連載小説《Nagaki code》第24話─桜吹雪の誓い
《前回のあらすじ》
姉の雪乃を失った悲しみをいつまでも拭えない晃乃。洋介と恵理紗は、晃乃の家を訪ねた。
なおも寂しそうな表情をする晃乃に、恵理紗は「今晩、薬師岱公園に来て」と晃乃を誘うのだった。
夜の薬師岱公園には誰もいなかった。晃乃さんとの約束の時間より少し早く、僕と椿さんはあの神社の前の桜の木の下にいた。そこには雪乃さんがいて、昨日と同じように桜を見上げていた。
「雪乃さん」
椿さんは右手を上げて雪乃さんを呼ぶ。雪乃さんはこちらに気づき、右手を上げてふわりと微笑んだ。
「今日は、雪乃さんに見せたいものがあって来ました」
「見せたいもの?」
「雪乃さんの教え子さんから手紙を預かってるんです」
そう言うと、椿さんは手紙を取り出し、自分ではその中身を見ないようにして雪乃さんに見せた。
「……伊達さん……」
手紙を読む雪乃さんの瞳に、涙が溜まっていく。
「私の事、こんなに想ってくれてたんだ……」
震える声で言うと、雪乃さんは手で涙を拭った。その手紙に、何て書いていたのかはわからない。僕らにそれを見る権利なんて、もちろんない。でも、雪乃さんへの愛に溢れた手紙だったという事はよく伝わってくる。
「伊達さんは、好きなキャラクターが一緒だったり、好きな作家さんが同じだったり……何かと話の合う子だったんだ。もっとおしゃべりしたかったなぁ……」
ふわっと微笑む雪乃さんの頬に、一筋の涙が伝った。
「このお手紙、桜の木の下に埋めておきますね」
椿さんが言う。
「ふふ……ありがとう、恵理紗ちゃん。これで、伊達さんのことを身近に感じられそう」
雪乃さんはどこかくすぐったそうに笑う。それを見た恵理紗さんは何かを悟ったようだ。
「雪乃さん、伊達さんのこと好きだったでしょ」
ちょっとだけいたずらっ子のように、椿さんは雪乃さんに微笑みかけた。
「えへへ……。それは秘密っ」
雪乃さんもどこかいたずらっぽく、だけど、どこか嬉しそうにふわっとはにかんだ。
「恵理紗ー?」
突如、背後で聞こえる声。石段を上がってきたのは晃乃さんだった。
「あ、来た来た。こっちよ」
椿さんが手招きをする。
「あなたに会わせたい人がいてさ」
「えーっ、誰?」
「ちょっと、私の手、握って」
椿さんが右手を差し出す。晃乃さんはその手を握る。椿さんの会わせたい人って、まさか……
「……!」
晃乃さんが息を飲む。晃乃さんは今、目の前に雪乃さんがいる事を認識しているのだろう。
「晃乃ちゃん、わかる? 私だよ」
先程の涙を擦り、雪乃さんは微笑んだ。
「お、お姉ちゃん……!」
信じられない、といった様子の晃乃さん。つぶらな瞳を見開いている。
「晃乃ちゃん、私がいなくても頑張ってる?」
「頑張れないよ……お姉ちゃんのいない生活なんて……」
今にも消え入りそうな声。晃乃さんが俯いた。
「ずっと、お姉ちゃんに会いたくて……。でも、お姉ちゃんに会えるわけもなくって……」
最後の方は、声がつまって震えていた。晃乃さんは泣いていた。静かに、涙を流していた。
「知ってた? 私、いつでも晃乃ちゃんのそばにいるんだよ」
僕らをそっと包み込むような、優しい、柔らかい声だった。
「晃乃ちゃんが笑ってる姿も、泣いてる姿も、全部そばで見てる。この桜みたいにさ」
その時、雪乃さんのその言葉に応えるように強い風が吹いた。神社の桜の木々が一斉にざあっと揺れて鳴り、桜の花びらが辺りを埋め尽くすほど一斉に舞い上がった。
「わぁ……!」
晃乃さんも、僕らも、感嘆の声を上げた。まるで夢の中の風景のような桜吹雪。夜空をも埋め尽くすほどの花びらの隙間から、笑みを浮かべたような満月が顔を覗かせていた。
「大丈夫。ちゃんと、見守ってるから……」
春の陽だまりのような、雪乃さんの微笑み。雪乃さんと目を合わせた晃乃さんはポツリと口を開く。
「うん……私、頑張るよ、お姉ちゃん……」
今にも泣きそうな声だったけど、晃乃さんは涙を堪えている。今にも泣き出しそうな顔をしていたけど、その瞳はどこまでも澄んでいて、遥か先の未来を見つめているような気がした。
雪乃さんは温かい微笑みをたたえたまま、すーっと消えていった。僕らは何も言わず、ただ桜の木を見上げていた。夜風に舞う花吹雪。空の満月は雲にも隠れず堂々とその姿を見せて輝いていた。
*
月曜日。薬師岱宛ての郵便物を僕らの職場に運んできたのは、あの日薬師岱公園で会った華執郵便事業局本部の伊達さんだった。
「あの手紙、どうなったんだ? 君達が勝手に読んだのか?」
「まさか、そんな事しませんよ。ちゃんと雪乃さんに届けました」
「届いたのか?」
「はい。確かに」
「そっか……そうなのか」
「……伊達さん、顔真っ赤ですよ」
「ちょ、マジか。やめてくれよぉ」
伊達さんは真っ赤になった顔をあの時みたいに隠しながら言う。伊達さんもまた、雪乃さんのことが大好きだったんだろう。僕が想像するよりも、遥かに、ずっと。
「ああ、そうだ」
思い出したように伊達さんが言う。
「また花村先生に会う機会があったら、先生に聞いてくれよ。『何であの時、あんな寂しそうな顔で桜を見上げてたんですか』って」
*
「恵理紗」
仕事を終え、郵便局前で談笑していた僕と椿さんの元へ、晃乃さんがやってきた。
「日曜日、お姉ちゃんのお墓参り行ってきたよ。もうウジウジするのはやめた。お姉ちゃんに、頑張るって言ったしさ」
「うん、晃乃なら頑張れるよ」
「へへっ、そうかな」
ふたりは微笑み合う。
「ありがとう……大切なことを気づかせてくれて。恵理紗が親友でよかった」
「もうっ……照れくさいわね」
はにかむ椿さん。それを見て、晃乃さんがふわりと笑った。その表情は、初めて会った時の雪乃さんみたいに柔らかくて温かい印象を受けた。
郵便局前の桜の木が窓から見える。街中に咲き誇っていた桜は、すべて葉桜になろうとしていた。