひとつ感謝しながら閉じることも忘れてはいけない。
過去に開いた扉がどんなにひどくつらいものだったとしても、未来の扉が同じだと考えてはいけない。人生というものは動き続けなくてはいけない。
アインシュタインも言っている。
過去は怖れるものではなく、学ぶべきものなのだ。
未来は怖れるものではなく、希望を持つものなのだ。
そして私たちは常に、いまここ、に生きている。それが真実だ。
ひとつひとつの出来事に一喜一憂してはいけない(してもいいけど)。
もし嬉しいことがあったなら、これでいいのだ、とにっこり笑う。
もし気に入らないことがあっても、まいっか、と淡々と受け流す。
そして日々感謝しながら、次の扉を開けて踏み出していく。
振り返って閉めてきた扉があなたの体験価値となって積み重なっていく。
人生はそれだけのことだし、その繰り返しなのだ。
周りを見回しても意味がない。
人それぞれの人生に人それぞれの扉があるからだ。
不安や心配のドキドキ感と、期待や満足のワクワク感は、表裏一体。
波動、エネルギーとしては同じものだという。
怖れを選ぶのも愛を選ぶのも、本当にあなた自身の意識次第ということだ。
でもそれさえも手放して、大いなるものにゆだねてみてしまう。
愛と怖れを超越した世界はきっと、fさんの『自分を生きる覚悟』の境地になるのではないかなと思う。
わたし自身、なんだか最近この感覚が心地いい2023年の始まりです。