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「自分軸」って何のこと?
「この世界で完全に1人きりになってしまったら、どうなるんだろう」
って、こんな寂しいシミュレーションを何故か子供の頃から定期的にしてしまう。
「きっと、狂ってしまうんだろうな」。
この世に自分1人しか存在しないって、そんな事実にもし気づいてしまったら、瞬時に頭がおかしくなってしまうんだろうな。
いつも答えは同じ。
そう、きっと狂ってしまうんだと思う。
人は、絶対に1人では生きていけない。
そんな頑丈な生き物じゃない。
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人は「社会的な生き物」だと思う。「社会的」ってちょっと分かりづらいけど、一人じゃ生きていけないって意味で。
一人じゃ、「自分」っていう概念をそもそも定義し得ないって意味で。
人は「関係性」の中にしか存在し得ないんじゃないかって、いつも思う。
誰かがいて初めて「自分」がいる。
というか、存在し得る。
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「自分軸」という言葉がある。
近年よく耳にするようになった。
その言葉の伝えたいところはよく分かる。
「先行きが不透明で流動的で曖昧な時代において信じるべきは自分の感覚だ、自分自身だ」「他人の価値観に流されて生きるんじゃない」
その通りだと思う。
自分の感情や感覚を信じることが出来なくて一体何を信じる、他人の価値観に生きてどうする。
その通りだと思う。
でも、
「他人」がいなくて、「他人」との交流がなくて生きていけるだろうか。「他人」への興味やリスペクトがなくて生きていけるだろうか。
他人との関係性がない中で、「自分軸」なんて存在するだろうか?
「他人への興味やリスペクト」と「他人の価値観に流されて生きること」の明確な線引きがあなたには出来るだろうか?
そんな芸当を身に付けてるんだろうか。
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人は「関係性」の生き物だ。
人は関係性の生き物である以上、どこまでいっても相対的な存在。だから、「変化する」ことが前提になっている。
変化すればいい。どんどん変化していけばいいし、そもそも変化しない人なんていない。
「自分軸」もいいけど、人の本質は変化なんだから。他人との交流を通じて起こる変化こそ人の本質なんだから。
だから、そんなに焦らなくていいんじゃないかな。そんなに構えなくたっていいんじゃないかな。
もっと他人に迷惑をかけて、迷惑をかけられて、それでも「ズブズブに」交流していけばいいんじゃないかな。
「自分軸」なんてどこにもないよ、きっと。
あるのは変化だけだよ。
その変化は他人との交流によって、他人への興味やリスペクトによってもたらされる。
その変化によってもたらされる感覚、感情、強く印象に残ること、違和感。
それこそが、「自分自身」の輪郭なんだと思う。
あるのは関係性だけだよ、きっと。